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2016年1月12日火曜日

日月神示(ひふみ神示)とは?

人文研究見聞録:日月神示(ひふみ神示)とは?

日月神示(ひつきしんじ)とは、昭和の第二次世界大戦中、千葉県成田市にある麻賀多神社の末社・天之日津久神社にて、岡本天明という人物に神懸かった神霊によって書記された神示(預言書)です。

内容については、予言方法論をはじめ 世界や神の理(仕組)まで、幅広いテーマについて詳しく記されています。そのため、一部では日本版 黙示録とも呼ばれ、現在 注目を集めているとされています。

ただし、その経緯や内容については複雑であり、内容についての具体的な解読なども為されていないため、未だに謎に包まれています。そこで、下記に経緯から内容までの詳細をまとめてみたいと思います。



日月神事の概要

概要

人文研究見聞録:日月神示(ひふみ神示)とは?
日月神示の原文

・名前:日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)
 → 原文を解読して漢字仮名交じりの文章に書き直されたものは「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれる
・著者:岡本天明(おかもとてんめい)
 → 明治30年~昭和38年の人物で、画家、神道家、神典研究家という肩書を持つ
 → 「自動書記」という一種の心霊現象(神懸かり)によって『日月神示』を書き上げた
・神霊:天之日月神(あめのひつくのかみ)
 → 『日月神示』のきっかけとなった扶乩実験では「天ひつく(天之日月神)」と名乗っている
  ⇒ 神示では一柱の神ではなく、役所のようなものと説明している
  ⇒ 加えて一柱の神とも云われ、オオカムズミの神としても現れるとしている
 → Wikipediaによれば「国常立尊(クニノトコタチ)」によって降ろされたとされている
  ⇒ 神示自体は、天之日月神が天明に神懸かって書かせているものと捉えられる
  ⇒ 神示では国常立尊を讃える内容が多く記述されるため、国常立尊は天之日月神の上位に当たる神と思われる
・内容:予言、方法論、世界の理(仕組み)、神(カミ)について、神道のこと、祝詞、日本神話
 → 日本だけでなく、外国(人)に関しても言及している
 → 「掃除」や「改心」という表現を以って、欲を捨て、神と和合することを説いている
・記法:原文は、漢数字、独特の記号、若干のかな文字の混じった文体で構成される
 → 抽象的な絵のみで書記されている「巻」もある
 → 多種多様な特殊記号が用いられるが、その具体的な意味は複雑で難解である
 → 文法(口調)に一定の特徴(パターン)があり、複数の神によって記されたものと考えられる
  ⇒ 一部、文法が他と全く異なる巻が存在する(第17巻 地震の巻)
・時期:昭和19年(1944年)~昭和36年(1961年)の17年間
 → 初めて書かれたのは、終戦の1年前である
・巻数:計39巻(計979帖)
 → 神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻有るとされる
  ⇒ 既に発表済みの巻の中にも、未発表の帖がいくつか存在する
・備考:読み解くには知識と経験が必要になると思われる
 → 歴史・神話などの知識があると内容が入って来やすい(日本神話のススメ
 → 一般常識・一般教養を身につけていると、それと比較して考えることができる(比較対象になる)
 → 神示の性質上、上記のことは不要とする見方もある
  ⇒ ただし、神示を理解するにはそれなりに時間がかかるとされ、その間に自ずと知識と経験を得ることになる


経緯

人文研究見聞録:日月神示(ひふみ神示)とは?
天之日津久神社

終戦の前年に当たる昭和19年(1944年)4月、日本の古代史を研究するために修史協翼会が発足され、そのメンバーに『日月神示』を書記した岡本天明がいたとされます。

この『日月神示』が書かれる発端として、同年4月18日、東京の原宿で行われた修史協翼会の会合において、歴史の真偽を神霊に伺うべく、扶乩実験が行われたそうです。

扶乩(フーチ)とは、古来より中国に伝わる神霊の神意を伺う占い方法で、二人が一組になって行う一種の自動書記現象であるとされ、その時は会合に集まったメンバー2人が扶乩を持ち、天明が審神者(サニワ)兼 司会進行役を務めたとされます。

そして、その実験で砂盤に示されたのは「天 ひ つ く」という文字だったとされますが、その時に降りた神の正体については分からず、審神者を務めた天明自身も狐狸妖怪の仕業かもしれないと懐疑的だったとされています。

後日、「天ひつく」に関して調べたメンバーが、千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の麻賀多神社の境内に「天之日津久神社」が存在することを発見し、それを天明に伝えたとされますが、その社名から、深く関わると不敬罪に抵触する恐れがあるとして、その時は相手にしなかったそうです。

