吉備姫王墓 [奈良県]
2015/03/22
奈良県の明日香村にある吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)です。
吉備姫王(きびひめのみこ)とは、欽明天皇(第29代天皇)の皇子である桜井皇子の王女であり、第35代皇極天皇と第36代孝徳天皇の生母に当たります。
そして、この古墳は吉備姫王の墓であるとされています。
概要
吉備姫王墓は、案内板にて以下の様に説明されています。
吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)
墓名を檜隈墓(ひのくまのはか)と称する。
孝徳天皇(こうとくてんのう)と皇極天皇(こうぎょくてんのう、斉明天皇とも)の生母にあたり、「日本書紀」によれば吉備姫王(吉備嶋皇祖母命 きびしまのすめみおやのみこと)は皇極天皇2年9月に亡くなり檀弓岡に葬られたとある。
また、『延喜式(えんぎしき)』「諸陵寮(しょりょうりょう)」には欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていることから、現在地に指定されている。
墓域内には江戸時代に欽明天皇陵の南側に字(あざ)イケダの水田から掘り出された石造物4体があり、猿石(さるいし)と称されている。
墓名を檜隈墓(ひのくまのはか)と称する。
孝徳天皇(こうとくてんのう)と皇極天皇(こうぎょくてんのう、斉明天皇とも)の生母にあたり、「日本書紀」によれば吉備姫王(吉備嶋皇祖母命 きびしまのすめみおやのみこと)は皇極天皇2年9月に亡くなり檀弓岡に葬られたとある。
また、『延喜式(えんぎしき)』「諸陵寮(しょりょうりょう)」には欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていることから、現在地に指定されている。
墓域内には江戸時代に欽明天皇陵の南側に字(あざ)イケダの水田から掘り出された石造物4体があり、猿石(さるいし)と称されている。
猿石
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墓内には「猿石(さるいし)」と呼ばれる奇妙な石像が4体ほど安置されています。
これは江戸時代に梅山古墳付近の小字池田で掘り出されたものとされ、当初は古墳の傍らに置かれていたとされています。そして、明治初期に現在の場所に移されたんだそうです。
猿石は古墳の柵内にあるため、間近で見ることはできませんが、考古学的にも貴重なものであると思われるこの石像には一見の価値があります。
詳しくはこちらの記事を参照:【吉備姫王墓の猿石】
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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