二見の立石(夫婦岩) [三重県]
2016/01/31
三重県伊勢市二見町江にある立石(たていし)です。
一般的には夫婦岩(めおといわ)の名で知られており、古くから「日の出の遥拝所」となっているそうです。
そのため、両岩の間から昇る太陽が有名で、一年で最も日が長い夏至には夫婦岩の前で身を清める神事も行われます。
また、この岩から望む太陽のほか、夜の満月も美しく、様々な風景が楽しめる景勝地としても有名です。
夫婦岩の概要
夫婦岩とは?
案内板によれば、夫婦岩は沖合700mの海中に鎮まる「興玉神石」の皇居と見なされており、「日の出の遥拝所」として古くから知られているとされています(太陽信仰に基づくとも)。
また、「日の大神(太陽)」と「興玉神石」を拝むための門石(鳥居)の役目も果たしているとされ、注連縄を張って奉るといった形容から、古神道における磐座信仰に基づくのではないかとも云われているようです(起源は垂仁天皇の時代とも)。
磐座信仰についてはこちらの記事を参照:【磐座信仰とは?】
呼称について
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夫婦岩は、古来より大きい岩を「男岩(おいわ)」または「立石」と呼び、小さい岩を「女岩(めいわ)」または「根尻岩」と呼んでいるとされています。
また、この両岩を「夫婦岩」と呼ぶようになったのは明治以降とされ、それまでは「立石(たていし)」と総称されていたそうです(なお、夫婦岩と呼ばれる奇岩は全国に多数ある)。
大注連縄について
夫婦岩を繋ぐように張られた大注連縄は「結界の縄」と称され、大注連縄の向こうは常世神(とこよのかみ)が太平洋の彼方から寄りつく聖なる場所として、その手前を俗世と隔てる「神界と俗界の結界」を意味しているとされています。
なお、この大注連縄は鎌倉時代の文保年間(1317~1319年)には既に張られていたとされ、毎年の5月5日、9月5日、12月下旬の年3回行われる夫婦岩大注連縄張神事によって張り替えられるそうです。
日の出のシーズン
夫婦岩の間から望む日の出の見ごろは5~7月頃と言われ、夏至には両岩の間から日が昇り、富士山頂と重なるとされます。そのため、夏至が最も美しく見えるとされており、「二見のダイヤモンド富士」として知られているそうです。
そのほか、4~8月の間は両岩の中央から朝日が昇り、冬には中央から満月が昇ると言われています。
夫婦岩のスペック
夫婦岩のスペックは以下の通りです。
・男岩の高さ:9m
・女岩の高さ:4m
・大注連縄の長さ:35m
・男岩に巻かれる注連縄:16m
・女岩に巻かれる注連縄:10m
・両岩の間の注連縄:9m
※女岩は大正7年(1918年)の台風によって倒れたため、固定修理されているという
・女岩の高さ:4m
・大注連縄の長さ:35m
・男岩に巻かれる注連縄:16m
・女岩に巻かれる注連縄:10m
・両岩の間の注連縄:9m
※女岩は大正7年(1918年)の台風によって倒れたため、固定修理されているという
関連知識
興玉神石とは?
サルタヒコ |
興玉神石(おきたましんせき)とは、二見興玉神社の祭神である猿田彦大神(サルタヒコ)に縁のある霊石とされ、「猿田彦大神の化身」とも「天孫降臨の際に猿田彦大神が立たれた」とも伝わっているとされます。
また、常世の神が最初に寄りつく神聖な岩とも云われており、江戸時代の地誌『勢陽五鈴遺響』によれば、「興玉」とは 海中の神霊の意味する「澳魂(おきたま)」を指すと紹介されているそうです。
なお、かつては肉眼で確認することもできたとされますが、江戸時代の「安政の大地震」で起こった津波の影響で沈没してしまったため、今は見ることが出来ないとされています(1960年のチリ地震による津波で水が引いた際に一時的に姿を現したとも)。
二見興玉神社とは?
