龍田大社 [奈良県]
2015/09/07
奈良県生駒郡三郷町にある龍田大社(たつたたいしゃ)です。
『延喜式』の「龍田風神祭祝詞」によれば、第10代崇神天皇の時代(紀元前1世紀頃?)に創建された古社であり、風の神(風神)として古くから信仰を集めているそうです。
また、『日本書紀』によれば、「天武4年4月10日、風の神を龍田の立野(三郷町)に祀らせ…」とあり、「壬申の乱」を経て即位した第40代天武天皇によって祀られた神社であると記されています。
なお、河合町の廣瀬大社と併せて、天武天皇・持統天皇は幾度となく参拝したということも記録されている神社です。
神社概要
由緒
延喜式「龍田風神祭祝詞」によれば、第10代崇神天皇の御代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願すると、天皇の夢に大神が現れ「御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀りなさい」という神託が下ったことから、神託に従って社殿を造営すると作物は豊作となり、疫病は退散したとされ、これが当社の起源とされています。
また、国史である『日本書紀』には、天武天皇4年(675年)4月10日に「勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀った」とあり、これが国史における初見となっています。
そのほか、『延喜式神名帳』では大和国平群郡に「竜田坐天御柱国御柱神社二座 並名神大 月次新嘗」として、二座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かったと記されています。
祭神
【本殿】
・天御柱命(あめのみはしらのみこと):祝詞によれば、男神・級長津彦命(シナツヒコ)と同神とされる
・国御柱命(くにのみはしらのみこと):祝詞によれば、女神・級長戸辺命(シナツヒメ)と同神とされる
シナツヒコ・シナツヒメは、『古事記』では神産みにおいてイザナギ・イザナミの間に生まれた風の神であり、『日本書紀』の異伝では、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命(シナトベ)またの名を級長津彦命という風の神が生まれたと記されています。
また、上記の神々は「龍田の風神」と総称され、広瀬の水神と並んで 天武天皇・持統天皇に尊崇されていました。
しかし、「壬申の乱」の際、大海人皇子(天武天皇)は伊勢神宮に遥拝して多くの味方を得たとされています。それにもかかわらず、戦に勝利した後に、伊勢ではなく龍田・広瀬の神々を深く尊崇した理由については不明です。
【摂社】
・龍田比古命(たつたひこのみこと)
・龍田比売命(たつたひめのみこと)
『延喜式』によれば、龍田地区を守護していた氏神である伝えられる夫婦神です。
なお「龍田」の地名は古く、神武天皇の時代にまで遡るとされています。
【末社】
・上座:天照大御神、住吉大神
・中座:牧岡大神、春日大神
・下座:高望王(たかもちおう)の妃
・天御柱命(あめのみはしらのみこと):祝詞によれば、男神・級長津彦命(シナツヒコ)と同神とされる
・国御柱命(くにのみはしらのみこと):祝詞によれば、女神・級長戸辺命(シナツヒメ)と同神とされる
シナツヒコ・シナツヒメは、『古事記』では神産みにおいてイザナギ・イザナミの間に生まれた風の神であり、『日本書紀』の異伝では、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命(シナトベ)またの名を級長津彦命という風の神が生まれたと記されています。
また、上記の神々は「龍田の風神」と総称され、広瀬の水神と並んで 天武天皇・持統天皇に尊崇されていました。
しかし、「壬申の乱」の際、大海人皇子(天武天皇)は伊勢神宮に遥拝して多くの味方を得たとされています。それにもかかわらず、戦に勝利した後に、伊勢ではなく龍田・広瀬の神々を深く尊崇した理由については不明です。
【摂社】
・龍田比古命(たつたひこのみこと)
・龍田比売命(たつたひめのみこと)
『延喜式』によれば、龍田地区を守護していた氏神である伝えられる夫婦神です。
なお「龍田」の地名は古く、神武天皇の時代にまで遡るとされています。
【末社】
・上座:天照大御神、住吉大神
・中座:牧岡大神、春日大神
・下座:高望王(たかもちおう)の妃
境内社
末社・龍田恵美須神社
龍田大社の末社・龍田恵美須神社(たつたえびすじんじゃ)です。
鎌倉中期(1243年)に、えびす神社の総本社である西宮神社から勧請された神社であるとされています。
商売繁盛・福徳開運・家庭円満の御神徳があるそうです。
末社・三室稲荷神社
龍田大社の末社・三室稲荷神社(みむろいなりじんじゃ)です。
創建鎮座については不詳とされていますが、古くから祀られている神社であるとされています。
商売繁盛の御神徳があるそうです。
末社・白龍神社
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龍田大社の末社・白龍神社(はくりゅうじんじゃ)です。
江戸末期、龍田神社の神域に現れた「白蛇」を神として祀っていたところ、一夜にして姿を消したことから騒動になったとされ、その後、明治41年の春に葛城郡の「にごり池」に「白龍」の姿で出現したことから、当地に迎えて祀られるようになったことされます。
現在では龍田大明神の神使であり、縁結び・浄難災難除けの神とされ、特に女性の篤く尊崇されているそうです。
なお、白龍神社の奥には「白龍大神」される磐座が祀られており、「水をかけられることを好む神」とされることから、水を掛けて参拝することとされています。
末社・下照神社
龍田大社の末社・下照神社(しもてるじんじゃ)です。
明治時代に創建された祖霊社とされています。
境外摂社・龍田神社
斑鳩町の法隆寺付近にある龍田神社(たつたじんじゃ)です。
かつては「龍田比古龍田比売神社」という神社でしたが、明治時代に龍田大社の摂社となったとされています。法隆寺の創建に因む伝承があり、なかなか興味深い神社です。
龍田神社についてはこちらの記事を参照:【龍田神社】
境外末社・神奈備神社
龍田大社の周辺に位置する神奈備神社(かんなびじんじゃ)です。
祭神に神奈備神、坂根天神、今井天神を祀っている神社とされています。
神奈備神社についてはこちらの記事を参照:【神奈備神社】
境内の見どころ
鳥居
龍田大社の鳥居です。
神仏習合を現わす両部鳥居となっています。
拝殿
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龍田大社の拝殿です。
拝殿の柱に巻きついた注連縄(しめなわ)は他に類を見ない形になっています。「龍」にちなんでいるのでしょうか?
なお、夕暮れ時には太鼓の音とともに拝殿で祝詞が読み上げられます。
本殿
龍田大社の本殿です。
祈祷参集殿
龍田大社の祈祷参集殿(きとうさんしゅうでん)です。
緑の瓦が使用された建物となっています。また内装には、陰陽五行の色が使用されているそうです。
社務所
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龍田大社の社務所です。
入口には、雅楽の蘭陵王(らんりょうおう)の屏風画が飾られています。
手水舎
龍田大社の手水舎です。
巨石をくり抜いた形になっています。
遥拝所
龍田大社の遥拝所です。
おそらく伊勢神宮の遥拝所とされているものと思われます。
砲身と砲弾
龍田大社には、砲身と砲弾が安置されています。
大正時代に奉納された日露戦争の戦利品なんだそうです。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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