しかし、同年6月10日、天明に同所に呼ばれる予定が入ったものの、先方の都合で急に予定が無くなったため、せっかくの機会だとして天明は「天之日津久神社」を訪れたとされます。

そこで参拝を済ませ、同社の社務所で手弁当を広げて休憩しようとしたところ、天明の右手に急に痛みが走ったため、直感的に自動書記だと感じ取り、自前の画仙紙に筆を走らせると、右手の痛みが止んで『日月神示』第1巻の「上つ巻」の第1帖および第2帖を書き始めたとされます。

以来、昭和36年(1961年)まで断続的に神懸かり、天明は死の2年前までに第39巻まで発表したとされています。ただし、『日月神示』は全50巻あるとされ、天明自身は「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります。」と言い残して亡くなったそうです。


自動書記とは?

人文研究見聞録:日月神示(ひふみ神示)とは?

自動書記(じどうしょき)とは、何か別の存在に憑依され、自分の意思とは無関係に筆を走らせてしまう現象を指し、日本では「お筆先」とも呼ばれ、幕末から明治初頭にかけて台頭した新宗教である大本や天理教の教典が、この現象によって書かれたとされています。また、海外では『神との対話』という書籍がこの現象で書かれたとされています。

なお、心理学では「オートマティスム(「自動筆記」「自動記述」の意)」と定義されているものの、原理の解明はできておらず、自己催眠や薬物の影響とするなど、曖昧な説明に留まっているとされています。

ちなみに、この現象はフィクションにも取り入れられており、有名な作品に冨樫義博の「HUNTER×HUNTER」が挙げられ、作中の登場人物であるネオンが使う「天使の自動筆記」が、この現象を如実に表しています。


岡本天明とは?

人文研究見聞録:日月神示(ひふみ神示)とは?
岡本天明

岡本天明(おかもとてんめい)とは、明治30年(1897年)に岡山県倉敷市玉島に生まれ、画家、神道家、神典研究家などの肩書を持ち、神懸かって『日月神示』を書き上げたことで知られています。

幼少の頃から霊視能力や霊聴能力など霊能力を持っている子供だったとされ、17歳の頃に神戸三宮で絵の個展を開き、新聞に「天才少年画家現る」と称賛されたとされています。

そして、上京して明治大学に入り、大正9年(1920年)に大正日日新聞社(大本に買収された新聞社)に入社して、新宗教・大本と関係を持ち始めたとされます(大本の機関紙の創刊を担い、編集長になったとも)。

その後は大本の弾圧に際して失職したとされますが、昭和期には千駄ヶ谷の鳩森八幡神社で代理神主となったとされ、昭和19年(1944年)の修史協翼会の会合で行った扶乩実験をきっかけに、同年より『日月神示』を書き始めることになったとされています(上記の「経緯」を参照)。

以来、天明によって記された『日月神示』に共鳴する人々が集まって宗教法人が設立され、加えて霊能者や神典研究家によって解読作業が行われるようになったそうです。

なお、天明自身は死の2年前となる昭和36年(1961年)まで断続的に『日月神示』を書き続ける間に、再婚や幾度かの引越および、東京・大阪・ニューヨークで初めてのクレパス画展を開くなど、数奇な人生を送ったとされています(神示で絵を描くよう促されてもいる)。


日月神事の内容

人文研究見聞録:日月神示(ひふみ神示)とは?

まとめに関する注意事項

日月神示全巻を読んでみて、興味深かった内容を抜粋してカテゴリ別にまとめてみました。ただし、神示の性質上 このようなまとめ方は不適切であると思われ、かつ、断片的な情報は誤解を与えてしまうかもしれません。

そのため、このまとめをざっと見て 少しでも興味を持たれた場合、全文を通して読まれることをオススメします。

また、神示には一見「予言書」として見られがちですが、多くの学問に関する情報が含まれており、かつ、検証できる方法論なども含まれているため、自分で試して確認することもできます。なので、少なくとも「ためになる」とは言えるでしょう。

なお、矢印で付けた注釈は私見ですので あまり深く捉えないでください(ただし、一部は神示の内容)。

最後に、日月神事は個人個人に宛てられた神示であると思われ「解釈を他人に委ねるべきではない」という旨が幾度も示されています。よって、解読や解説は読者本人が行うことが適切であろうと思われます。


