人文研究見聞録:松陰神社(萩市) [山口県]

山口県萩市にある松陰神社(しょういんじんじゃ)です。

明治時代に創建された神社で、祭神に吉田松陰を祀っています。

なお、松陰の実家周辺が社域になっているため、境内には松下村塾旧宅などが現存しています。


神社概要

由緒


由緒書によれば、明治23年(1890年)の8月に松下村塾の改修が行われた際、吉田松陰の実家である杉家の私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠を建立し、松陰の遺墨・遺品を収めて御霊を祀ったことに始まるとされます。

その後、明治40年(1907年)9月15日に松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって県に神社創建を出願すると、同年10月4日に県社としての創建許可が降りたため、これを以って松陰を祀る小祠を松下村塾の南隣に移し、祝詞殿神饌所を付して社殿としたそうです。なお、この祝詞殿は当時廃社となっていた萩城鎮守の宮崎八幡宮の拝殿を移築したもので、この移築の際に境内の整備も行われたとされます。

昭和以降は、昭和12年(1937年)に王政復古70周年記念事業として神社・社域の拡張工事が始められ、昭和15年(1940年)に新社殿が起工し、2年後に桧皮葺の社殿が竣工したものの、大東亜戦争の影響で遷座は行われなかったそうです。そのため、戦後に社殿の屋根を銅板に葺き替えるなどの改修工事を行い、昭和30年(1955年)10月26日に祭神の遷座を行われて現在に至るとされています。

なお、現在の境内には松下村塾や松陰幽囚の旧宅が史跡として現存しており、この他にも吉田松陰歴史館や至誠館(宝物館)などが併設されています。

祭神


人文研究見聞録:松陰神社(萩市) [山口県]

松陰神社の祭神は以下の通りです。

・吉田矩方命(よしだのりかたのみこと):吉田松陰のこと(吉田寅次郎藤原矩方命とも)
 → 吉田松陰(よしだしょういん):幕末の思想家・教育者

松門神社


人文研究見聞録:松陰神社(萩市) [山口県]

松陰神社の末社・松門神社(しょうもんじんじゃ)です。

昭和30年(1955年)に松陰神社の新社殿が竣工した際、旧社殿をその北隣に移して塾生・門下生を祀る神社としたもので、当初は祭神として松陰の門人42柱の御霊が祀られることになったそうです。

その後、平成22年(2010年)10月に松陰生誕180年記念として10柱を合祀し、さらに平成27年(2015年)10月に松陰の遺書『留魂録』を後世に伝えたという功績から沼崎吉五郎命を合祀して現在に至るとされています。

【祭神】

久坂玄端命、高杉晋作命、吉田稔麿命、入江九一命、金子重輔命、伊藤博文命、山県有朋命、品川弥二郎命
前原一誠命、松浦松洞命、玉木彦介命、馬島甫仙命、野村靖命、山田顕義命、木戸孝允命、寺島忠三郎命
時山直八命、杉山松助命、松本鼎命、飯田正伯命、増野徳民命、尾寺新之丞命、阿座上正蔵命、渡辺蒿蔵命
天野御民命、有吉熊次郎命、飯田吉次郎命、境二郎命、河北義次郎命、久保断三命、国司仙吉命、駒井政五郎命
諫早生二命、井関美清命、岡部富太郎命、滝弥太郎命、妻木寿之進命、中谷正亮命、弘勝之助命、堀潜太郎命
正木退蔵命、横山幾太命、赤禰武人命、大谷茂樹命、岡部利輔命、小野爲八命、木梨信一命、佐々木亀之助命
佐々木貞介命、福川犀之助命、福原又四郎命、山根孝仲命、沼崎吉五郎命(計53柱)

関連知識

吉田松陰について


人文研究見聞録:松陰神社(萩市) [山口県]

吉田松陰(よしだしょういん)とは、幕末の思想家・教育者で、主に私塾「松下村塾」で後に明治維新の立役者となる面々を教育した人物として知られています。

松陰は、文政13年(1830年)に長州萩城下松本村(現:山口県萩市)で下級武士の杉家の次男として生まれ、5歳の時に親戚の吉田家に養子として迎え入れられます。この吉田家は山鹿流兵学を以って長州藩で兵法師範を務める家柄で、叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で兵学などの厳しい指導を受けたそうです。

