人文研究見聞録:柿本人麿御廟所(柿本人麻呂の遺髪塚) [島根県]

島根県益田市戸田町にある柿本人麿御廟所(かきのもとひとまろのごびょうしょ)です。

当地ゆかりの歌人・柿本人麻呂の墓所であり、遺髪を祀っているため「遺髪塚」とも呼ばれています。

なお、当地は人麻呂公の生誕地と伝えられており、御廟所付近には戸田柿本神社の社家である綾部家があります。

この綾部家は、古来 柿本氏に仕えていた氏族であり、代々巫女が世襲したと云われています。

そして、柿本氏と綾部氏との間に人麻呂公が生まれたとされ、神社にはそれを伝える文献も残っているそうです。

また、山の方に入っていくと幼少期の人麻呂公にちなむ「柿本人麿伝承岩」も残っています。

戸田柿本神社についてはこちらの記事を参照:【戸田柿本神社】


由緒

人文研究見聞録:柿本人麿御廟所(柿本人麻呂の遺髪塚) [島根県]

石碑(由緒記)によれば、江戸時代の家作地引(地鎮祭)のときに地中から異物が出てきたため、それを開くと神殿から物音が鳴り響いたとされます。そこで、神殿を確認しに行くと御神体の尊像が落下していたことから、この地を人麻呂公の御廟所と定めて石碑を建てたとされています。

なお、碑文の詳しい内容は以下の通りです。

柿本神社及び御廟所由緒記 ※読みやすいように、全体的に現代語に訳しています

戸田村小野という所に「語家(綾部家)」という民がおり、人麿はこの家で生まれた。

幼年より歌学の道に志し、その功績で持統・文武の両朝に仕え、和歌の師聖となり、その頃に朝臣の姓(かばね)を賜(たま)い、また、吉野・近江の行幸に共奉して名歌を奉った。

老年は故郷に帰って高角鴨山に住み、神亀元年甲子3月18日に鴨山で死去した。その後、戸田村に社を建てて人麿を祀る。

「語家」より南に御廟所(墓所)がある。

ここは享保10年乙巳8月25日の家作地引(地鎮祭)の時、綾部佐右衛門が地底より異物を掘り出し、これを開いてみると神殿が鳴り動いたため、佐右衛門は倅(せがれ)の権兵衛や使役の者共々を同行し、神殿を開いてみると神体が下座に落下していた。

そのため、此処を御廟所と定め、此処に碑を建てて、今は廟所と称している。柿本人麿生誕地記念碑建立に当たり、神社所蔵の古記を刻み、崇敬の誠を捧ぐ。

柿本人麻呂について

柿本人麻呂

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とは、飛鳥~奈良時代の宮廷歌人であり、和歌集『万葉集』における代表的な歌人として、後世には歌聖(かせい)と呼ばれ称えられています。

しかし、正史には名前が登場しないため、その人物像については詳しくは分かっていない謎多き人物です。江戸時代には、国学者によって草壁皇子の舎人として仕えたと推定されています。

通説では、天武朝に歌人として仕え、天皇を神格化するために和歌を詠んでいたと考えられているようです(持統天皇の御代に活躍したとみられている)。

ただし、人麻呂公の生没については諸説あり、戸田柿本神社の社伝によれば「人麻呂は第5代孝昭天皇の後胤の柿本氏と戸田柿本神社の社家・綾部氏の娘との間に誕生し、幼少時代は当地で学問や弓馬に励み、後に都に上って天武・持統・文武天皇に宮廷歌人として仕えた。晩年は石見国府の役人となって鴨島に没したため、鴨島には人丸社が創建された一方、戸田には御廟所が建てられた」と云われています。

料金: 無料
住所: 島根県益田市戸田町(Googleマップ
営業: 終日開放
交通: 戸田小浜駅(徒歩18分)、石見交通バス「植松」下車(徒歩14分)

公式サイト: http://www.hitomaro.com/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。