日月神事について

・富士は晴れたり日本晴れ(日月神示の中に何度も登場し、重要なフレーズとされる)
・戦争について説いている(臣民同士の戦でない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂の戦ぞ)
 → 科学と神力の戦争とも(学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ)
 → 「カミと神」などのように表記が異なると、その意味合いも異なってくるという
・心身の掃除の重要性を説いている(臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ ほか)
・日月神示の教えは宗教ではなく道(この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ)
・神の仕組について説いている(神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ)
・神の仕組はだんだん良くなるもの(この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ)
・神の仕組は神代に返すもの(元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ)
・臣民を改心させる神示である(この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ)
・神示は音読すべし(この神示 言波としてよみて呉れよ、神々様にもきかせて呉れよ、守護神どのにも聞かして呉れよ)
・神示は裏の裏まで読むべし(神示よく読めと、裏の裏まで読めと申してあろが)
・日月神示における江戸は都会を指す(江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ)
・宗教団体を作って広めるべからず(この道広めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ)
・読むだけで霊験が得られる(この神示読みて呉れよ(中略)病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ)
 → 読めば読むほど良いとされる(よむたび毎に神が気つける様に声出してよめば、よむだけお蔭あるのぞ)
・一二三とは息吹(一二三とは息吹ぞ、みみに知らすぞ、云はねばならぬから一二三として、息吹きとして知らすぞ)
・神示の縁は天使の働き(この神示に縁あるものには、天使の働き位のこと)
・7年で気付くことが多い(三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ)
・日月神示は8通りに読める(此の神示八通りに読めるのぢゃ)
 → 七通りまでは今の人民でも何とか判るなれど八通り目は中々ぞ


神の理(ことわり)について

・この神は日本人のみの神ではない(この神は日本人のみの神でないぞ)
・神は実感できる(神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる)
・神に頼れば神が出る(神たよれば神の力出るぞ、善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分らんか)
・見晴らす(身張らす)とは身を神で満たすこと(身を張らすとは、(中略)臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ)
・三種の神宝がある(玉とは御魂ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種の神宝と申すぞ)
・森羅万象も神である(山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ)
・まつりとは神に従うこと(神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ(中略)神に従ふことぞ)
 → 文面から「身を任せる」や「身を預ける」といった表現もできると思われる
・まつりとは、調和することでもある(まつりとは調和(まつり)合はすことと申してあろうがな)
・身魂を洗濯すれば神懸かる(神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ)
・神懸かりには7通りある(神かがりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分れてゐるのざぞ)
・神はなんでもお見通し(神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面間違ひないから)
・臣民には役割がある(臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけて呉れよ)
・神の臣民とは日本人のみではない(顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ)
・外国人も神の子である(日本ばかりが可愛いのではないぞ、世界の臣民 皆わが子ぞ。わけへだてないのざぞ)
・神とは言波である(神は言波ぞ、言波とはまことぞ、いぶきぞ、道ぞ)
・神心にはエゴがない(人間心には我があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ)
・あらゆる存在は等しく創造物の内(よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆悉く大神の肚の中であるぞ)


道理について

・物事には表も裏もある(表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが、一枚の紙にも裏表)
 → 神示には内容を深読みさせるような記述が数多くみられる
・悪と思っていたことにも善がある(悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ)
 → いわゆる常識的な価値観が、実は逆であるということを示唆する記述が多い
・思考は迷いを生む(考へは人の迷ひざぞ、(中略)、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか)
 → 肉体心で知る事は皆粕(カス)ばかり、迷ひの種ばかりぢゃぞ
・善悪なんて無い(悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、この道理分りたらそれが善人だぞ)
・理屈は悪魔である(泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが)
・自分の持物など無い(此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ)
・悪には悪の存在意義がある(悪も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ)
・頭だけが重要なのではない(いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ、この道理分りたか)
・道は真っ直ぐというわけではない(道は真直ぐとばかり思ふなよ、曲って真直ぐであるぞ)
・その国の神を祀るのが道理(神まつれと申すのぞ。外国には外国の神あると申してあろが)
 → 外国に行ったら外国の神を祀るべし(み戦さすすめて外国に行った時は、先づその国の神まつらねばならんぞ)
  ⇒ ただし、祀るとは「まつらう(従う)」の意
・キが重要(キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ)
 → キは総ての元である(心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは(よろこび)ざぞ)
  ⇒ 「気」および「スピリトゥス」「プシュケー」「プネウマ」「ルーアハ」「プラーナ」などとも関連するか?
・相反する事物の表裏一体性を説く(詳しくは「第17巻 地震の巻」を参照)
 → ただし、説明文に特殊記号が用いられるため、解釈は読者に委ねられる
・梵我一如(不二一元論)や縁起のような原則を説く(詳しくは「第17巻 地震の巻」を参照)
 → ただし、説明文に特殊記号が用いられるため、解釈は読者に委ねられる
・思いの力は実在する(思いは力、実在ぞ)
 → 量子力学の観察者効果に通じるか?
・体験と理解が財産となる(迷ふなよ。迷ふは慾からぢゃ。体験と理解のみ財産ぞ)
・与えることは戴くことである(与へることは戴くこと。まだ判らんか)
・二元論ではない(陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ)
・科学では解っていることしか判らない(今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん)
 → ただし、科学が参考になることもある(高度な科学書も参考となるものぞ、科学を馬鹿にしてはならん)
・唯物論では真理は解けない?(外から行く宗教や哲学や科学が元を判らなくしてゐるのぢゃ)
 → 元わからんで生きのいのちの判る筈ないぞ。今の世は逆様ぢゃ。先祖から正せよ。原因から正して行かなならんぞ
・一神論も多神論も中身は没神論と変わらない(一神則多神則汎神である事実を説いてきかせよ)
 → 本質的な神を説明するに至ってない(一神説いて多神説かんのもかたわ、多神説いて一神説かんのもかたわ)
・言葉には虫が付いている(言葉の裏には虫がついてゐるぞ)
 → 英語学ぶと英語の虫に、支那語学ぶと支那語の虫に犯されがちぢゃ
・平等の定義(一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂天であるぞ。これが公平であり平等と申すもの)
 → 平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ、天地をよくみよ、人民の申す如き平等も公平もないであろうがな


