須佐神社の七不思議
2019/02/25
須佐神社の周辺には「七不思議」と称される7つの霊跡があります。
このページでは、それぞれの七不思議について特集していきたいと思います。
須佐神社 境内
塩ノ井(しおのい)
塩ノ井は須佐神社に入ってすぐの場所にある井戸で、スサノオが自ら潮を汲んで当地を清めるのに使ったといわれています。この井戸は日本海に続いており、満潮時には付近の地面が潮の花をふくそうです。
この井戸の水は成分分析の結果「芒硝含有食塩泉」で弱アルカリ性であるとされ、飲用ならば慢性消化器病・慢性咽頭炎・気管支炎・全身病(糖尿病・痛風など)・新陳代謝の活性に効くとされ、浴用ならば慢性リュウマチ・諸種の麻痺(経久性半身不随、小児麻痺の類)・通風・慢性生殖病・泌尿器諸病・貧血・腺病質・虚弱小児などに効果あるとされています(本泉は浴用を主とする)。
なお、案内板による解説は以下のとおりです。
【塩井(しおのい)】
須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたという。この塩井は大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間濁があるのは潮の干満と関係があるという。満潮のときには付近の地面に潮の花をふく。浴用、飲用に用いれば万病に効果があり、産湯に少し用いれば幼児が健康に育つという。わずかに塩味を感じる。(社記・島根の名水百選)
須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたという。この塩井は大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間濁があるのは潮の干満と関係があるという。満潮のときには付近の地面に潮の花をふく。浴用、飲用に用いれば万病に効果があり、産湯に少し用いれば幼児が健康に育つという。わずかに塩味を感じる。(社記・島根の名水百選)
神馬(しんめ)
当社の神馬は、始めにどんな毛色の馬であってもやがて白馬になり、吉凶禍福や国家の大事に関する予知をしたとされています。ですが今は無く、境内の神馬舎に神馬の木像が安置されており、さらに大杉がある場所の奥の川の畔に「神馬の墓」が設置されています(案内板は墓の近くにある)。
なお、案内板による解説は以下のとおりです。
【神馬(じんば)】
常立(とこたち)の馬と言う。どんな毛色の馬であっても白馬になり、吉凶禍福、また国の大事を良く予知したという。(社記)
常立(とこたち)の馬と言う。どんな毛色の馬であっても白馬になり、吉凶禍福、また国の大事を良く予知したという。(社記)
相生の松(あいおいのまつ)
相生の松は、かつて当地に生えていた雌雄一対となった松のことで、おそらくスサノオとイナダヒメの夫婦の象徴とされていたものと思われます。ですが今は無く、大杉の裏のあたりに跡地と案内板が立てられています。
なお、案内板による解説は以下のとおりです。
【相生の松(あいおいのまつ)】
本殿の裏に、一本の松であって雄松、雌松の両肌をもった松の木があった。昭和の初めに枯れて今は跡を残すのみとなっている。(社伝)
本殿の裏に、一本の松であって雄松、雌松の両肌をもった松の木があった。昭和の初めに枯れて今は跡を残すのみとなっている。(社伝)
須佐神社 境外
影無桜(かげなしさくら)
影無桜は、本殿の逆方向にある天照社付近にある桜の木で、昔 隠岐で不作が続いた際に知々井に住む者に「耕作が出来ないのは須佐大宮の境内にある大きな桜が隠岐に影をつくるためである。早く出雲へ渡って須佐の国造に頼んでその桜を切るように」との夢のお告げがあったとされ、そのために一度切られたんだそうです。
その後、その切り株から再び芽が出て花が咲くようになり、それから一度は枯れたものの、また芽が出るようになって今に至るという伝説の桜となっています。ちなみに一度切ったのは五穀豊穣の祈祷のことではないかともいわれているそうです。
なお、案内板による解説は以下のとおりです。
【陰無桜(かげなしさくら)】
昔、隠岐の国の知々井で、日が陰って稲作ができないところがあった。この原因を占ってみたところ、出雲の須佐大宮(須佐神社)の境内にある桜の陰がさすためだということで、さっそく須佐に来て国造に請うて伐ってもらったところ、稲が実るようになったという。その切り株から生えた桜は、以後枯れずに残り、現在に至っているという。(社伝)
