赤穂大石神社 [兵庫県]
2019/08/25
兵庫県赤穂市にある大石神社(おおいしじんじゃ)です。
大正時代に創建された神社で、「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助ら47名の赤穂浪士を祀っています。
赤穂浪士が主君の仇討ちを果たしたことから「大願成就」の神徳で信仰を集めているそうです。
神社概要
由緒
当社は赤穂事件において吉良上野介を討った大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士47名および、萱野三平(赤穂浅野氏の家臣)、赤穂浅野家三代(長直・長友・長矩)、森家七将(可成、可隆、長可、成利、長隆、長氏、忠政)を祀る神社です。
赤穂事件以降、当地(旧赤穂城内の大石邸内)には赤穂浪士を称揚する人々により小さな祠が設けられ密かに祀られていたとされ、明治元年(1868年)の東京行幸の際に明治天皇より泉岳寺の義士墓前に宣旨と金幣を賜ったのをきっかけに神社創建の話が持ち上がり、明治33年(1900年)に神社創立の公許を得て、大正元年(1912年)11月3日に創建に至ったとされます。
そして、第二次世界大戦後に赤穂城内の神社に祀られていた赤穂浅野家三代および、城外の赤穂神社に祀られていた森家七将を合祀したそうです。なお、例祭日は赤穂義士が吉良邸に討ち入った12月14日となっており、境内地には大石内蔵助、藤井又左衛門、片岡源五右衛門、大石瀬左衛門の邸宅跡や、赤穂浪士の遺品などを展示する義士宝物殿などがあります。
祭神
大石内蔵助 |
赤穂大石神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・大石内蔵助良雄以下四十七士命:吉良邸に討ち入りを果たした赤穂浪士47名
・萱野三平:赤穂藩浅野氏の家臣(討ち入り前に忠孝のはざまで自刃した赤穂藩士として有名)
【合祀神】
・浅野家三代:浅野長直、浅野長友、浅野長矩(浅野内匠頭)
・森家七将:森可成、森可隆、森長可、森成利(蘭丸)、森長隆(坊丸)、森長氏(力丸)、森忠政
・大石内蔵助良雄以下四十七士命:吉良邸に討ち入りを果たした赤穂浪士47名
・萱野三平:赤穂藩浅野氏の家臣(討ち入り前に忠孝のはざまで自刃した赤穂藩士として有名)
【合祀神】
・浅野家三代:浅野長直、浅野長友、浅野長矩(浅野内匠頭)
・森家七将:森可成、森可隆、森長可、森成利(蘭丸)、森長隆(坊丸)、森長氏(力丸)、森忠政
境内社
大石稲荷社 |
赤穂大石神社の境内社は以下の通りです。
【境内社合祀殿】
・山鹿社:山鹿素行命を祀る
・天満宮:菅原道真を祀る
・八田社:厳島大明神を祀る
・恵美寿宮:恵比寿神を祀る
・国助稲荷社:宇迦乃御魂を祀る
・淡島社:淡島明神を祀る
・忠魂社:赤穂出身の英霊を祀る
【大石邸庭園内】
・大石稲荷社(受取り稲荷)
・山鹿社:山鹿素行命を祀る
・天満宮:菅原道真を祀る
・八田社:厳島大明神を祀る
・恵美寿宮:恵比寿神を祀る
・国助稲荷社:宇迦乃御魂を祀る
・淡島社:淡島明神を祀る
・忠魂社:赤穂出身の英霊を祀る
【大石邸庭園内】
・大石稲荷社(受取り稲荷)
関連知識
赤穂事件とは?