方法について

・捨てることで掴めることがある(何もかも捨てる神民、さひはひぞ、捨てるとつかめるぞ)
・道は自分で進むもの(道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ)
・厳しい状況は行(ぎょう)と捉えて喜ぶべし(何事も行であるから喜んで行して下されよ)
・あらゆるものを尊ぶべし(何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵とうとべば敵が敵でなくなるのぞ)
・善悪を見分けるべし(まことの善は悪に似てゐるぞ、まことの悪は善に似てゐるぞ、よく見分けなならんぞ)
・世界は一つの王で治めるべし(世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ)
・光は着て食べるべし(神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ)
・食物は一度 神に捧げるべし(獣の喰ひ物くふ時には、一度 神に献げてからにせよ、神から頂けよ)
・色眼鏡を外すべし(眼鏡はづすに限るのぞ、眼鏡はづすとは洗濯することざぞ)
 → 先入観や固定観念を捨てることが重要とも取れる
・神の道に従うべし(神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか)
・髪を清い地に捧げるべし(玉串として自分の肉体の清い所 供へ奉れよ)
 → 髪を切って息吹きて祓ひて紙に包んで供へまつれよ、玉串は自分捧げるのざと申してあろがな
・科学より神学(学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか)
 → 神の智と学の智とは始は紙一重であるが、先に行く程ンプ出来て来て天地の差となるぞ
・作物を作るにはウケモチを祀るべし(保食の神祀らづに、いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ないぞ)
・他人を助けるには己を活かすべし(己を活かし他人(ひと)も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ)
 → 己殺して他人助けることは、此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、それは悪の天の教であるぞ
・日ユを合一すべし(スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて(中略)影ない光の世と致すのぢゃ)
・日本の神と同じく外国の神も祀るべし(其の左に仏、基、マホメットの神様(中略)よきにまつり結構致し呉れよ)
 → 「第19巻 マツリの巻」に詳しく記されている


人(肉体・霊体・魂)について

・肉体は土から出来ている(御土は神の肉体ぞ。臣民の肉体もお土から出来てゐるのぞ)
 → 旧約聖書や中国神話などにも同様の記述がある
・病気と大地には関連性がある(臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ)
 → 別の巻に土を踏めとある(出来れば、はだしになってお土の上に立ちて目をつむりて足にて呼吸せよ)
  ⇒ 土の重要性について、幾度も説かれている(食や健康と関連性が強い)
 → 近年より、裸足で大地に足を付けることで病気が治るといった研究結果が出てきている(参考動画
・心と身体は一つ(臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ)
 → 古くから「病は気から」と云われ、薬学においても薬効にはプラシーボ効果による影響が認められている
・人の肉体は神の衣である(神の衣とは人の肉体のことぞ)
 → 神の入れ物でもある(人民は神のいれものと申してあろう)
・男女の魂は肉体とは逆(男の魂は女、女の魂は男と申して知らしてあろがな)
・血は霊であり神である(血尊べよ、血は霊であるぞ神であるぞ、血にごしてはならんぞ)
・人は神にもなる(人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ)
・魂は永遠(肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ)
・霊人という概念も存在する(地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在する ほか)
 → 日と月の霊人がおり、その生活様式や思想などについても詳しく記される(詳しくは「第17巻 地震の巻」を参照)
・宇宙は霊と物質からなり、人間もまた同様(宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。人間も又同様であるぞ)
 → 「日月神示 第30巻 冬の巻」に詳しく記されている
・霊かかりという現象がある(「日月神示 第34巻 竜音の巻」に詳しく記されている)


