2015年10月29日木曜日

須佐とスサノオ [山口県]

人文研究見聞録:須佐とスサノオ [山口県]

山口県萩市の「須佐(旧・須佐町)」は、地元ではスサノオの神話に因む地名として知られているようです。

これは『記紀』には登場せず、山陰道の『風土記』もほとんどが消失しているため、出典元は定かではありません。

しかし、須佐の地域伝承として地元に根付いており、それにまつわるとされる場所も存在しています。

ここでは、そうした須佐とスサノオの関連性について考察したいと思います。


須佐の由来

人文研究見聞録:須佐とスサノオ [山口県]

須佐という地名は「須佐之男命(スサノオ)が出雲の国から朝鮮半島に渡る際、神山(高山)の峰に立って航路を定めた」という神話に因んで名づけられたと言われています。

この高山(こうやま)という場所は須佐に実在しており、山腹には中国神話に登場する黄帝(こうてい)を祀る黄帝社や、弘法大師(空海)が開いたと云われる高山八相権現社などがあるんだそうです。

なお、この高山の山頂は強力な磁気を帯びているとされ、「高山磁石石」という巨石も安置されています。しかし、なぜ磁気を帯びているのかについては謎であり、未だに解明されていないようです。

※黄帝(こうてい):中国神話に登場し、三皇の治世を継いで中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる

神山の起源

人文研究見聞録:須佐とスサノオ [山口県]

須佐の地に聳える神山(高山)に神が勧請された時代は古く、その年代は不詳とされていますが、かつて山腹に鎮座していた神山神社(現:八相権現社跡地)を起源とするとされています。

その神山神社の当初の祭神は、主祭神を須佐之男命(スサノオ)をとし、伊邪那美命(イザナミ)を配祀していたとされ、その周辺に市杵嶋姫神(イチキシマヒメ)を祀っていたと推測されているそうです。なお、この神山神社は江戸期に御神体を須佐湾の中嶋に遷座したとされています。

なお、上記の「須佐の由来」に示したとおり、神山(高山)には黄帝社があるとされ、それを以って高山の「黄帝信仰」も根付いているとされています。須佐の公式サイトによれば「神山神社の御神体は中嶋への遷座を以って、須佐の海の神として高山の黄帝信仰とともに篤い信仰を集めている 」とされています。

ただし、黄帝信仰については「起源は神山神社の須佐之男命信仰が誤称され替わってしまっという説あり」と注釈を打っています。しかし、なぜ中国神話の神が祀られているのでしょうか?

石見国とスサノオ

人文研究見聞録:須佐とスサノオ [山口県]

『日本書紀』第八段第四の一書には「スサノオは、高天原を追放されて新羅国に天降り、そこから船で東を目指して旅立ち、出雲の簸之川(ひのかわ)に辿りついた」という風に記されています。

この説話を裏付ける伝承が島根県大田市にあり、そのことからスサノオは石見国を経由して出雲国へ至ったという説があります。なお、その説話でスサノオに付添って天降ったとされる五十猛神(イタケル)の名は「五十猛」という地名にもなっています。

そして、上記に記した「須佐の由来」から、スサノオは出雲に宮居を構えた後も朝鮮半島との交流があったと考えられ、それによって少なくとも出雲国・石見国・新羅国を支配していたと考えることができます。

そのため、須佐を含める石見地方ではスサノオを今でも篤く尊崇しているのでしょう。なお、須佐には土着の「黄帝信仰」なるものがあるとされ、それによって中国大陸との関連性も指摘されています。

これらによって、須佐のルーツは「須佐は中国大陸(呉・越)の民が帰化した海士族(あまぞく)の郷を起源とし、須佐乃男命(スサノオ)が出雲に行くまでの拠点であり、朝鮮(新羅・百済)と日本海文化圏(越後~北九州)を結ぶ海洋航路上重要な寄港地として栄えた場所だった」とも考察されているようです(参考:須佐の神話・伝説/古代ルーツ研究)。

これらのことから『記紀』では神話を大分要約してまとめていることが分かり、それを補填する形で『風土記』に地方の神話が記されていたのでしょう。

しかし、『記紀』では端からスサノオを悪役とする内容が記され、かつ、『出雲国風土記』以外の風土記がほとんど消失(おそらく焚書による焼失)していることから、スサノオにはヤマト王権にとって都合の悪い秘密が隠されていると考えられます。

よって、多くの謎を秘めた神であるスサノオについて、地域伝承などから追及してみると、色々と面白いことが分かるような気がします。須佐や大田の地域伝承も、その謎を紐解く一つのカギと言えるでしょう。

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