白峰神宮 [京都府]
2017/11/09
京都府京都市上京区にある白峯神宮(しらみねじんぐう)です。
平安末期の保元の乱に敗れ、讃岐に流された崇徳院の慰霊のため、明治期に創建された神社であるとされています。
また、境内社の地主社ではあらゆるスポーツの神を祀っていることから、スポーツ選手の篤い崇敬を集めているそうです。
そのため、本殿および地主社には、スポーツ選手などから奉納された多数のボールが安置されています。
神社概要
由緒
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| 崇徳上皇(崇徳院) |
平安末期、保元の乱に敗れた崇徳上皇(崇徳院)は讃岐に流され、その地で没したとされます。上皇の死後、天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵の前に慰霊のための御影堂(現・頓証寺殿)が建立されたそうです。
幕末の動乱期になると、孝明天皇は未曾有の国難に対する祈願をするため、崇徳上皇の神霊を京都に移すよう幕府に命じ、その後間もなく崩御しとされ、次代の明治天皇がその意を継いで、明治元年(1868年)に現在地に社殿を造営し、御影堂の神像を移して、白峯宮を創建したとされています。
そして、明治6年(1873年)に藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路に配流となり、そこで亡くなった淳仁天皇(淡路廃帝)の神霊を淡路から迎えて合祀し、官幣中社となり、昭和15年(1940年)に官幣大社に昇格し、神宮号の宣下を受けて「白峯神宮」となり、現在に至るとされています。
祭神
白峰神宮の祭神は以下の通りです。
・崇徳天皇(すとくてんのう):第75代天皇(崇徳上皇、崇徳院とも)
→ 鳥羽天皇の第一皇子(ただし、白河院の子とする伝説もある)
→ 「保元の乱」で敗北して讃岐に流された後、後白河院とのやり取りで憤死したとされる(下記を参照)
→ 死後、怨霊となって天皇家に祟りを為したとされるため、日本三大怨霊の一に数えられている
・淳仁天皇(じゅんにんてんのう):第47代天皇(淡路廃帝とも)
→ 舎人親王(天武天皇の皇子)の第7子
→ 重用した藤原仲麻呂の道鏡排斥(藤原仲麻呂の乱)が失敗に終わると、帝位を廃されて淡路に流された
→ 鳥羽天皇の第一皇子(ただし、白河院の子とする伝説もある)
→ 「保元の乱」で敗北して讃岐に流された後、後白河院とのやり取りで憤死したとされる(下記を参照)
→ 死後、怨霊となって天皇家に祟りを為したとされるため、日本三大怨霊の一に数えられている
・淳仁天皇(じゅんにんてんのう):第47代天皇(淡路廃帝とも)
→ 舎人親王(天武天皇の皇子)の第7子
→ 重用した藤原仲麻呂の道鏡排斥(藤原仲麻呂の乱)が失敗に終わると、帝位を廃されて淡路に流された
境内社
地主社
白峯神宮の境内社・地主社(じしゅしゃ)です。あらゆるスポーツの神を祀っているとされています。
祭神
・精大明神:球技・スポーツ芸能上達の神(七夕の神とも)
・柊大明神:厄除・延命長寿の神 例祭2月節分
・今宮大神:無病息災の神
・白峯天神:学業成就の神
・糸元大明神:織物繁栄・和装の神
・精大明神:球技・スポーツ芸能上達の神(七夕の神とも)
・柊大明神:厄除・延命長寿の神 例祭2月節分
・今宮大神:無病息災の神
・白峯天神:学業成就の神
・糸元大明神:織物繁栄・和装の神
潜龍社
白峯神宮の境内社・潜龍社(せんりゅうしゃ)です。
昭和30年に行われた御火焚祭で、火炎の中に出現したとされる水神(潜龍大神)を祀る御宮として創建されたそうです。
祭神
・潜龍大神(龍神):悪縁断ち、盗難災難除、病気平癒、事業隆昌の神
・潜龍大神(龍神):悪縁断ち、盗難災難除、病気平癒、事業隆昌の神
伴緒社
白峯神宮の境内社・伴緒社(とものおしゃ)です。
武道・弓道上達の神として弓の名手である源為義・源為朝父子を祀っているとされています。
祭神
・源為義(みなもとのためよし):「保元の乱」で崇徳上皇方の主力として戦った
・源為朝(みなもとのためとも):「保元の乱」で父・為義と共に崇徳上皇方で戦った
・源為義(みなもとのためよし):「保元の乱」で崇徳上皇方の主力として戦った
・源為朝(みなもとのためとも):「保元の乱」で父・為義と共に崇徳上皇方で戦った
関連知識
崇徳上皇とは?