食物について

・食物はあまり必要でない(食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ)
 → 近年より、断食療法(ファスティング)の有用性が説かれ始めている
・食物自体の栄養素は重要ではない(食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養大切)
・食べられる土がある(薬のお土もあれば喰べられるお土もあるぞ)
 → 天之日津久神社の周辺には「ツチゴメ」という食べられる土が落ちているという噂がある
・食物で性質が変化する(牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ)
 → 肉食により気性が荒くなり物欲が増すという報告がある(当然、反対意見もある)
  ⇒ 『給食で死ぬ!!』という書籍によれば、給食の改善により学生の非行率が減ったという報告がある(参考動画
・神の食物に病なし(一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな)
 → 一二三は神食。三四五は人食、五六七は動物食、七八九は草食ぞ
・神食の食べ方(一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ)
 → 神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ
 → 心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ
・肉食は共食いになる(四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ)
 → 五穀野菜の類が適食(草木から動物生れると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ)
  ⇒ 霊長目ヒト科の主食は植物とされる(ただし、雑食性は認められる)
 → 一説にはヒトは果食動物といわれる(歯並びや腸の長さなど、いくつかの根拠が示されている)
  ⇒ ただし、人種によって腸の長さが異なるなどことから、反論および肉食とする説もある
・満腹は死に近づく(腹一杯食べてはならん、死に行く道ぞ、二分を先づ神にささげよ)
・食べないから死ぬのではなく、食べるから死ぬのである(食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ)
 → 近年より、不食でも生きられるといった研究結果が出てきている
  ⇒ ブレサリアン(気食主義者)の登場や、サンゲイジング(太陽凝視)という方法も存在する


今の日本について

・国民の直感力が欠けている(鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな)
・イシヤの仕組に嵌められている(イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり)
・日本古来の宗教観を失っている(日本精神と申して仏教の精神や基督教(キリスト教)の精神ばかりぞ)
・資本主義では国は治まらない(臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ、神の光のやり方でないと治まらんぞ)
・西洋科学(唯物論)に囚われている(今の臣民、学に囚へられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ)
・今の経済はものを殺す(今の経済は悪の経済と申してあろがな、もの殺すのぞ。神の国の経済はもの生む経済ぞ)
 → 戦時中の神示
・今の政治はものを壊す(今の政治はもの毀(こわ)す政治ぞ、神の政治は与へる政治と申してあろが)
 → 戦時中の神示
・悪の仕組に嵌められている(スサノオまでは正常で、人皇から仏教・キリスト教伝来で神国日本が有耶無耶になった)
 → 詳しくは「日月神示 第15巻 岩の巻 第一帖」を参照
・選挙は麻薬(人民は選挙と申すマヤクに酔ってゐるぞ、選挙すればする程、本質から遠ざかるぞ)
 → 他に方法がないと定めてかかるから、悪魔に魅入られてゐるから判らんことになるぞ


諸宗教(教義)について

・神々は元は一つ(神も仏もキリストも元は一つぞよ)
・現代の宗教は偽物(釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ)
 → 他の神を拝してはならんと云う、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構
 → 他の宗教に走ってはならんと云う宗教もそれだけのもの。判らんと申してもあまりであるぞ
・大宗教は方便(仏教もキリスト教も回教(イスラム教)もみな方便でないか、教はみな方便ぢゃ)
・いわゆる宗教の神は人が造り出したもの(ゆとりのない神を、そなたがつくり上げてゐるぞ)
 → 人造神は捨てるべし(そなたは一度 神をすてよ。(中略)信ずれば信ずる程 危ないぞ)
・盲目的な宗教もある(同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ)
・御利益を誤解するべからず(病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん)
・聖書の「右の頬」について(右の頬を打たれたら左の頬をさし出して御座るなれど、それは真の無抵坑ではないぞ)
 → 打たれる要因がある(打たれるようなものを そなたがもってゐるからこそ、打たれる結果となるのぢゃ)
  ⇒まことに磨けたら、まことに相手を愛してゐたならば、打たれるような雰囲気は生れないのであるぞ
・仏教の「中道」について(中道のつもりで、他に中行く道はないと信じてゐるが、それでは足らんのう)
 → 道は平面では無く立体である(道は平面ではなく立体である立体の道を早うさとりなされよ)