昔、隠岐の国の知々井で、日が陰って稲作ができないところがあった。この原因を占ってみたところ、出雲の須佐大宮(須佐神社)の境内にある桜の陰がさすためだということで、さっそく須佐に来て国造に請うて伐ってもらったところ、稲が実るようになったという。その切り株から生えた桜は、以後枯れずに残り、現在に至っているという。(社伝)
・影無桜の場所(Googleマップ)
落ち葉の槇(おちばのまき)
落ち葉の槇は、昔 イナダヒメが於呂志古山(産子山誕生山)で出産した後に、産具を槙の葉(柏葉・松葉とも)で包んで流瀬川に流したところ、それが川畔に留まってそこに槙の木は生えたと伝わっている場所であり、この逸話は須佐神社の神紋である「蔓柏」のルーツになっているそうです。
場所については、出雲須佐温泉ゆかり館(温泉施設)前の通りを渡った先の小道を進んだところにあり、田んぼの中に1本の松の木が不自然に保護されているという変わった風景を望むことができます(詳しくは下記リンクを参照)。
なお、案内板による解説は以下のとおりです。
【落葉の槇(おちばのまき)】
須佐之男命の妃姫である稲田姫が御子をお産みになったとき、御産を槙の葉で綴(つづ)って川にお流しになった。それが流れ着いたところに槙の木が生えた。今でも槙の葉の縁には松葉で刺したような穴があるという。(雲陽誌)
須佐之男命の妃姫である稲田姫が御子をお産みになったとき、御産を槙の葉で綴(つづ)って川にお流しになった。それが流れ着いたところに槙の木が生えた。今でも槙の葉の縁には松葉で刺したような穴があるという。(雲陽誌)
・落ち葉の槇の場所(Googleマップ)
雨壺(あまつぼ)
雨壺は、田の中にある大岩のくぼみに芝生が生えたもので、これを犯せば須佐大神の怒りに触れて洪水が起こるといわれています。昔 これを犯した者がおり、その翌日に暴風雨と共に洪水が起こったことから、その者が村を追い出されたという事実もあるんだそうです。
場所については、須佐神社の北方にある厳島神社から南に進んだ分かれ道あたりにある溝の中にあり、現在は雑草が生い茂ってくぼみ自体は見ることができませんでしたが、案内板は見ることができます。
なお、案内板による解説は以下のとおりです。
【雨壺(あまつぼ)】
境内摂社の厳島神社の下、道路下の田の畔に岩がある。その岩に穴があり、これをかき回すと神の怒りで洪水が起こるという。あるとき、この禁制を犯して悪さをした者があった。ところが翌日から暴風雨となって川が氾濫するという事件が起こって、その人は村から追放されたという。(社伝)
境内摂社の厳島神社の下、道路下の田の畔に岩がある。その岩に穴があり、これをかき回すと神の怒りで洪水が起こるという。あるとき、この禁制を犯して悪さをした者があった。ところが翌日から暴風雨となって川が氾濫するという事件が起こって、その人は村から追放されたという。(社伝)
・雨壺の場所(Googleマップ)
星滑(ほしなめら)
星滑は須佐の中山の頂上のあたりの滑らかな岩肌の中央にある光って星のように見えるところのことで、これが大きく光れば(光る部分が多ければ)豊年(豊作)になり、小さく光れば(光る部分が少なければ)凶年(不作)になるそうです。
場所については、須佐神社の南方にある風土神社方面にあったと思いますが、詳しい場所は忘れてしまいました。また、とりあえず案内板は確認することはできましたが「光る部分」はよく分かりませんでした。
なお、案内板による解説は以下のとおりです。
【星滑(ほしなめら)】
須佐の中山の頂近く、滑らかな岩肌が見え、その中央に光るものがある。これは星であってそれが大きく光ればその年は豊作、小さければ不作であるという。(社伝)
須佐の中山の頂近く、滑らかな岩肌が見え、その中央に光るものがある。これは星であってそれが大きく光ればその年は豊作、小さければ不作であるという。(社伝)
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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