城上神社 [島根県]
2015/10/21
島根県大田市にある城上神社(きがみじんじゃ)です。
石見銀山の山道付近に位置しており、祭神に大物主大神(オオモノヌシ)を祀っています。
二重破風であり下段が唐破風という特徴的な社殿を持ち、内部の「格天井」には数多くの天井画が描かれています。
また、天井の中央には巨大な龍の絵が描かれており、日光東照宮と同様の「鳴き龍」を体感することができます。
そのほか、境内には「亀石」という奇石も安置されており、なかなか見どころが多い神社となっています。
神社概要
由緒
社伝によれば、元は石見国東海岸にある馬路の高山(打歌の山・志加美山・城上山とも云う)に鎮座しており、航海安全と海防の神として信仰を集めていたそうです。なお、境内の「亀石」に因む伝承によれば、延喜年間には既に城上山に鎮座していたとされることから、創祀は少なくとも平安時代に遡るものと思われます。
中世以降は、室町時代(1434年)に大内氏が銀山を入手した際、その守護神として大森の香語山(現在の愛宕山)に遷座され、安土桃山時代(1577年)に毛利氏が銀山を入手した際に現在地に遷座され、社名を城上神社大森大明神と呼ばれるようになったそうです。
大森の名は此の地にあった一本の大樹を中心として生茂る森に由来する名であり、大森町という地名もここから称えられたものと伝えられているとされています。しかし、江戸中期(1800年)の大森町の大火で社殿と共に類焼してしまったそうです。
なお、毎年10月19日に行われる例大祭は、およそ1km程離れた長砂(たかさご)といふ飛地境地内で行われ、ここの天真神社長砂大明神(てんしんじんじゃたかさごだいみょうじん)では少彦名命(スクナヒコナ)を祀っていることから、大物主大神が世の幸福を増進するために少彦名命と相談する御幸祭であるとされています。
祭神
城上神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・大物主命(オオモノヌシ):正式には倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)という
→ 『ホツマツタヱ』という文献によれば、オオナムチの大神神社、金毘羅宮
合祀
・武甕槌命(タケミカヅチ):国譲りを迫った天津神の一柱で、春日四神の一柱に数えられる
・齋主命(イワイヌシ):国譲りを迫った天津神の経津主神(フツヌシ)と同神で、春日四神の一柱に数えられる
・天兒屋根命(アメノコヤネ):中臣連の祖神であり、春日大社の祭神として知られる(春日四神の一柱)
・大物主命(オオモノヌシ):正式には倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)という
→ 『ホツマツタヱ』という文献によれば、オオナムチの大神神社、金毘羅宮
合祀
・武甕槌命(タケミカヅチ):国譲りを迫った天津神の一柱で、春日四神の一柱に数えられる
・齋主命(イワイヌシ):国譲りを迫った天津神の経津主神(フツヌシ)と同神で、春日四神の一柱に数えられる
・天兒屋根命(アメノコヤネ):中臣連の祖神であり、春日大社の祭神として知られる(春日四神の一柱)
大物主大神について
城上神社の主祭神は大物主大神(オオモノヌシ)であり、正式には倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)とするとしています。
この神は『記紀』における「国造り神話」に登場する神であり、『古事記』では「海を照らしてやってきた神」、『日本書紀』では「大国主神(オオクニヌシ)の幸魂・奇魂」と名乗って、奈良県にある三輪山に祀られたとされています(大神神社祭神)。
なお、城上神社では『日本書紀』にある「大物主は大国主の別名である」という記述に基づいて、大国主大神(オオクニヌシ)と同神として捉えられているようです。
大物主、大国主についてはこちらの記事を参照:【大物主とは?】、【大国主とは?】
境内社
城上神社の境内社は以下の通りです。
・香子山八幡宮
・厳島神社
・大元神社
・愛宕神社
・稲荷神社
・恵比須神社
・比売許曽神社
・八重垣神社
・東照宮
・天満宮
・長砂神社
・厳島神社
・大元神社
・愛宕神社
・稲荷神社
・恵比須神社
・比売許曽神社
・八重垣神社
・東照宮
・天満宮
・長砂神社
境内の見どころ
鳥居
城上神社の鳥居です。
石造りの鳥居であり、付近に駐車場があります。