二見興玉神社 |
二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)とは夫婦岩の前にある神社です。
由緒書によれば、垂仁天皇の時代に二見浦を訪れた倭姫命(ヤマトヒメ)が、猿田彦大神が出現したという興玉神石を敬拝するために、立石(夫婦岩)に注連縄を張って拝所を設けたことに始まるとされています。
二見興玉神社についてはこちらの記事を参照:【二見興玉神社】
夏至祭
夫婦岩のある二見浦一帯は古来より「清渚(きよきなぎさ)」と呼ばれており、人々が伊勢参宮の前に汐を浴びて、心身を清めた禊浜であるとされています。
そして、夏至には夫婦岩の間の興玉神石の真上から一年で最も力強い太陽が昇るとされるため、それに併せて「夏至祭」が行われるそうです。
この祭は毎年6月下旬頃に行われ、人々が白衣を着て夫婦岩の前に立ち、海水に身を浸しながら心身を清めて日輪を拝むといったものになっています。
夫婦岩にまつわる民話
二見には夫婦岩に因む以下の様な民話があるそうです。
母子岩
大昔、南方より渡って来た神々は、今の二見辺りに到着した。ここは白砂で青松茂る波静かな地であり、神々が住むのに適した地であった。そして、その中には賢く美しい夫婦の神が現れた。
夫神は利巧で頑丈な体を持ち、漁や狩りをして他の神々の信頼を集めて集落を治めるに充分な力を持っていた。また、女神も綺麗で賢く、仕事を上手くとりまとめる心優しい女神であった。
ところがその夫婦の神であったが子供がなかったため、人々はこの夫婦の神を羨む一方、後継が無いのを気の毒に思った。
女神は子が授かることを乞い願い、雨の日も風の日も、荒波の朝も休まず海神に向かい祈り続けた。女神が海で祈るのは仕事を終えた夜や人目のつかない夕方、また星影の明るい夜明けであり、祈るその姿は崇高であった。
何十年と一日も欠かすことなく祈りを続けた女神だったが、年月を重ねた末に老婆になってしまった。しかし、霜の多い朝のこと、女神が祈っていると海上の波が膨れ上がりだんだんと押し寄せてくるのを感じた。目を凝らして辺りを良く見ると、波間に浮んだのは可愛い子供の姿であった。
女神はその子供を救い上げ、自分の懐に入れて家に連れて帰った。すると、夫神は大変喜び「海神に祈りを捧げたおかげだ。これこそ尊い神の子。天童と名付けよう。」といって海神に感謝した。
それからしばらくすると、女神が祈り続けた場所に異変が起きた。女神が祈っていた岸辺の岩山が盛り上がり、形の良い2つの岩石が出てきたのだ。この岩は緑青の草をつけ、潮を含み、ちょうど母子が手をつないで大海に向かい浮き立っているかのように見えた。
それを見た人々は「これは母子の岩じゃ。」といって不思議がり、岩屋の片隅に「奇子母像」を祀った。それからは、子供の欲しい人は、その岩屋へ行き祈願するのであった。
そして、数百年の時が立ち、この岩礁は「夫婦岩」とも名付けられ、注連縄を張って神を祀る様になったという。
大昔、南方より渡って来た神々は、今の二見辺りに到着した。ここは白砂で青松茂る波静かな地であり、神々が住むのに適した地であった。そして、その中には賢く美しい夫婦の神が現れた。
夫神は利巧で頑丈な体を持ち、漁や狩りをして他の神々の信頼を集めて集落を治めるに充分な力を持っていた。また、女神も綺麗で賢く、仕事を上手くとりまとめる心優しい女神であった。
ところがその夫婦の神であったが子供がなかったため、人々はこの夫婦の神を羨む一方、後継が無いのを気の毒に思った。
女神は子が授かることを乞い願い、雨の日も風の日も、荒波の朝も休まず海神に向かい祈り続けた。女神が海で祈るのは仕事を終えた夜や人目のつかない夕方、また星影の明るい夜明けであり、祈るその姿は崇高であった。
何十年と一日も欠かすことなく祈りを続けた女神だったが、年月を重ねた末に老婆になってしまった。しかし、霜の多い朝のこと、女神が祈っていると海上の波が膨れ上がりだんだんと押し寄せてくるのを感じた。目を凝らして辺りを良く見ると、波間に浮んだのは可愛い子供の姿であった。
女神はその子供を救い上げ、自分の懐に入れて家に連れて帰った。すると、夫神は大変喜び「海神に祈りを捧げたおかげだ。これこそ尊い神の子。天童と名付けよう。」といって海神に感謝した。
それからしばらくすると、女神が祈り続けた場所に異変が起きた。女神が祈っていた岸辺の岩山が盛り上がり、形の良い2つの岩石が出てきたのだ。この岩は緑青の草をつけ、潮を含み、ちょうど母子が手をつないで大海に向かい浮き立っているかのように見えた。
それを見た人々は「これは母子の岩じゃ。」といって不思議がり、岩屋の片隅に「奇子母像」を祀った。それからは、子供の欲しい人は、その岩屋へ行き祈願するのであった。
そして、数百年の時が立ち、この岩礁は「夫婦岩」とも名付けられ、注連縄を張って神を祀る様になったという。
参考サイト:伊勢 おいないな 日記 ~サラリーマンの写真記~
その他の奇岩
烏帽子岩(蛙石)
夫婦岩の付近にある烏帽子岩(えぼしいわ)です。
案内板によれば「蛙石(親子蛙)」の名で紹介されており、近年には蛙の容姿を為してきたと説明されています。
獅子岩
夫婦岩の付近にある獅子岩(ししいわ)です。
屏風岩
夫婦岩の付近にある屏風岩(びょうぶいわ)です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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