柿本人麿伝承岩(足型岩・聖なる岩) [島根県]
2015/12/21
島根県益田市戸田町にある柿本人麿伝承岩(かきのもとひとまろでんしょういわ)です。
当地ゆかりの歌人・柿本人麻呂の幼少期に因む伝承が残る岩であり、戸田柿本神社付近の森に安置されています。
なお、岩のそれぞれは伝承に基づいて「足型岩」と「聖なる岩」と名付けられています。
戸田柿本神社についてはこちらの記事を参照:【戸田柿本神社】
柿本人麻呂について
柿本人麻呂 |
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とは、飛鳥~奈良時代の宮廷歌人であり、和歌集『万葉集』における代表的な歌人として、後世には歌聖(かせい)と呼ばれ称えられています。
しかし、正史には名前が登場しないため、その人物像については詳しくは分かっていない謎多き人物です。江戸時代には、国学者によって草壁皇子の舎人として仕えたと推定されています。
通説では、天武朝に歌人として仕え、天皇を神格化するために和歌を詠んでいたと考えられているようです(持統天皇の御代に活躍したとみられている)。
ただし、人麻呂公の生没については諸説あり、戸田柿本神社の社伝によれば「人麻呂は第5代孝昭天皇の後胤の柿本氏と戸田柿本神社の社家・綾部氏の娘との間に誕生し、幼少時代は当地で学問や弓馬に励み、後に都に上って天武・持統・文武天皇に宮廷歌人として仕えた。晩年は石見国府の役人となって鴨島に没したため、鴨島には人丸社が創建された一方、戸田には御廟所が建てられた」と云われています。
マップ
戸田柿本神社の近辺に周辺マップを記した案内板があり、それに従って行くと伝承岩に辿りつけます。
なお、周辺は農村となっており、車一台が通れる程度の細い道になっているため、対向車には注意が必要です。
周辺の様子
マップに従って道なりに進むと、やがて写真の様な案内板が見えてきます。
付近は人通りが少なく、小さなスペースもあるので駐車は辛うじて可能です(軽自動車が良い)。
案内板からは、道なりに森の中に入っていけば伝承岩が見えてきます。
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しかし、野生のイノシシが出てくるような鬱蒼とした森であるため、それなりの準備をして入る必要があります。
また、雨上がりに行くと足元が泥濘んでいるため、危険である上に足元が汚れます。
そのため、晴れが続いて乾いているときに行くことをオススメします。
足形岩
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柿本人麿の足型岩です。
人麻呂公が幼少期に足跡を残したと言い伝えられています(窪みがあると云う)。
しかし、苔にまみれているため、どの窪みがそれに当たるのかは分かりませんでした。
なお、遠くから見ると台形であることが分かり、人工的な形をしているようにも見えます。
聖なる岩
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柿本人麿の聖なる岩です。
人麻呂公が幼少期に座って歌を詠んだと言い伝えられています。
また、鎌で引っ掻いたような痕が残されているとされ、人麻呂公の仕業だと云われているそうです。
しかし、周辺は崖になっているので近づいて見ることは難しく、傷痕を見つけるのは至難の業です。
ですが、これも足型岩と同様に、人工的で不思議な形をしていることが特徴だと言えます。
なお、この聖なる岩に関して、戸田町には以下の様な民話が伝わっているとされています。
柿の木の元に現れた神童
島根県益田市戸田町には人麿神社(戸田柿本神社)があり、その地域には人麿が鎌で刻んだ岩があるという。
今から1300年以上前の昔、人麿神社の付近には「語家」という家があり、その家の前に古い柿の木があった。その柿の木の元に突然 7、8歳の頃の男児が現われた。
驚いた語家の人間が「どこから来たのだ?」と尋ねると、「私には家もなく、父、母も居ません。知っているのは和歌の道だけです。」と答えたという。そして、語家に引き取られた男児は、育っていくうちに山や田や草刈りなどに連れ出された。
ある日、近くの山に行った時のこと、山の中腹の竹やぶの中に大きな岩があった。男児は岩の上に登ると、手に持っていた鎌の先で一生懸命に歌のような字を刻み始めたという。
今でも鎌の傷痕がある大きな岩が残っているが、岩に文字を刻んでいた男児は、後に歌人となった柿本人麿だった。人麿は幼少の頃から歌を作ることを好んだといわれ、戸田ではそれを民話として語り継いでいるという。
島根県益田市戸田町には人麿神社(戸田柿本神社)があり、その地域には人麿が鎌で刻んだ岩があるという。
今から1300年以上前の昔、人麿神社の付近には「語家」という家があり、その家の前に古い柿の木があった。その柿の木の元に突然 7、8歳の頃の男児が現われた。
驚いた語家の人間が「どこから来たのだ?」と尋ねると、「私には家もなく、父、母も居ません。知っているのは和歌の道だけです。」と答えたという。そして、語家に引き取られた男児は、育っていくうちに山や田や草刈りなどに連れ出された。
ある日、近くの山に行った時のこと、山の中腹の竹やぶの中に大きな岩があった。男児は岩の上に登ると、手に持っていた鎌の先で一生懸命に歌のような字を刻み始めたという。
今でも鎌の傷痕がある大きな岩が残っているが、岩に文字を刻んでいた男児は、後に歌人となった柿本人麿だった。人麿は幼少の頃から歌を作ることを好んだといわれ、戸田ではそれを民話として語り継いでいるという。
料金: 無料
住所: 島根県益田市戸田町(Googleマップ)
営業: 終日開放
交通: 戸田小浜駅(徒歩40分)、石見交通バス「植松」下車(徒歩35分)
公式サイト: http://www.hitomaro.com/
住所: 島根県益田市戸田町(Googleマップ)
営業: 終日開放
交通: 戸田小浜駅(徒歩40分)、石見交通バス「植松」下車(徒歩35分)
公式サイト: http://www.hitomaro.com/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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