崇徳上皇(すとくじょうこう)とは、平安時代の第75代天皇(崇徳天皇)を指します。元永2年(1119年)に鳥羽天皇と待賢門院(藤原璋子)の長男として生まれ、保安4年(1123年)正月に白河院の命により、わずか5歳で皇太子になり、同日に即位したとされています。
しかし、父である鳥羽院には疎んじられており、後に鳥羽院が寵愛した美福門院(藤原得子)の子である体仁親王に譲位するよう迫られたため、永治元年(1141年)に近衛天皇(体仁親王)が即位したとされます。そして、久寿2年(1155年)に近衛天皇が崩御すると、後白河天皇に皇位が引き継がれ、次に後白河天皇の皇子である二条天皇が即位することになったため、崇徳上皇の皇子・重仁親王への皇位継承は絶たれ、崇徳上皇の実権は無くなったとされます。
また、保元元年(1156年)5月に鳥羽院が病に倒れた際、崇徳上皇は院宣によって見舞いすら許されず、加えて、葬式への参列も拒まれたとされています(陵への参拝も禁じられたとされる)。なお、崇徳上皇がここまで疎んじられた理由として、『古事談』には「崇徳天皇が白河法皇の子であり、鳥羽法皇は崇徳天皇を『叔父子』と呼んで忌み嫌っていた」という逸話が記されているそうです。
その後、皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った「保元の乱」が勃発し、その結果、崇徳上皇方が敗北したため、崇徳上皇は出家し、後に讃岐に流されたとされます。
『保元物語』によれば、崇徳院は讃岐国での軟禁生活の中で仏教に深く傾倒し、極楽往生を願って五部大乗経(法華経・華厳経・涅槃経・大集経・大品般若経)の写本作りに専念したとされます。そして、戦死者の供養と反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、後白河院は「呪詛が込められているのではないか」と疑ってこれを拒否し、写本を送り返してきたそうです。
これに激怒した崇徳院は舌を噛み切り、その血で写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と書き込んで爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になり、生きながら天狗になったとされています(伝説にはいくつかのバリエーションがあり、史実では讃岐で没し、白峯陵に葬られたとされる)。
なお、崇徳上皇の来歴および保元の乱については、以下のビデオが参考になると思います。
崇徳院の怨霊伝説
崇徳院の死後、後白河院はそれを無視したため 朝廷による措置は無く、国司による葬礼のみが行われたとされます。そのためか、安元3年(1177年)に後白河院政を揺るがす大事件が次々と始まったとされます。
まず、後白河院の寵姫で政治顧問も兼ねていた平滋子が突然の病に倒れ、看護の甲斐なく35歳の若さで死去したとされます。これは政情に大きな波紋を呼び起こし、崇徳上皇を見限った平家にとって大打撃となったとされています。次いで、後白河方の大将を務めた藤原忠通の養女にして近衛天皇の中宮・九条院呈子も死去する等、後白河・忠通所縁の人々が死去したとされます。
また、平安京を焼き尽くした安元の大火(太郎焼亡)が起こり、さらに鹿ケ谷の陰謀事件によって後白河院の側近が次々と処刑されることになったとされています。その後、源平合戦が起こって政治の実権が朝廷から武家に移り、かくして崇徳院の宣言が現実のものになったことから、人々はこれら一連の事件を崇徳院の怨霊と恐れたそうです。
そのため、王政復古の後、明治天皇は白峯神宮を創建し、白峯陵に勅使を派遣して崇徳院に正式に謝罪したとされます。また、東京オリンピックの際にも、昭和天皇が白峯陵に勅使を派遣して式年祭を催したとされています(その際、水不足に悩んでいた香川県内に大雨が降ったとも)。
スポーツの守護神
白峯神宮の社地は、かつて蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地であり、摂社・地主社に祀られる精大明神(せいだいみょうじん)は蹴鞠の守護神であるとされています。
そのため、現在では球技全般およびスポーツの守護神とされ、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多いそうです(社殿にはサッカーやバレー選手や関係者から奉納されたボールなどが奉納されている)。
境内の見どころ
鳥居
白峯神宮の鳥居です。
拝殿
白峯神宮の拝殿です。
本殿
白峯神宮の本殿です。
スポーツ選手などから奉納されたボールが置かれています。
崇徳天皇欽迎之碑
白峯神宮にある崇徳天皇欽迎之碑です。
蹴鞠の碑
白峯神宮にある蹴鞠の碑(けまりのひ)です。
潜龍井(笑い龍)
白峯神宮の潜龍社の前にある潜龍井です。笑い龍と呼ばれる龍の石像の口から霊水が出ています。
この霊水を飲むと、家系にまつわる諸々の悪縁を断ち、盗難災難除・病気平癒・事業隆昌などに御利益があるそうです。
料金: 参拝無料
住所: 京都市上京区今出川通り堀川東飛鳥井町261番地
営業: 8:00~17:00、無休
交通: 今出川駅(徒歩8分)
公式サイト: http://shiraminejingu.or.jp/
住所: 京都市上京区今出川通り堀川東飛鳥井町261番地
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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