佐々木小次郎の墓 [山口県]
2018/10/05
山口県阿武郡阿武町にある佐々木小次郎の墓(ささきこじろうのはか)です。
剣豪として知られる佐々木小次郎が宮本武蔵に敗れた後、その妻が遺髪を埋めて墓にしたものと伝えられています。
概要
佐々木小次郎について
佐々木小次郎(ささきこじろう)は安土桃山~江戸初期の剣客で、宮本武蔵と巌流島で決闘したという逸話で知られています。
その生涯については不明な点が多いようですが、wikipediaによれば以下のような人生だったとされています。
・天正もしくは永禄年間に、豊前国(福岡県)もしくは越前国(福井県)で生まれたとされる(岩国出身説もある)
・剣豪・鐘捲自斎に弟子入りする
・安芸国の毛利氏に仕える
・諸国を巡って武者修行に励む
・福井の一乗滝で秘剣「燕返し」を身につける
・巌流(岩流)という流派を創始する
・細川忠興に登用されて小倉藩の剣術師範となる
・慶長17年(1612年)に剣豪・宮本武蔵と舟島(巌流島)で決闘し、これに敗れて死ぬ
・剣豪・鐘捲自斎に弟子入りする
・安芸国の毛利氏に仕える
・諸国を巡って武者修行に励む
・福井の一乗滝で秘剣「燕返し」を身につける
・巌流(岩流)という流派を創始する
・細川忠興に登用されて小倉藩の剣術師範となる
・慶長17年(1612年)に剣豪・宮本武蔵と舟島(巌流島)で決闘し、これに敗れて死ぬ
佐々木小次郎の墓について
案内板によれば、小次郎は慶長17年(1612年)4月13日に巌流島の決闘に敗れて死亡したとされます。
その間に妻のユキは懐妊していたものの、幕府から迫害されていた切支丹(キリシタン)であったため、夫・小次郎の遺髪を抱いて多くの信者とともに安全な山陰の地に逃れてきたそうです。
そして、ユキは寺ヶ浴の真言宗正法寺にて尼となり、当地に小次郎の墓を建てて冥福を祈ったとされます。なお、この際に我が子に対する因果応報を断ち切るため、小次郎の名は「古志らう」と替えて墓石に刻んだそうです。
ちなみに、ユキは墓の付近の庵で一生を過ごしたといわれています。
アクセス
小次郎の墓は阿武郡阿武町の山中にあり、大まかな場所はGoogleマップでも確認することができます。
ただし、細かい場所についてはわかりにくく、現地の案内表示を参考にして山中に入っていくしかありません。
また、駅からもだいぶ離れているので、訪れるには自動車が望ましいです。
なお、墓までの案内表示はいくつか配置されているため、徒歩で矢印に従って進めばたどり着けると思います。
周辺の様子
墓の入口
佐々木小次郎の墓の入口です。
墓までの道
佐々木小次郎の墓までの道です。
キリシタン六面観音
佐々木小次郎の墓の途中にあるキリシタン六面観音です。
妻のユキが信仰していたバテレン墓だと考えられています。
案内板と墓
佐々木小次郎の墓と案内板です。
小次郎の墓
佐々木小次郎の墓です。
墓石には仏のようなものが刻まれています。
「古志らう」の文字
佐々木小次郎の墓を横から見ると「佐々木古志らう」と刻まれています。
祀られた石
佐々木小次郎の墓の横には石が祀られています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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