山口大神宮 [山口県]
2018/10/01
山口県山口市にある山口大神宮(やまぐちだいじんぐう)です。
戦国時代に伊勢神宮の神々を勧請して創建された神社で、主祭神に天照大御神・豊受大御神を祀っています。
古くから「西のお伊勢さま」として親しまれており、伊勢に直接行けない人々が参詣したとされています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、永正17年(1520年)に大内義興が伊勢神宮の分霊を勧請して創建した神社であるとされます。
その経緯として、戦国時代に明応の政変で京都を追われた足利義尹(義稙)が義興を頼って山口に逃れてくると、義興は永正5年(1508年)に義尹を奉じて上洛を果たし、義尹を将軍職に復帰させるとともに自らも管領代として幕政を預かることになります。
この間の永正11年(1514年)に、義興は伊勢の皇大神宮(内宮)に参詣して神霊の尊厳さに心を打たれたことから、伊勢神宮を山口の地に勧請したいと思ったそうです。そこで、義興は永正15年(1518年)に山口に戻るとすぐに神宮創建に着手し、自ら社地を見定めるとともに神殿の建築に取り掛かったとされます。
そして、永正16年(1519年)に外宮、永正17年(1520年)に内宮が落成すると、天皇に神宮勧請の勅許を賜り、同年の6月29日に神霊の遷宮を終えて遂に神宮創建を果たします。なお、当初の社号は「高嶺神明」だったそうです。
その後、後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額を賜ると「高嶺太神宮」「今伊勢」と称せられるようになったとされます。近代以降は昭和3年(1928年)に県社「高嶺神社」と称することになり、昭和22年(1947年)に「山口大神宮」と改称して現在に至るとされています。
なお、明治以前に伊勢神宮から直接分霊を受けて創建されたのは当社が唯一であり、式年遷宮についても伊勢神宮と同様に行うことになっていたようです。しかし、戦乱などの影響によって21年ごとに式年遷宮を行うことは叶わず、期日延期や規模縮小もあったとされます。最近では平成12年(2000年)に式年遷宮が行われたそうです。
祭神
山口大神宮の祭神は以下の通りです。
【内宮】
[主祭神]
・天照大御神(アマテラス):太陽を神格化した皇祖神であり、伊勢内宮の主祭神として有名
[配祀]
・天手力男命(アメノタヂカラオ):日本神話に登場する「力の強い神」とされる
・萬幡豊秋津姫命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ):オシホミミの妻であり、ニニギの母神にあたる
[内宮別宮 荒祭宮]
・荒御魂(アラミタマ)
・瀬織津姫命(セオリツヒメ):『大祓詞』に登場する神で、祓いを司る祓戸四神の一柱とされる女神
[内宮摂社 恵美須社]
・事代主命(コトシロヌシ):大己貴命(大国主、大物主)の子であり、恵比須神として信仰される
【外宮】
[主祭神]
・豊受大御神(トヨウケノオオミカミ):豊穣を司るとされる神で、伊勢外宮の主祭神として有名
[配祀]
・天津彦火瓊瓊藝命(アマツヒコヒコホノニニギ):天照大神の孫神であり、皇室の祖神とされる
・天兒屋根命(アメノコヤネ):「天岩戸神話」において祝詞を上げ、フトダマと共に鏡を差し出した神(藤原氏の祖神)
・天太玉命(アメノフトダマ):『日本神話』に登場する神で、岩戸隠れの際太占(フトマニ)を行った(忌部氏の祖神)
[合祀]
・建御名方神(タケミナカタ):大国主の御子神で、国譲りに反対してタケミカヅチと争った
・八坂刀自命(ヤサカトジ):タケミナカタの后神
[外宮別宮 多賀宮]
・荒御魂(アラミタマ)
・伊吹戸主命(イブキドヌシ):『大祓詞』に登場する神で、祓いを司る祓戸四神の一柱とされる神
[主祭神]
・天照大御神(アマテラス):太陽を神格化した皇祖神であり、伊勢内宮の主祭神として有名
[配祀]
・天手力男命(アメノタヂカラオ):日本神話に登場する「力の強い神」とされる
・萬幡豊秋津姫命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ):オシホミミの妻であり、ニニギの母神にあたる
[内宮別宮 荒祭宮]
・荒御魂(アラミタマ)
・瀬織津姫命(セオリツヒメ):『大祓詞』に登場する神で、祓いを司る祓戸四神の一柱とされる女神
[内宮摂社 恵美須社]
・事代主命(コトシロヌシ):大己貴命(大国主、大物主)の子であり、恵比須神として信仰される
【外宮】
[主祭神]
・豊受大御神(トヨウケノオオミカミ):豊穣を司るとされる神で、伊勢外宮の主祭神として有名