しかし、駐車場が大変狭いので注意が必要です。
拝殿
城上神社の拝殿です。
屋根が二重破風になっており、上段が直線的な千鳥破風(ちどりはふ)、下段は曲線的な唐破風(からはふ)という大変珍しい形をしています。
また、門前には巨大な大注連縄が掛けられており、内部には「格天井の天井画」や「鳴き龍」をはじめとする多くの板絵が奉納されています。
大注連縄 |
格天井
拝殿内にある格天井(ごうてんじょう)です。
格天井とは木を組んで格子形に仕上げた天井のことであり、その中には様々な家紋が描かれています。
鳴き龍
拝殿内にある鳴き龍(なきりゅう)です。
鳴き龍とは、天井と床が平行に向き合った堅い面がある場所で拍手や足音などの衝撃音を発した際、その往復反射によって音が重なって反響し、特殊な音色となって聞こえることを言います。
この現象は栃木県の日光東照宮などで有名であり、英語ではフラッターエコーとも呼ばれているそうです。
城上神社の拝殿でも この現象を体感でき、それが丁度 巨大な龍の天井画の下に当たるため「城上神社の鳴き龍」として知られています。なお、反響が聞こえるポイントは拝殿内の床面に示されており、そこで拍手などの衝撃音を発することで体感することができます。
日光東照宮では有料でかつ、見学しかできませんが、ここでは無料でかつ、セルフで行えるという点が非常に珍しいです。
亀石
城上神社の亀石(かめいし)です。
この石は境内に安置されている亀形の奇石であり、以下の様な伝承が伝えられています。
亀石の伝承
延喜年間(平安時代)に城上神社が仁摩町の城上山に有った時、神社は「海防の神」として崇められ、崇敬者から珍しい「貝の化石のある石」と「海亀の姿の石」が奉納され、それを以って海の安全を祈っていました。
永享年間(室町時代)に神社を愛宕山へ遷座した時にはこの石は運ばれましたが、その後の天正年代(安土桃山時代)に現在地に遷座した時には亀石を運ぶのを忘れてしまいました。
亀石は「自分の甲(亀甲)は城上神社の紋所だから、すぐに行かなければ」と山を下りましたが、自らの重さに山の麓の川底に沈んでしまいました。それからは、その川辺を通ると川の中から不思議な音が聞こえるようになりました。
静かな夜だと丁度小豆を研ぐような音に聞こえました。物好きな人が道端まで上げてみたら、亀の形をした石でした。それからは「小豆石」の名で大正年代まで道端に置かれていました。
この石がある夜、敬神家である田中某氏の夢の中に出てきて、事の次第を打ち明けて、城上神社の境内へ上げて欲しいと頼みました。田中某氏は早々その事を宮司に告げてここに落ち着く事となりました。
延喜年間(平安時代)に城上神社が仁摩町の城上山に有った時、神社は「海防の神」として崇められ、崇敬者から珍しい「貝の化石のある石」と「海亀の姿の石」が奉納され、それを以って海の安全を祈っていました。
永享年間(室町時代)に神社を愛宕山へ遷座した時にはこの石は運ばれましたが、その後の天正年代(安土桃山時代)に現在地に遷座した時には亀石を運ぶのを忘れてしまいました。
亀石は「自分の甲(亀甲)は城上神社の紋所だから、すぐに行かなければ」と山を下りましたが、自らの重さに山の麓の川底に沈んでしまいました。それからは、その川辺を通ると川の中から不思議な音が聞こえるようになりました。
静かな夜だと丁度小豆を研ぐような音に聞こえました。物好きな人が道端まで上げてみたら、亀の形をした石でした。それからは「小豆石」の名で大正年代まで道端に置かれていました。
この石がある夜、敬神家である田中某氏の夢の中に出てきて、事の次第を打ち明けて、城上神社の境内へ上げて欲しいと頼みました。田中某氏は早々その事を宮司に告げてここに落ち着く事となりました。
料金: 無料
住所: 島根県大田市大森町イ-1477(マップ)
営業: 終日開放
交通: 仁万駅(徒歩86分)、JR大田市駅よりバスで26分、「大森代官所跡」下車、自動車推奨
公式サイト: http://www.ginzan-wm.jp/spot/1466
住所: 島根県大田市大森町イ-1477(マップ)
営業: 終日開放
交通: 仁万駅(徒歩86分)、JR大田市駅よりバスで26分、「大森代官所跡」下車、自動車推奨
公式サイト: http://www.ginzan-wm.jp/spot/1466
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