人文研究見聞録:鬼の雪隠

奈良県の明日香村にある「鬼の爼(おにのまないた)」と「鬼の雪隠(おにのせっちん)」です。

花崗岩で造られた遺構とされており、双方共に鬼にまつわる伝説があります。


鬼の爼

鬼の爼の概要

人文研究見聞録:鬼の爼

鬼の爼(おにのまないた)とは、明日香村の謎の石造物の一つです。

花崗岩の平たい石に意味深な溝が彫られており、何かのパーツのように見えるのが特徴です。

通説では、鬼の雪隠と併せて石槨の一部(底石)であると考えられています。

また、鬼が通行人を捕らえて この上で調理したとも云われています。

なお、案内板では以下のように説明されています。

鬼の爼・雪隠は、封土を失った古墳の石室であり、もとは花崗岩の巨石を精巧に加工した底石・蓋石・扉石の3個を組み合わせたものであった。

いまは、底石(爼)と蓋石(雪隠)だけが分離して残っている。大化2年(646年)の薄葬令の規制に合わせて作られている。


霧ヶ峰と呼ばれるこの一帯にはが住み、通行人に霧を降らせ、迷ったところをとらえて爼の上で料理し、雪隠で用を足したという伝説がある。

鬼の爼のスペック

人文研究見聞録:鬼の爼
正面
人文研究見聞録:鬼の爼
側面
人文研究見聞録:鬼の雪隠
全体像

鬼の爼のスペックは以下の通りです。

鬼の爼のサイズ・材質

・長さ:約4.5m 
・横幅:約2.7m 
・厚さ:約1.0m
・材質:花崗岩

鬼の爼の特徴

長方形である
表面に溝が刻まれている(溝はかなりシャープである)
表面に穴がある(高取城の石垣の石材に利用しようとしたと考えられている)
鬼の雪隠と合わせて、石槨の底石であると考えられている

鬼の雪隠

鬼の雪隠の概要

人文研究見聞録:鬼の雪隠

鬼の雪隠(おにのせっちん)は、明日香村の謎の石造物の一つです。

花崗岩を精緻に成形した石造物であり、何かのパーツのように見えるのが特徴です。

通説では、鬼の爼と併せて石槨の一部(蓋石)であると考えられています。

また、鬼が此処で用を足したと伝えられているため、「雪隠(トイレ)」と名付けられています。

なお、案内板では以下のように説明されています。

鬼の雪隠は墳丘土を失った終末期古墳(7世紀後半・飛鳥時代)の石室の一部である。

本来は花崗岩の巨石を精巧に加工した底石・蓋石・扉石の3個の石を組み合わせたもので、鬼の雪隠はその蓋石にあたり、上方にある鬼の爼(底石)から横転してきた状態にある。

この周辺は霧ヶ峰と呼ばれ、鬼が住み、通行人に霧を降らせ迷ったところをとらえて、爼の上で料理し、雪隠で用を足したという伝説がある。

鬼の雪隠のスペック

人文研究見聞録:鬼の雪隠
正面
人文研究見聞録:鬼の雪隠
側面
人文研究見聞録:鬼の雪隠
正面像

鬼の雪隠のスペックは以下の通りです。

鬼の雪隠のサイズ・材質

・長さ:約2.8m
・内幅:約1.5m
・高さ:約1.3m
・材質:花崗岩

鬼の雪隠の特徴

巨石をくり抜いて加工している
成形箇所は精緻に加工されている
鬼の雪隠と合わせて、石槨の蓋石であると考えられている
斉明天皇の孫・建皇子の墓所であると考えられている(枠内の立ち入りは禁止) 

まとめ

人文研究見聞録:鬼の雪隠
石槨想像図

鬼の爼・鬼の雪隠についての情報をまとめると、以下のようになります。

材質は花崗岩である
巨石を精巧に加工して造られている
鬼にまつわる伝説から、この名で呼ばれている
飛鳥時代(7世紀後半)に造られた石槨の部品(石室・底石)であると考えられている
斉明天皇と健皇子の墓所とも考えられている

なお、一般的に知られる名称が「鬼の爼・雪隠」とされていることから、この石造物には具体的な由緒や文献が残されていないものと考えられます(信憑性の高い文献が存在するならば、○○遺跡や○○古墳という名称が付くハズ)。

そのため、石槨という説を裏付ける具体的な証拠は未だに見つかっておらず、便宜上割り当てられた仮説の域を脱していないものと思われます。ゆえに、この石造物の歴史を物語る証拠として「鬼の人食い伝説」が筆頭に挙がっているのでしょう。(なお、この伝説の発祥については、ネットで調べた限りではわかりませんでした)。

しかし、鬼が人間を料理したり用を足すために、わざわざ巨石を加工するなど考えにくいものです。

ですので、鬼の伝説が実在したと仮定しても、それは鬼がもともと在った石造物を、爼や雪隠として転用しただけであり、この石造物は鬼が住みつく以前から存在していたものだと考えられます。つまり、鬼の伝説における用途は、この石造物が本来の存在価値を失ってから起こったものであると言えるでしょう。

となると、もともとは石槨だったという説が有力になってきますね(鬼の伝説がいつごろのものなのか定かではありませんが…)。

しかし素朴な疑問として、飛鳥時代の人々は人間の墓を造るにあたって、巨石を掘り抜いて石室を造り、かつ底石にしっかり嵌まるように丁寧に溝まで掘って、あそこまで精巧に造り上げるものなのでしょうか?たしかに天皇という権力者のお墓ではありますが、何というかオーバーテクノロジーっぽい気がしてなりません(石器加工についての知識が乏しいため、詳しい事は何とも言えませんが…)。

なんとなくですが、こういった石槨および古墳というものは、もともと在った古代遺跡を転用していたんではないか?というような気がしますね。

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住所: 奈良県高市郡明日香村野口(マップ
営業: 終日開放
交通: 飛鳥駅(徒歩13分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。