人文研究見聞録:鵜ノ鼻古墳群 [島根県]

島根県益田市にある鵜ノ鼻古墳群(うのはなこふんぐん)です。

日本海の望める鵜ノ鼻岬の付近にある横穴式石室の群集墳であり、その規模は石見地方最大とされています。


鵜ノ鼻古墳群の概要


鵜ノ鼻古墳群について、案内板では以下のように説明されています。

史跡 鵜の鼻古墳群

鵜の鼻古墳群は、日本海に突き出した標高40mあまりの丘陵上に分布している石見地方最大規模の古墳群で、古墳時代後期(6~7世紀)に築かれた典型的な群集墳として、県内でもよく知られています。

かつては約50基の古墳があったといわれていますが、明治時代の国道建設や大正時代の山陰本線の鉄道敷設など、近代以降の各種開発によって多くの古墳が失われました。現在ではその内の比較的保存状態の良い19基が県指定となっています。

その内訳は全長30m前後の前方後円墳2基、他は直径10m前後の小円墳です。古墳の内部には自然石を用いた横穴式石室が築かれていますが、大半は平面杉が細長い、遺体や副葬品をおさめる部屋(羨道)がある片袖式と言われるものです。この石室の形は、県内でも益田でのみ確認されている特色のある形態です。

副葬品は、大正時代の鉄道敷設工事以降、各種の須恵器類、耳環、勾玉や管玉などの玉類、太刀、鉄鏃、滑石製紡錘車、単龍環式柄頭などが確認されています。

鵜ノ鼻古墳群の特徴

人文研究見聞録:鵜ノ鼻古墳群 [島根県]

案内板を要約すると、以下の様な特徴が挙げられます。

・石見地方最大規模の古墳群である
・古墳時代後期(6~7世紀)に築かれた典型的な群集墳である
・かつては約50基の古墳があったが、各種開発によって大多数が失われた(現在は19基が残る)
・古墳群の内訳は、全長30m前後の前方後円墳2基、他は直径10m前後の小円墳であった
・自然石を用いた横穴式石室を持ち、大半は羨道がある片袖式と呼ばれるものである
・石室は鵜ノ鼻古墳群特有の形である(少なくとも県内には他に無い)
・石室内からは副葬品が発見されている

鵜ノ鼻古墳群の古墳のスペック

人文研究見聞録:鵜ノ鼻古墳群 [島根県]

鵜ノ鼻古墳群の古墳のスペックを以下にまとめました。

古墳の種類

・前方後円墳2基(全長30m)
・小円墳約48基(全長10m前後)

副葬品の種類

・須恵器(すえき):古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器(炻器)
・耳環(じかん):耳たぶにつけて飾りとする輪
・勾玉(まがたま):先史・古代の日本における装身具(用途に定説はない)
・管玉(くだたま):管状になっている宝飾装身具の部品(管状のビーズのようなもの)
・太刀(たち):武具(古墳時代は直刀とされる)
・鉄鏃(てつぞく):石鏃に代わって用いられるようになった鉄製の鏃(やじり)
・滑石製紡錘車(ぼうすいしゃ):織物の繊維を紡ぐために用いられた道具
・単龍環式柄頭(つかがしら):刀に装着する刀装具

鵜ノ鼻古墳群の雰囲気

人文研究見聞録:鵜ノ鼻古墳群 [島根県]

鵜ノ鼻古墳群の付近には漁港があり、そこから方向案内に従って古墳群を目指します。

古墳群は漁港の傍にある小高い山の上にあり、鬱蒼とした松林の中にいくつかの小円墳があります。

人文研究見聞録:鵜ノ鼻古墳群 [島根県]
古墳群の案内板(複数ある)
人文研究見聞録:鵜ノ鼻古墳群 [島根県]
周辺の雰囲気
人文研究見聞録:鵜ノ鼻古墳群 [島根県]
円墳の雰囲気
人文研究見聞録:鵜ノ鼻古墳群 [島根県]
小円墳(中に入るには勇気がいる)

なお、一見ただの盛り土に見えるため、石室の入口を探すように散策すると見つけやすいです。

数ある古墳の構造は自然石を組んだ石室に土が盛ってあるものであり、どれも大体同じだと思います。

ただし、林が険しいため、全ては確認していません。

余談ですが、定説では墓と考えられる円墳や群集墳について、以下の様な見解もあるようです。


料金: 無料
住所: 島根県益田市遠田町234
営業: 終日開放
交通: 石見津田駅(徒歩16分)、石見交通バス「鵜の鼻団地口」下車(徒歩7分)、自動車推奨
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。