宇治神社(足神さん) [三重県]
2016/01/28
三重県伊勢市にある宇治神社(うじじんじゃ)です。
皇大神宮(内宮)の南に位置しており、境内社の足神神社が足の疲労や病に霊験あらたかとして有名です。
そのため、陸上選手などの参拝も多いそうです。
神社概要
由緒
創祀については、古来より二説あるとされます。
その一つは、皇大神宮(内宮)の末社・那自賣神社の旧地であるという説です(那自賣は「納米」の転訛とも)。もう一つは、万治3年(1660年)7月29日の宇治洪水の際、神路山に在った小祠が当地に漂着し、それを祀ったとする説です。
いずれにせよ、当社は以前より中之切町字森に鎮座した社であり、かつては「饗土ノ山神社」とも称したと伝えられているとされ、明治16年(1883年)8月には、元不動明王院の鎮守であった「弓場天神」を当社の瑞垣内に、別に小祠を造立して奉祀したそうです。
また、明治41年(1908年)3月、館町鎮座の求神社(御裳須曽姫神)、足神社(宇摩志阿斯訶備比古遅神)、水神社(速秋津日子神・速秋津比女神)、今在家町鎮座の鏡石神社(新川比賣神)、石津賀神社(神名不詳)、山神社(大山祗神)、稲荷社(宇迦之御魂神)、佐野姫神社(同)、水神社(水波賣神)、中之切町鎮座の蘭神社(素盞嗚尊)、浦田町鎮座の八幡社(應神天皇)、稲荷社(宇迦之御魂神)、秋葉社(火産靈神)、瀧倉神社(玉移良比賣神)、山神社(大山祗神)、崇忠神社(菅原道眞・和氣清麿・楠正成・天兒屋根命・大織冠鎌足)、同年7月、館町鎮座の荒木田一門神社(天見通命・彌武彦神)を合祀し、明治45年5月、境内社・弓場菅原社(菅原道眞)を合祀して現在に至るとされています。
祭神
宇治神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・大山祗神(オオヤマツミ):『記紀』に登場する山の神
合祀神(計23柱)
・天見通命(アマノミトオシ):大鹿島命の孫で、荒木田氏の祖とされる
・彌武彦神(ヤタケヒコ)
・御裳須曽姫神(ミモスソヒメノカミ):水の神(那自売神社の祭神)
・宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ):別天津神の一柱で、生命力を神格化した神とされる
・速秋津日子神(ハヤアキツヒコ):『記紀』に登場する河口の神(祓戸四神の一柱とも)
・速秋津比女神(ハヤアキツヒメ):同上
・新川比賣神(ニイカワヒメ):水の神(新川神社の祭神)
・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):稲荷神
・水波賣神(ミズハノメ):水の神
・素盞嗚尊(スサノオ):出雲の祖神で、三貴子の一柱
・應神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇で、八幡神(武神)とされる
・火産靈神(ホムスビ):火の神(カグツチと同一視される)
・玉移良比賣神(タマイラヒメ):宇治都比女命の子とされる(葦立弖神社の祭神)
・菅原道眞(すざわらのみちざね):天満天神、学問の神
・和気清麿(わけのきよまろ):奈良~平安時代の貴族で、平安遷都に尽力した(護王神社の祭神)
・楠正成(くすのきまさしげ):鎌倉~南北朝時代の武将で、建武の新政の際に活躍した
・天兒屋根命(アメノコヤネ):中臣連の祖神であり、藤原氏の氏神とされた
・大織冠鎌足(たいしょくかんかまたり):飛鳥時代の政治家である藤原鎌足(中臣鎌足)と同じ
・羽倉東麿(はくらあずままろ):荷田春満とも称す、江戸中期の国学者(国学四大人の一人)
・岡部深淵(おかべまぶち):江戸中期の国学者である賀茂真淵と思われる(国学四大人の一人)
・本居宣長(もとおりのりなが):江戸後期の国学者で、『古事記』の注釈書『古事記伝』を著した(国学四大人の一人)
・平田篤胤(ひらたあつたね):江戸中期の国学者で、復古神道を発展させた(国学四大人の一人)
・不詳一座
・大山祗神(オオヤマツミ):『記紀』に登場する山の神
合祀神(計23柱)
・天見通命(アマノミトオシ):大鹿島命の孫で、荒木田氏の祖とされる
・彌武彦神(ヤタケヒコ)
・御裳須曽姫神(ミモスソヒメノカミ):水の神(那自売神社の祭神)
・宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ):別天津神の一柱で、生命力を神格化した神とされる
・速秋津日子神(ハヤアキツヒコ):『記紀』に登場する河口の神(祓戸四神の一柱とも)
・速秋津比女神(ハヤアキツヒメ):同上
・新川比賣神(ニイカワヒメ):水の神(新川神社の祭神)