そして、11歳の時に藩主・毛利慶親への御前講義の出来栄えが見事であったことから才能が認められ、長州藩の藩校である明倫館で兵学の講義を行うようになります。ちょうどその頃、アヘン戦争(1840年)で清がイギリスに大敗したことから、西洋列強の驚異に対応するために独自に西洋について調べ、さらに九州・江戸に出て外国船の実情を探ろうとしたそうです。

その後、嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀に来航した時に黒船を遠望観察して西洋の先進文明に驚愕することになります。そこで松陰は幕府に攘夷(外敵を追い払って国内に入れないこと)を訴えようと藩主に書簡を送りますが、これは受け入れられないまま嘉永7年(1854年)に日米和親条約が締結されてしまいます。

条約締結によって下田が開かれた後、松陰は国家のために自ら海外に渡って先進文明を学ぼうと、弟子とともに下田に潜んで米国への密航を計画します。この際にペリーに海外渡航を懇願する書状を持って漁船を盗んで黒船に乗り込みますが、渡航は拒否されて漁船も流されてしまったため、2人は奉行所に自首して投獄されることになります。

この後、松陰は故郷の長州に移送され、野山獄にて幽囚の身となります。そして出獄を許されると、実家の杉家で謹慎生活を送ることになります。ここで自宅の小屋を改築して松下村塾を開塾し、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文など後に維新の志士となる面々を教育していったそうです。

しかし、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したり、外国の言いなりになって政治や外交を行っていることに対し、松陰が過激な言動で批判を行っていたことから安政の大獄(幕府による尊王攘夷派への弾圧)の対象となり、安政6年(1859年)に斬首刑に処されて その生涯を終えます(享年30歳)。

松陰は30年という短い生涯でしたが、その思いを受け継いだ志士達によって明治維新が成されることになったので、その行動力や影響力には凄まじいものがあったと言えますね。

境内の見どころ

鳥居


人文研究見聞録:松陰神社(萩市) [山口県]

松陰神社の鳥居です。

松下村塾(国の史跡・世界遺産)


人文研究見聞録:松陰神社(萩市) [山口県]

松陰神社の境内にある松下村塾(しょうかそんじゅく)です。

松陰が安政4年(1857年)に開いた私塾で、ここから維新の志士となる面々が輩出されていったとされます。

内部には松陰の肖像や塾生の写真などが飾られています。

吉田松陰幽囚ノ旧宅(国の史跡・世界遺産)


人文研究見聞録:松陰神社(萩市) [山口県]

松陰神社の境内にある吉田松陰幽囚ノ旧宅(よしだしょういんゆうしゅうのきゅうたく)です。

松陰の実家・杉家の旧宅で、松陰が野山獄から出獄した後に ここで謹慎生活を送ったとされます。

花月楼(山口県指定有形文化財)


人文研究見聞録:松陰神社(萩市) [山口県]

松陰神社の境内にある花月楼(かげつろう)です。

江戸時代の茶室で、松下村塾出身の品川弥二郎が自邸に保存していたのを移築したものだそうです。

至誠館(宝物殿)


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松陰神社の至誠館です(有料)。

松陰神社の宝物館で、内部では松陰に関する資料などが展示されています。

本社前の鳥居


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松陰神社の本社前の鳥居です。

本社


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松陰神社の本社です。

勧学堂


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松陰神社の勧学堂(かんがくどう)です。

松陰の分霊を祀る御堂であり、本社付近に建てられています。

元々は品川弥二郎命を祀る品川神社という名であり、品川弥二郎の生誕地にあったそうです。

なお、現在は品川弥二郎命は松門神社に合祀されています。

吉田松陰歴史館


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松陰神社の境内にある吉田松陰歴史館です(有料)。

内部では松陰の生涯を表した蝋人形や、関連する図絵が展示されています。

料金: 無料(至誠館 一般500円、吉田松陰歴史館 一般500円 ※詳細は公式サイト参照)
住所: 山口県萩市椿東1537番地(マップ
営業: 終日開放(至誠館9:00~16:30、吉田松陰歴史館9:00~17:00)
交通: 東萩駅(徒歩17分)

公式サイト: http://shoin-jinja.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。