神道について

・富士とは神の山である(富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ)
・富士を開くとは心に神を満たすことである(富士を開くとは心に神を満たすことぞ)
・日向(ひむか)とは神の使いである(ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ)
・鳥居とは水のことである(鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ)
 → 日本列島を囲む海水のことか?
・(今の)鳥居の形は十字架同様(鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ)
 → 基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ
・岩戸開きとは元の姿に戻すことである(岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ)
・岩戸開きは個々に異なる(それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と)
・岩戸は既に5回閉められている(岩戸は五回閉められてゐるのざぞ)
 → 那岐・那美の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時
  ⇒ 詳しくは「日月神示 第32巻 碧玉之巻 第十帖」を参照
・アマテラスの岩戸開きは間違いである(天照皇太神宮様の岩戸開きは、だました、間違ひの岩戸開きぞ)
・祝詞は読むものではなく、宣(の)るもの(今の神主 宣ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ)
・いわゆる神道の観念には間違いがある(惟神とは神人共に融け合った姿ざぞ。今の臣民 神無くして居るではないか)
 → 惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、それが一等の間違ひざぞと申してあろが
・柏手には2種類ある(かしはでとカシハデと二つあるぞ。拍手はちかひとチカヒのしるし。手摺るのは願ひのしるし)
・フトマニには深い意味がある(詳しくは「日月神示 第32巻 碧玉之巻」を参照)


神仏(人格神)について

・元の大神も存在する(世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ)
・コノハナサクヤヒメを祀るべし(二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ)
 → コノハナサクヤヒメはニニギの妻の国津神で、浅間大社で浅間大神としても祀られている
・天之日月神は一柱ではない(天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ)
 → ただし、一柱でもある(一柱でもあるのざぞ)
・天之日月神はオオカムヅミでもある(この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ)
 → 『古事記』ではイザナギに神名を与えられた桃であり、愛知県犬山市では桃太郎のルーツとされる
・出雲の神も尊い神である(出雲の神様 大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ)
・スサノオは世界中の罪を背負った大神(世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか)
 → スサノオを祀るべし(此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れよ)
  ⇒ 加えて月も祀るべし(月の神様まつりて呉れよ。(中略)月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ)
 → スサノオは陰からの守護神(此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ)
  ⇒ 加えて地(くに)、土、祓い清めの神である(地の御神様、土の神様ぞ、祓ひ清めの御神様ぞ)
 → スサノオは無罪(間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ)
  ⇒ それでこの地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ
 → スサノオは粗暴な神ではない(アラブル神とは粗暴な神ではないぞ(中略)アラフル(現生る)神であるぞ)
 → 2通りある(素盞鳴の命にも二通りあるぞ)
  ⇒ 一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ
・天地に天照皇大神、天照大神の2神が居る(天にも 地にも あまてらすすめ大神様、あまてらす大神様あるのざぞ)
 → 天照皇大神は伊勢内宮の正式な祭神名とされ、一般的には天照大神の別名とされている
 → 天の天照皇大神様は更なり、天の大神様、地(くに)の天照大神様、天照皇太神様を特に篤く祀り呉れよ
・ツクヨミは地に隠れている(地にも月読の大神様 隠れて御座るのざぞ)
 → 月の大神様 御出でまして闇の夜は月の夜となるのざぞ
・龍宮の乙姫とは玉依姫である(竜宮の乙姫殿とは玉依姫の神様(たまよりひめのかみさま))
・泥海を開拓したのは国常立尊(世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国常立尊であるぞ)
 → 国常立尊は天地の元の神(ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地(千、智)の元の、天地の元の元の元の神ぞ)
  ⇒ ウシトラとは東北を指す(ウシトラとは東北であるぞ)
 → 国常立大神の肉体が日本列島である(国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ)
・向津姫の名を挙げている(今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは(中略)つきさかきむかつひめの神様)
 → 『ホツマツタヱ』における男神・アマテル神の正室に当たり、オシホミミの母とされる
  ⇒ 『記紀』には登場せず、恣意的に抹消されたという説もある(しかし、廣田神社の祭神として知られる)
・神は菩薩としても現れていた(神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから)
・ミロク(弥勒菩薩?)は真のアマテラス(ミロク様とはマコトのアマテラススメラ太神様のことでござるぞ)
 → 後の巻では月の神であるとも?(ミロク様が月の大神様)
 → さらに後の巻に日月一体の神とある(そこで月の神、日の神が御一体となりなされて「ミロク」様となりなされるなり)


世界観(地理も含む)について

・天の異変は人の異変(天の異変は人の異変ぞ)
・あの世とこの世は合せ鏡(?の国、霊の国とこの世とは合せ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ)
・神界は七つに分かれている(天国が上中下の3段、地国も上中下の3段、その間に中界があって7つ)
 → 今の世は地獄の2段目(昭和19年8月18日、終戦のちょうど1年前に当たる年の神示)
・日本国は世界の雛型である(日本の国は世界の雛形であるぞ)
 → ただし、該当しない場所もある(今は日本の国となりて居りても、神の元の国でないところもあるのざから)
 → 古史古伝の『竹内文書』にも同様のことが記されている
・丹波が世界の中心(タンバはタニハ(中略)タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ)
・地にも太陽がある(天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのざぞ)
 → 月も星もある(天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。天にお星様ある様に地にもお星様あるのざぞ)
・人や星などに形は無い(皆形無いものいふぞ、息してゐるもの皆円いのざぞ)
 → お太陽(ひ)様円いのでないぞ、お月様も円いのではないぞ、地球も円いのではないぞ
・太陽は緑である(赤いとばかり思ってゐたであろがな、まともにお日様みよ、みどりであるぞ)
 → 旗印(日の丸)を以って説明していることから、何かの喩えかもしれない
・太陽は一つではない(お日様も一つでないぞ。ひとりまもられているのざぞ。さむさ狂ふぞ)