・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):稲荷神
・水波賣神(ミズハノメ):水の神
・素盞嗚尊(スサノオ):出雲の祖神で、三貴子の一柱
・應神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇で、八幡神(武神)とされる
・火産靈神(ホムスビ):火の神(カグツチと同一視される)
・玉移良比賣神(タマイラヒメ):宇治都比女命の子とされる(葦立弖神社の祭神)
・菅原道眞(すざわらのみちざね):天満天神、学問の神
・和気清麿(わけのきよまろ):奈良~平安時代の貴族で、平安遷都に尽力した(護王神社の祭神)
・楠正成(くすのきまさしげ):鎌倉~南北朝時代の武将で、建武の新政の際に活躍した
・天兒屋根命(アメノコヤネ):中臣連の祖神であり、藤原氏の氏神とされた
・大織冠鎌足(たいしょくかんかまたり):飛鳥時代の政治家である藤原鎌足(中臣鎌足)と同じ
・羽倉東麿(はくらあずままろ):荷田春満とも称す、江戸中期の国学者(国学四大人の一人)
・岡部深淵(おかべまぶち):江戸中期の国学者である賀茂真淵と思われる(国学四大人の一人)
・本居宣長(もとおりのりなが):江戸後期の国学者で、『古事記』の注釈書『古事記伝』を著した(国学四大人の一人)
・平田篤胤(ひらたあつたね):江戸中期の国学者で、復古神道を発展させた(国学四大人の一人)
・不詳一座
境内社
足神神社(足神さん)
宇治神社の境内社・足神神社(あしがみじんじゃ)です。
伝承によれば、江戸時代の宝暦年間(1751~1764年)に磯部街笹原茶屋の亭主が、足を怪我した老狐の治療に手を尽くしたものの、悶死してしまったため、その老狐を手厚く葬り、山神に祖霊として祀って崇敬したことに始まるとされます。
また、『神宮典略』によれば、皇大神宮(内宮)の末社・葦立弖神社に当てられているそうです。
現在は祭神に生命力を神格化した神とされる宇麻志阿斯訶備比古遅神を祀っており、「足の疲労平癒」に非常に霊験あらたかとされることから、「足神さん」と呼ばれて親しまれているとされています。
なお、遠方からも参拝者が多いとされ、草鞋を献納する風習もあるとされます。
祭神
・宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ):別天津神の一柱で、生命力を神格化した神とされる
・宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ):別天津神の一柱で、生命力を神格化した神とされる
蓬莱稲荷神社
宇治神社の境内社・蓬莱稲荷神社です。
元来、今在家町丸山にあった稲荷社とされ、やがて中之切町に遷り、そこから当地に遷座したとされています。
祭神
・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):稲荷神
・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):稲荷神
境内の見どころ
参道
宇治神社の参道です。
「足神さん」の幟が多数設置されています。
撫石
宇治神社の撫石(なでいし)です。
禊や祈祷の時に、穢れや災いを移して身代りにした石とされています。
身体(特に足)の患部を撫でてから石を撫で、病気平癒を祈願するのが一般的とされているようです。
足神さんの奉納絵馬と草鞋
宇治神社の奉納絵馬と草鞋です。
草鞋は足神さんに因む風習とされています。
社殿
宇治神社の社殿です。
不詳社
宇治神社の本社脇の社殿です。
案内板はありませんが、由緒から弓場天神であろうと思われます。
岩山
宇治神社の周辺は岩山となっているのか、山肌に多数の巨岩がゴロゴロしています。
料金: 無料
住所: 三重県伊勢市宇治今在家町172(マップ)
営業: 終日開放
交通: 五十鈴川駅(徒歩30分)
公式サイト: http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE/
住所: 三重県伊勢市宇治今在家町172(マップ)
営業: 終日開放
交通: 五十鈴川駅(徒歩30分)
公式サイト: http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E7%A5%9E%E7%A4%BE/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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