都野津柿本神社 [島根県]
2015/12/21
島根県江津市都野津町にある都野津柿本神社(つのづかきのもとじんじゃ)です。
郷土ゆかりの歌人・柿本人麻呂と妻・依羅娘子の寓居(仮住まい)があったとされる場所であり、後に依羅娘子の子孫によって祀られて神社となったとされています。
なお、かつては人麻呂公の仮寓の記念樹として植えられた「人麻呂の松」が、境内に聳えていたとされています。
神社概要
由緒
創建年代は不詳ですが、案内板によれば、人麻呂公の妻・依羅娘子(よさみのおとめ)の末裔という井上氏によって人麻呂・依羅娘子の寓居跡(姫御所とも)に創建された神社であるとされています。明治43年9月に当時の祠を解体し、新たに社殿を造営したそうです。
なお、市内の二宮町に伝わる伝承では「依羅娘子は神主恵良の豪家の娘」とされていますが、当社では江戸時代の地誌『石見八重葎』にある「人麻呂は当地の医師・井上道益の娘を依羅姫と名付けて内室(妻)とする」という説を根拠としているものと思われます。
祭神
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都野津柿本神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ):飛鳥~奈良時代の宮廷歌人で、歌聖とも称される
→ 史書には具体名が登場しないため、主に『万葉集』に載せられた和歌から人物像が推測されている
⇒ 哲学者・梅原猛の『水底の歌』では、石見国の「鴨嶋」に流罪となったと推測されている
・依羅娘子(よさみのおとめ):柿本人麻呂の妻とされる
→ 『万葉集』巻2に人麻呂の死をいたんだ歌が載せられている
→ 石見国の都濃津(江津市二宮町)の出身とされ、地元には独特の伝承が残るという
⇒ 当社では『石見八重葎』にある「医師・井上道益の娘の依羅姫」という説を根拠とする
・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ):飛鳥~奈良時代の宮廷歌人で、歌聖とも称される
→ 史書には具体名が登場しないため、主に『万葉集』に載せられた和歌から人物像が推測されている
⇒ 哲学者・梅原猛の『水底の歌』では、石見国の「鴨嶋」に流罪となったと推測されている
・依羅娘子(よさみのおとめ):柿本人麻呂の妻とされる
→ 『万葉集』巻2に人麻呂の死をいたんだ歌が載せられている
→ 石見国の都濃津(江津市二宮町)の出身とされ、地元には独特の伝承が残るという
⇒ 当社では『石見八重葎』にある「医師・井上道益の娘の依羅姫」という説を根拠とする
依羅娘子について
依羅娘子 |
依羅娘子(よさみのおとめ)とは、飛鳥~奈良時代の人物であり、通説では歌人・柿本人麻呂の妻とされています。なお、『万葉集』には人麻呂公の死をいたんだ歌「今日今日と わが待つ君は 石川の貝に 交りてありと いはずやも」が載せられているため、歌人であったとも考えられているようです。
また、依羅娘子は石見国の都濃津(江津市)出身であるとされ、地元に伝わる「二宮恵良出生伝承」によれば「依羅娘子は神主恵良の豪家の娘で、石見守・柿本人麻呂に請われて妻になった人であり、里人には『恵良媛』と称される才色兼備の女性であった」と云われています。
一方、江戸時代の地誌『石見八重葎』には「人麻呂は当地の医師・井上道益の娘を依羅姫と名付けて内室(妻)とする」と記されており、都野津柿本神社は依羅娘子の子孫によって人麻呂・依羅娘子の寓居跡に建てられたとされています。
境内の見どころ
鳥居
都野津柿本神社の鳥居です。
本殿の前に建っていますが、ややずれた位置にあるように見えます。
本殿
都野津柿本神社の本殿です。
一見 民家のように見えますが、軒下には注連縄と鈴が設置されています。
人麻呂の松
都野津柿本神社の人麻呂の松です。
人麻呂公がこの地に仮寓した記念として植えられた松であり、樹齢約800年以上のアカマツだったとされています。
また、当時は「塚松」「歌聖松」「神様松」などと呼ばれていたそうです。
しかし、平成9年(1997年)に老朽化のために伐採され、現在は松の一部が本殿横に保存されています。
神楽殿
都野津柿本神社の神楽殿です。
神楽の奉納など、催しが行われる際に利用されるものと思われます。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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