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赤穂事件とは、江戸時代中期に起こった「赤穂浪士による仇討ち事件」のことです。
この事件の発端は、元禄14年(1701年)に江戸城松之廊下で赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が高家・吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかり、傷を負わせたことに始まります(「松之廊下刃傷事件」と呼ばれる)。
このとき、浅野内匠頭は江戸城にて朝廷から派遣された勅使の接待役であり、吉良上野介はその指南役でした。浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった理由は「遺恨」とされていますが、詳しくは分かっておらず様々な説が唱えられています。
この刃傷事件の結果、浅野内匠頭は即日切腹を命じられ、浅野家も断絶となりました。一方、吉良上野介には何のおとがめもありませんでした。なお、当時の武家社会では喧嘩両成敗(双方の処罰)が当たり前でしたので、浅野内匠頭だけが処罰された事態に家臣たちは不満を募らせました。
そこで、浅野家の家臣たちは筆頭家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を中心に主君の仇討ちの誓いを立てます。その後、赤穂浅野家はお取り潰しとなったため 家臣たちは散り散りになりますが、各々が町人や浪人に姿を変えて仇討ちの決行を待ちました。
このとき、世間では「きっと仇討ちが行われるだろう」との噂が立ったため、吉良上野介も仇討ちに備え、浪人を雇って待ち構えました。しかし、大石内蔵助はすぐ仇討ちを決行せず、しばらくの間は遊んで暮らして過ごしました。これは「吉良上野介を油断させるため」などと言われています。
浅野内匠頭の死から1年10ヶ月後、世間で仇討ちの噂が消えて吉良上野介も油断してきた頃に、大石内蔵助は家臣達を江戸の蕎麦屋に集めて吉良邸討ち入りの準備をしました。そして、元禄15年(1702年)12月14日の夜に吉良邸討ち入りを決行し、吉良に雇われた浪人達との激闘の末、遂に吉良上野介の首を討ち取りました。
その後、家臣たちは吉良上野介の首を掲げて泉岳寺(浅野家の菩提寺)に向かい、浅野内匠頭の墓前に吉良の首を手向けて仇討ちを報告したといいます。なお、討ち入りに参加した家臣は赤穂浪士(あこうろうし)または赤穂義士(あこうぎし)と呼ばれ、47名であったことから四十七士とも呼ばれています。
この事件の後、吉良家は断絶とされ、赤穂浪士は切腹を言い渡されました。なお、当時の切腹は武士として名誉に当たる裁きであり、世間からも「忠義を守り抜いた武士」として高い評価を得ました。そのため、この事件は後に「忠臣蔵」として小説や演劇に描かれるようになり、今では映画やドラマにもなって高い人気を集めています。
参考動画:アニメで見る忠臣蔵(youtube)
境内の見どころ
鳥居
赤穂大石神社の鳥居です。
門柱
赤穂大石神社の門柱です。
裏には当社創立に関することが刻まれています。
四十七士像
赤穂大石神社の四十七士像です。
鳥居から神門までの間に赤穂浪士47名の石像が並べられています。
神門
赤穂大石神社の神門です。
門は神戸の湊川神社から移築されたもので、義士の忠芬義芳を伝える意味で「義芳門」と呼ばれています。
恵比寿・大黒木像
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赤穂大石神社の恵比寿・大黒木像です。
恵比寿像は商売繁盛・社運隆昌、大黒像は開運招福・夫婦円満の神徳があるとされています。
それぞれを撫でながら祈願すると御利益が得られるそうです。
大石内蔵助良雄像
赤穂大石神社の大石内蔵助良雄像です。
さざれ石
赤穂大石神社のさざれ石です。
十二支えと石像
赤穂大石神社の十二支えと石像です。
拝殿
赤穂大石神社の拝殿です。
赤穂事件の解説
拝殿の周囲には赤穂事件の浮世絵と解説文が掲げられています。
水みくじ
赤穂大石神社では、水に浸すと結果が出てくる水みくじができます。
一文字流し
赤穂大石神社の一文字流しです。
不安や悩みを漢字一文字で書いて水に流すと、それが水に溶けるように消えるという祈願だそうです。
義士宝物殿
赤穂大石神社の義士宝物殿です(有料)。
武具や肖像掛軸など義士にまつわる宝物の展示が行われています。
大石邸庭園
赤穂大石神社の大石邸庭園です(有料)。
邸内には大石内蔵助らの屋敷跡があり、人形で当時の様子が再現されています。
また、併設されている義士木像奉安殿には四十七士などの木像の展示が行われています。
子宝陰陽石
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大石邸庭園にある子宝陰陽石です。
男性を表す陽石と女性を表す陰石の2つの奇岩で、夫婦和合や子孫繁栄の信仰を集めています。
料金: 無料(義士宝物館ほか 大人450円 中学生以下無料)※公式サイト参照
住所: 兵庫県赤穂市上仮屋字東組131-7(マップ)
営業: 8:30~17:00
交通: 播州赤穂駅(徒歩14分)
公式サイト: http://www.ako-ooishijinjya.or.jp/
住所: 兵庫県赤穂市上仮屋字東組131-7(マップ)
営業: 8:30~17:00
交通: 播州赤穂駅(徒歩14分)
公式サイト: http://www.ako-ooishijinjya.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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