人文研究見聞録:五社神社・諏訪神社 [静岡県]

静岡県浜松市中区利町にある五社神社(ごしゃじんじゃ)・諏訪神社(すわじんじゃ)です。

元々は別の神社だったものの、昭和37年(1962年)に隣接した両社を合祀して発足したとされています。

なお、両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、子守り・子育ての神として崇敬を集めているそうです。


五社神社

五社神社の由緒

社伝によれば、戦国時代初期に曳馬城(後の浜松城)の城主・久野越中守が城内に創建したと伝えられています。

後に徳川家康が浜松城主となり、天正7年(1579年)4月7日に三男・長松(後の徳川秀忠)が誕生すると当社を産土神として崇敬し、現在地に社殿を造営して、天正8年(1580年)遷座したとされています。

そして、慶長15年(1610年)に秀忠から100石が寄進され、寛永11年(1634年)の家光上洛の際、東照宮を勧請して200石が加えられ、以降、300石の朱印地を領することになったそうです。

また、その時に改めて社殿の造営が為され、寛永18年(1641年)に竣工したとされます。この社殿は「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ お江戸まさりの五社や諏訪」と謡われ、戦前まで国宝建造物に指定されていたそうです。

なお、「五社神社」という社名は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を祀るところから来ているとされ、元々は太玉命を祀る神社だったものに春日大社の祭神四柱を勧請して、現在の五柱となったものと推定されているようです。

五社神社の祭神

主祭神

・太玉命(フトダマ):忌部氏の遠祖
・武雷命(タケミカヅチ):中臣氏(後の藤原氏)の氏神(高天原の命令で国譲りを迫った神)
・斎主命(イワイヌシ):別名 経津主神(フツヌシ)と言い、タケミカヅチと対で登場する神
・天児屋根命(アメノコヤネ):中臣氏の祖神で春日権現(かすがごんげん)とも
・姫大神(ヒメオオカミ):女神とされているが、詳しくは不明

相殿神

・応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇で、八幡神としても信仰される
・舎人親王(とねりしんのう):第40代天武天皇の皇子で、『日本書紀』の編集も総裁したとされる
・菅原道真(すがわらのみちざね):平安時代の貴族(政治家)で、現在は天満天神として信仰される
・徳川家康(とくがわいえやす):江戸幕府の初代征夷大将軍、東照宮では東照大権現として祀られる

諏訪神社

諏訪神社の由緒

社伝によれば、延暦10年(791年)、坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村に奉斎したと伝えられています。

その後、弘治2年(1556年)に神託によって曳馬城下の大手前に遷され、天正7年(1579年)の徳川秀忠の誕生の際には五社神社と同じく産土神として崇敬を受け、天正7年(1579年)に徳川家康によって社殿が造営されたそうです。

そして、元和元年(1615年)に秀忠によって社地を杉山に改められ、さらに寛永11年(1634年)の家光上洛の際に五社神社と同じく東照宮を勧請し、社領の加増を受けると共に社地を現在地に遷したとされ、寛永18年(1641年)に家光の命によって五社神社の隣に社殿を造営したとされています。

なお、その時の社殿は、昭和期に国宝に指定されたものの、昭和20年(1945年)の戦災により消失してしまったそうです。

諏訪神社の祭神

主祭神

・建御名方命(タケミナカタ):大国主の子であり、国譲りの際にタケミカヅチと争った(諏訪大神とする説がある)
・八坂刀売命(ヤサカトメ):タケミナカタの妃神に当たる神(『記紀神話』には登場しない)
・事代主命(コトシロヌシ):大国主の子であり、国譲りの際に主権譲渡を承諾した(恵比須と習合することが多い)

相殿神

・徳川家康(とくがわいえやす):江戸幕府の初代征夷大将軍、東照宮では東照大権現として祀られる

境内の見どころ

出世絵馬

人文研究見聞録:五社神社・諏訪神社 [静岡県]

五社神社・諏訪神社では、祭神の徳川家康に因む出世絵馬が販売されています。

なお、絵馬のデザインはブラウザゲームの「戦国IXA」とコラボレーションしたものになっています。

料金: 無料
住所: 静岡県浜松市中区利町302-5(マップ
営業: 8:30~17:30、無休
交通: JR浜松駅(徒歩10分)

公式サイト: http://www.gosyajinjya-suwajinjya.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。