[配祀]
・天津彦火瓊瓊藝命(アマツヒコヒコホノニニギ):天照大神の孫神であり、皇室の祖神とされる
・天兒屋根命(アメノコヤネ):「天岩戸神話」において祝詞を上げ、フトダマと共に鏡を差し出した神(藤原氏の祖神)
・天太玉命(アメノフトダマ):『日本神話』に登場する神で、岩戸隠れの際太占(フトマニ)を行った(忌部氏の祖神)
[合祀]
・建御名方神(タケミナカタ):大国主の御子神で、国譲りに反対してタケミカヅチと争った
・八坂刀自命(ヤサカトジ):タケミナカタの后神
[外宮別宮 多賀宮]
・荒御魂(アラミタマ)
・伊吹戸主命(イブキドヌシ):『大祓詞』に登場する神で、祓いを司る祓戸四神の一柱とされる神
境内社
多賀神社
山口大神宮の境内にある多賀神社(たがじんじゃ)です。
滋賀県にある多賀大社の神を勧請した古社で、延寿・安産・縁結び・学業成就の神として信仰されているそうです。
【由緒】
創建年代不明の近江の多賀大社の分霊を勧請した古社で、永和年間(1375~1378年)に大内弘世が社殿を建立し、永正9年(1512年)に大内義興が重建したとされます。その後、永禄12年(1569年)の大内輝弘の乱で社殿が焼失したものの、慶長15年(1610年)に毛利輝元が再興したそうです。
昭和24年(1949年)に山口大神宮の境内に遷座し、国生みの神を祀ることから延寿・安産の神として親しまれ、さらに縁結び・学業成就などの信仰を集めているとされています。
【祭神】
・主祭神:伊弉諾尊・伊弉再尊
・配祀:天照大御神・素戔嗚命・少名彦名命・火具土神・国常立命・応神天皇・菅原道真命・大内教弘命
創建年代不明の近江の多賀大社の分霊を勧請した古社で、永和年間(1375~1378年)に大内弘世が社殿を建立し、永正9年(1512年)に大内義興が重建したとされます。その後、永禄12年(1569年)の大内輝弘の乱で社殿が焼失したものの、慶長15年(1610年)に毛利輝元が再興したそうです。
昭和24年(1949年)に山口大神宮の境内に遷座し、国生みの神を祀ることから延寿・安産の神として親しまれ、さらに縁結び・学業成就などの信仰を集めているとされています。
【祭神】
・主祭神:伊弉諾尊・伊弉再尊
・配祀:天照大御神・素戔嗚命・少名彦名命・火具土神・国常立命・応神天皇・菅原道真命・大内教弘命
その他
高嶺稲荷神社 |
山口大神宮のその他の境内社は以下の通りです。
・高嶺稲荷神社
・御嫡神社
・岩戸社(奥社)
・その他数社
・御嫡神社
・岩戸社(奥社)
・その他数社
境内の見どころ
石鳥居
山口大神宮の石鳥居です。
参道
山口大神宮の参道です。
外宮・内宮までは坂道になっています。
馬舎
山口大神宮の馬舎です。
中には2頭の木彫神馬が安置されています。
石敢當
山口大神宮の石敢當(いしがんどう)です。
石敢當とは中国発祥の魔除けの石碑であり、日本では主に九州や沖縄で見られるものだそうです。
鷲岩
山口大神宮の鷲岩です。
江戸時代にあった祇園社の神事に使われた岩で、神事の鷲舞が終わると岩上に鷲の頭や羽が置かれたそうです。
霊石(安産石)
山口大神宮の霊石です。
多賀神社横にある健康・病気平癒・安産などに御利益があるとされる石で、さすりながら祈願するようになっています。
なお、代行祈願もできるらしく、その場合は対象者の名前を唱えながら祈願することとされています。
神楽殿
山口大神宮の神楽殿です。
籾置石
山口大神宮の籾置石です。
この石の上に稲籾麦の種を置いて虫除・豊作を祈ったとされています。
外宮
山口大神宮の外宮です。
手前に別宮 多賀宮があります。
また、階段脇に奥社の参道があり、そこから岩戸社に行くことができます。
内宮
山口大神宮の内宮です。
手前に別宮 荒祭宮と摂社 恵美須社があります。
外宮と内宮
山口大神宮の外宮と内宮です。
こんな形で配置されています。
古殿地
山口大神宮の古殿地です。
式年遷宮のための土地となっています。
料金: 無料
住所: 山口県山口市滝町4-4(マップ)
営業: 不明(祈祷9:00~16:00)
交通: 山口駅(徒歩25分)
公式サイト: http://www.yamaguchi-daijingu.or.jp/
住所: 山口県山口市滝町4-4(マップ)
営業: 不明(祈祷9:00~16:00)
交通: 山口駅(徒歩25分)
公式サイト: http://www.yamaguchi-daijingu.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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