大江神社 [大阪府]
2015/08/18
大阪府大阪市天王寺区にある大江神社(おおえじんじゃ)です。
四天王寺、勝鬘院愛染堂の付近に鎮座する神社であり、聖徳太子によって建てられた四天王寺の鎮守社である四天王寺七宮の一社に数えられています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、四天王寺の鎮守社の一社として聖徳太子によって創建された神社であると伝えられており、現在は、小儀神社、土塔神社、上之宮神社の3社を合祀しているとされています。
また、大江という社号は社地が大江岸の続きであることに由来しており、天王寺区北部の産土神として豊受大神(伊勢外宮の祭神)を主祭神とし、稲荷神と同一視して祀っているそうです。
なお、由緒書には以下のように記されています。
当社は、伝えによれば、上之宮、小儀(四天王寺東門外、北側)、土塔(南門外、東側)、河掘、堀越、久保の各社と共に天王寺七宮と称し、四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀った社であると伝えられている。
大江の社号は、慶応3年、この社地が大江岸(おおえのきし)の続きであることに因んで、時の神祇官によって改称されたと伝わっている。
当社は、天王寺北側の産土神(うぶすながみ、土地の守護神)にして、祭社主神に豊受大神を祀り、稲荷神と同一神として五穀豊穣、食糧保持の神であり、また明治40年の神仏分離令により、本社へ合祀された東門外の元村社、小儀神社及び南門外の元村社、土塔神社の祭神の素戔嗚尊、元村社の上之宮の祭神の欽明天皇、大己貴命、少彦名命をも祭神としている。
上町台地の西端に沿う一帯は「夕陽ヶ丘(ゆうひがおか)」と呼ばれており、その昔、この台地のすぐ傍まで海が迫り、西の海に夕日が沈みゆき、茜色に染まる空の美しさに いつしか「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになったと伝えられている。
当境内には俳句碑があり、芭蕉の句としても有名である。
大江の社号は、慶応3年、この社地が大江岸(おおえのきし)の続きであることに因んで、時の神祇官によって改称されたと伝わっている。
当社は、天王寺北側の産土神(うぶすながみ、土地の守護神)にして、祭社主神に豊受大神を祀り、稲荷神と同一神として五穀豊穣、食糧保持の神であり、また明治40年の神仏分離令により、本社へ合祀された東門外の元村社、小儀神社及び南門外の元村社、土塔神社の祭神の素戔嗚尊、元村社の上之宮の祭神の欽明天皇、大己貴命、少彦名命をも祭神としている。
上町台地の西端に沿う一帯は「夕陽ヶ丘(ゆうひがおか)」と呼ばれており、その昔、この台地のすぐ傍まで海が迫り、西の海に夕日が沈みゆき、茜色に染まる空の美しさに いつしか「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになったと伝えられている。
当境内には俳句碑があり、芭蕉の句としても有名である。
祭神
大江神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・豊受大神(とようけおおかみ):伊勢神宮外宮の祭神。稲荷神と同一としている
合祀神
・素戔嗚尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神。ヤマタノオロチを倒した神として有名
・欽明天皇(きんめいてんのう):第29代天皇。聖徳太子の祖父に当たる
・大己貴命(オオナムチ):国づくりの神・大国主の別名
・少彦名命(スクナヒコナ):大国主と共に国づくりを行った神
・豊受大神(とようけおおかみ):伊勢神宮外宮の祭神。稲荷神と同一としている
合祀神
・素戔嗚尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神。ヤマタノオロチを倒した神として有名
・欽明天皇(きんめいてんのう):第29代天皇。聖徳太子の祖父に当たる
・大己貴命(オオナムチ):国づくりの神・大国主の別名
・少彦名命(スクナヒコナ):大国主と共に国づくりを行った神
境内社
日吉稲荷神社 |
大江神社の境内社は以下の通りです。
・日吉稲荷神社
・羽呉神社
・大江護国神社
・羽呉神社
・大江護国神社
四天王寺七宮とは?
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四天王寺七宮(してんのうじしちみや)とは、聖徳太子が四天王寺を創建した際に、その外護として造営された神社群のことです。現在でも、大江神社に合祀されている神社以外は健在で、それぞれ四天王寺周辺に鎮座しています。
このことから、「日本仏教の祖」とされる聖徳太子は、文献上では仏教を重んじたと考えられていますが、実際には「神道も重んじている」と考えられ、丁未の乱で神道派の物部氏に勝利したからといって、神道を蔑にしたわけではないようです。
つまり、「聖徳太子は『仏教』と『神道』の両方を重んじていた」ということが言えるのです。
詳しくはこちらの記事を参照:【四天王寺七宮とは?】
豊受大神と稲荷神
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豊受大神(とようけのおおかみ)は、豊受大神宮(伊勢外宮)の祭神であり、伊勢で天照大神に食事を奉仕する「食糧を司る神である」とされ、『古事記』においてはイザナミの死の際に生まれたワクムスビの子とされるトヨウケビメがそれに当たるとされています。
大江神社では、豊受大神は稲荷神であるとしていますが、稲荷神であるウカノミタマはトヨウケビメとは出自が異なります。『古事記』において、ウカノミタマはスサノオの子とされており、稲荷神社の主祭神として有名な神です。
豊受大神宮に祀られる豊受大神は、「食糧を司る神」という以外に具体的には分かっておらず、『古事記』の記述から便宜上「トヨウケビメ」に割り当てられているとされていますが、その正体には諸説あります。
大江神社では、ウカノミタマ(稲荷神)と同神とされており、その父神に当たるスサノオも祀られていることから、伊勢の豊受大神とはスサノオの子であるウカノミタマを指すとも考えられますね。
ただし、『ホツマツタヱ』という文献によれば、豊受大神はイサナギ(伊弉諾尊)・イサナミ(伊弉冉尊)以前に暫定的に日本を統治していた五代目タカミムスビであるとされています。
境内の見どころ
鳥居
大江神社の鳥居です。
拝殿
大江神社の拝殿です。
百歳の階段(ももとせのかいだん)
大江神社の「百歳の階段」です。
この階段は101段あり、おそらく古代の日本で、上町台地の西に海が迫っている時代に海水から逃れるために台地の上に社殿を建てたときの名残であると思われます(憶測です)。
なお、案内板には以下のように説明されています。
「この階段は百一段あり、人生の区切り百歳より あともう一歩、心も体も健康でありますようにと願いを込めて名付けました。一歩一歩踏みしめて神様にお参りしましょう」
また、すぐそばには勝鬘院愛染堂に因んで名づけられた「愛染坂」があります。
狛虎(こまとら)
大江神社の「狛虎」です。
狛犬の虎バージョンであり、全国でも比較的珍しいものとなっています。
この狛虎の由来は不詳であるとされていますが、もともとは300年以上前の作られたものと考えられているそうです(現在の狛虎は近年に再建されたものだが、かつては古いものがあった)。
伝承によれば、その昔、狛虎の奥に毘沙門天を祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るために設置されたと伝えられており、狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたそうですが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったとされています。
ちなみに毘沙門天(ビシャモンテン)とは、四天王寺に祀られる四天王の一尊の多聞天(独尊で祀られた状態)を指します。
なお、現在では虎に因んで阪神タイガースの優勝祈願スポットとされ、タイガースファンによってメガホンをはじめとするタイガースグッズが供えられており、優勝を祈願する張り紙などが貼ってあります。
そのため、阪神ファンによって阪神優勝のためのパワースポットとされているようです。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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