予言など

・戦争は洗濯が終わるまで終わらない(戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない)
 → 世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか
 → 戦時中の神示(神示の中の戦争をどう定義するのかは難しい)
・陸と海が逆になる(海が陸になり陸が海になる)
 → 何かの喩えかもしれない
・金の要らない世になる(神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金のいらぬ楽の世になるぞ)
・それなりの自由は約束される(酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる)
・日本は敗戦する(日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ)
 → 戦時中の神示であり、神示の翌年に原爆が投下されている
・日本古来の宗教は蔑になる(一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ)
 → 戦後の日本には国教と言える宗教は無い(無神論者が多い)
・生きた死者と死んだ生者が出る(死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ)
 → 役目もある(殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ)
・天変地異が起きる(地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ)
・日本以外の世界は7つに分けられる(日本は別として世界七つに分けるぞ)
・地を這う者と空を飛ぶ者に分かれる(獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ)
・物を持たない者が強くなる(物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ)
・戦争が無い時ほど油断してはならない(戦は一度おさまる様に見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ)
・米国批判?(星の国、星の臣民 今はえらい気張り様で、世界構うやうに申してゐるが、星ではダメだぞ)
・獣と神に分かれる(獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ)
・世界は一つの実言(みこと)となる(それぞれの言の葉はあれど、実言は一つとなるのであるぞ)
・悪の仕組(悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ)
・良き世には身体が大きくなって寿命も延びる(よき世となったら、身体(からだ)も大きくなるぞ。命も長くなるぞ)
・イスラエルの十二支族の源が分かる時代が来た(「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ)
 → 戦後の神示によるもの
・三種の神器 (電化製品)と3S政策?(三エスの神宝(かんだから)と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ)
 → 戦後の神示によるもので、後世の予言とも取れる(戦後、GHQの介入によって日本文化は劇的に変化している)
・悪が栄える時代が来る(今一度 悪栄えることあるぞ、心して取違ひない様にいたされよ)
 → 日月神事では、悪を「学」や「理屈」を指すとしている(ただし、真意は不明)
・地獄を説く宗教は滅ぶ(地獄説く宗教は亡びるぞ。地獄と思ふもの、地獄つくって地獄に住むぞ)
・新しいカタは日本から(新しきカタはこの中からぞ。日本からぞ。日本よくならねば世界はよくならん)
・東北から手が差し伸べられる(今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢゃ)
 → 3.11と関連するか?
・半霊半物質の世界に移行する(半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん)
・新たな生命が生まれる(今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ)
・天国と地獄への道は逆(人民の心によって明るい天国への道が暗く見へ、暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ)
・珍事、珍人が生じ始める(珍しきこと珍しき人が現れてくるぞ、ビックリ、ひっくり返らんように気つけてくれよ)
・いわゆる宗教は無くなる(教では世は正されん。教のつどいはつぶれて了うのぢゃ)


祝詞・日本神話など

・いくつかの祝詞が記される
 → 一二三祝詞(ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか…)
  ⇒ Youtubeには、これを歌い上げた動画も多数存在する(Youtube ひふみ祝詞
 → ひふみ神言、あめつちの数歌、ひふみ祝詞、いろは祝詞、アイウエオ祝詞
 → 祓詞、誓約、拝詞
・日本神話が改めて記される
 → 『記紀』に登場しない神々や、独自の系譜も記される(イザナギの黄泉国訪問まで)
・特殊な拝礼方法が記される
 → いわゆる神社参拝の方法とは異なるもの


備考

日月神示(ひふみ神示)の関連サイト

ひふみ神示データーひふみ神示全文が読めるサイト
日月神示(ひふみ神示・一二三神示)日月神示の解説サイト


ジシンの巻の謎

Wikipediaによる「日月神示目次」によれば、第二次世界大戦の終戦後、初めて括られた神示は「第十三巻 アメの巻」になっていますが、書記日は「第十七巻 二日んの巻(ジシンの巻)」の方が若いです。そのため、「ジシンの巻」は意図して後に括られたものと思われます。

そして、この「ジシンの巻」は神示の中で唯一文法が現代的であり、かつ、その内容も 神道というよりは、大乗仏教やキリスト教の観点から理(ことわり)を説いた論文のようになっています。

「ジシンの巻」に関しては 内容も然ることながら、巻数が後回しにされていることや、文法(口調)が他と著しく違うなど、多くの謎があり、これには何か深い意味があるように思えます。


考察

日月神示の感想

序盤に示した通り、昭和中頃の大東亜戦争中に端を発するため、その背景や著者など 出所が詳細に記録されています。また、その内容から これを教典とする宗教団体も無いため、特定の者では無く、縁のある者すべてに向けられているとも言えます。

加えて、国内で特定の宗教団体に関わらない預言書は珍しく、かつ、著者である岡本天明自身も内容について具体的な言及をしていないとされるため、神によって降ろされた神示を読者自身が解釈するようになっている点が非常に面白いです。

なお、内容については、主に「心身の洗濯」「神について」の重要性を説いており、それと同時に多岐にわたる分野についての道理や方法論などが記されています。ただし、非常に複雑で難解な内容であるため、容易に理解はできません。

しかし、近年注目を浴びている個人研究や、半ばSFの領域に足を踏み入れている量子力学の仮説にも符合する内容も多く、先端の知識と併せて読んでみると意外と面白い発見もあると思います。

こうしたことから、日月神示は良い意味で既成概念を破壊するような斬新なものであり、また、今まで謎のままだった素朴な疑問についての解答や、食や健康に関する深い知識なども数多く記されているため、内容の真偽はさて置き、読んで損は無かったというのが素直な感想です。


注目すべき点

日月神示」と言えば、中に記された「予言」に注目されがちですが、予言については過去の出来事をこじつけることもできるし、未来を考察したところで水掛け論にしかならないと思われます。

そのため、個人的には「日月神示」における「」や「健康」に関する記述に注目することをオススメします。その理由は、上記の「内容」にも一部注釈を入れていますが、神示における「食」や「健康」の記述と、最新の研究結果(俗説も含む)に一部 符合する点が見られるからです。

例えば、「日月神示」には「食物の摂取はあまり重要でない」「食物によって性格も影響される」など、食に関して現代の一般常識とは異なる内容が記されています。それに伴い、現在では「断食療法(ファスティング)」や「不食」が注目されており、食生活が人間の性格や病に大きく影響するといった情報も出てきています。

また、「日月神示」には「土は人間の健康に大きく関わる」「土を踏めば病も治る」といったことも記されています。これに伴って、近年 大地に素足を付けることで肉体がアースされ、電磁波に冒された肉体を正常に戻るという研究結果が発見され、現在では「アーシング」として体系化されています。

これらは「日月神示」に端を発するものではないと思われますが、戦後間もなく書記された神示にこうしたことが記されているというのは大変興味深いです。そのため、「日月神示」の中には未発見の方法論が眠っているのかもしれません。


神とは何か?

」という名詞は、宗教をはじめ、科学や日常でも幅広く使われていますが、その意味は様々で一貫性はありません。

例えば、イスラム教・キリスト教・ユダヤ教など「一神教」における神は唯一のものですが、神道・道教・ヒンドゥー教など「多神教」における神は沢山存在するものとされます。また、仏教は無神的宗教とされます。

さらに、科学・哲学など学問の世界では神の存在を認めない「無神論」という考え方もあり、日常では「○○の神様」として架空の神を想像したり、特定の分野で優秀な成績を収めた人物を祭り上げて「神」と呼んで崇めることもあります。

これらのことから、現在定義されている「神」とは、「唯一であり、複数でもある」「存在するし、存在しない」「すぐに現れ、すぐに消える」といったような存在であると考えられているようです。

これに対し、日月神示では「神」は これらの要素を全て内包するような存在であり、かつ、人と神はある意味 同一で不可分な存在でもあるといった説明が為されています(非常に難解な説明ですが、読んだ上で現時点では こうした結論に至っています)。

また、深読みすれば、神を否定する科学や仏教における概念にも、日月神示でいう「神」が含まれているとも捉えられます(物理学の「量子」や、仏教の「空」にも符合する概念であると言えると思われる)。

そのため、いわゆる「神」とは、一見 一貫性の無い存在のように思われますが、それは視野の問題であり、視点や観点をずらしてみると、広い意味で一貫性を持つ存在であるとも言えると思います。

個々における「神」の定義は、それぞれの信仰や思想によって変わるため、会話の中に出すと誤解を招いて争論を招くことが多いですが、日月神示によって統合的で一貫性を持つ存在であるとも考えられることから、今一度「神」の定義を考えなおしてみると、新たな価値観を発見できるのかもしれません。

※ただし、原始仏教の法句経にも「神々」という名詞は登場し、現在の仏教には仏教の神である「天部」が存在する。


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