人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

京都府福知山市大江町にある元伊勢内宮 皇大神社(もといせないくう こうたいじんじゃ)です。

社伝によれば、天照大神が倭の笠縫邑から遷座したと伝えられており、それによって「元伊勢」と称されています。

また、神体山である「岩戸山(日室ヶ嶽)」は幾何学的な美しさを誇る山であり、一説にはピラミッドと言われています。

そのほか「麻呂子親王が鬼退治の際に勧請した」「源頼光が酒呑童子討伐の前に参拝した」などの伝承もあるようです。

なお、周辺には「豊受大神社(外宮)」「天岩戸神社」もあることから、併せて「元伊勢三社」と総称されています。


神社概要

由緒


由緒書によれば、第10代 崇神天皇39年(紀元前59年)、天照皇大神を奉じた豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)に「別に大宮地を求めて鎮め奉れ」という神勅がに下ったため、倭の笠縫邑を出て丹波に遷幸し、当社を創建したと伝わっているそうです。

その後、天照皇大神は4年間 当地に鎮座し、後に倭へ還幸を経て 諸国を巡幸し、第11代 垂仁天皇26年に伊勢の五十鈴川上(現・伊勢神宮)に鎮座したとされています。

そして、跡地は伊勢神宮の元宮として、天照皇大神の神徳を仰ぐ崇敬者に信仰され、現在では「元伊勢(内宮)」と称されて親しまれているそうです。

なお、当社は古来より日室岳(岩戸山)を神体山とする古社であるとも云われ、天照皇大神の鎮座以降は「吉佐宮跡」とも称されたと云われています。

また、当社の由緒を語る伝承・文献はいくつかあるようなので、それらを掻い摘んで以下にまとめておきます。

伝承


・社伝:崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から遷座したことを創祀とし、後に伊勢国に遷ったとする
・不甲神社説:所在不明の延喜式内社・不甲神社に比定する説
・天手力雄神社説:丹後で最古級の天手力雄神社であるとする説

文献


・『丹後国加佐郡旧語集』:天照大神は大和国より遷されて、後に伊勢国高間原へ遷宮されたとする
・『加佐郡誌』:崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から吉依宮(吉佐宮)に還幸する際、一時的に留まったとする
・『丹後州宮津府志』:用明天皇の皇子・麻呂子親王が鬼退治の際に外宮とともに勧請したとする

祭神


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の祭神は以下の通りです。

主祭神


・天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ):太陽を神格化した神とされ、現在の伊勢神宮内宮の主祭神でもある

元伊勢三社


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
皇大神社(内宮)
人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
豊受大神社(外宮)
人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
天岩戸神社

伊勢神宮の創建前に天照大神が鎮座した地を「元伊勢」と言いますが、大江町には伊勢と同様に「皇大神社(内宮)」「豊受大神社(外宮)」が揃っていることから、二社の総称として「元伊勢神宮」と称されるそうです。

また、同地内の「岩戸山」の異称を持つ両宮の神体山「日室ヶ嶽(ひむろがたけ)」があり、その麓には「天岩戸神社」が鎮座しているため、この三社の総称として「元伊勢三社」と称するとされています。

伊勢との類似性


丹後には元伊勢伝承があり、それに伴って元伊勢を称する神社がいくつかあります。その中でも、天橋立付近にある籠神社奥宮・真名井神社が最も有力な神社であるとされています。

しかし、福知山の元伊勢神宮は、「内宮」「外宮」が揃っている他にも、付近には「五十鈴川」が流れ、さらに「猿田彦神社」まであります。そのため、伊勢の神宮と類似する形になっていると言えます。

全てを厳密に調べたワケでは無いので、後世 伊勢と類似する呼称が付けられた可能性は否定できませんが、仮にここが元伊勢であるならば、後に伊勢の神宮のモデルになったのではないか、と言えるような気もします。

謎の案内板


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の付近(境外)には、奇妙な記載のある案内板が設置されています(以下、転載)。

地球終末の時、全人類救済の神として降られました 天ノ御中主大神(アメノミナカヌシオオカミ)岩長姫命(イワナガヒメノミコト)八岐大龍神(ヤチマタノダイリュウジン、やまたのおろち)鎮座の元伊勢皇大神宮にようこそ 御参拝おめでとうございます。鳥居の三歩手前で心鎮めて天皇陛下の御偉徳に感謝。

御祭神 天照皇大神(アマテラススメオオカミ)の御神霊は天皇陛下の御穂です。とは火水(カミ)で、この地球のことです(+核体)。

とは、地球の中に燃えているマグマの事で、岩の中に秘められたエネルギー 即ち岩長姫の事(いわほ)、マグマが無ければ地球は氷河になります。

とは、の事を天照大神と申し、太陽も地球熱の反射体です。地球も人体も八割は水です(みづほ)。

マグマと水を岩がしっかり囲い、岩の磁力で星のイオンを集めた大気圏のお陰で人も呼吸し、引力で立っていられます。月も岩です。

45億年昔、地球から月が飛び出して以来、地球と月に遠芯力、吸芯力の作用が起きて、月は銀河のイオン(火電子)を地球に送り、その無形の柱が富士に立っています。その火電子の柱を髙天原(たかまがはら)と申し、地球を廻しています。

八岐大龍神とは、1秒間 地球七廻り半の光の事であり、水流、気流、電流となって宇宙根源の銀河(天ノ御中主大神)から地球を作られた神(降地(オロチ))で、地球を常に清々回復させ、人体には白血球を降し(降血(オロチ))、すべての生物に吹息をかける働きの神であり、般若心経、ノストルダムスの預言も この神から降りました。

昔から、天皇陛下が朕(ちん)と申されるのは、月の代辨者(だいべんしゃ)の意味であり、御龍顔(ごりょうがん、天皇の顔)と申すのは八岐大龍神の龍から来た言葉です。

陛下が日嗣がれている光の事を法と申し、この元伊勢は崇神天皇の御偉徳によって、富士に降った法因縁に結ばれる御聖地なのです。

境内社

奥宮(天岩戸神社)


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の奥宮に当たる天岩戸神社(あめのいわとじんじゃ)です。

伊勢の皇大神宮の元宮として、古くから当地方の象徴的存在であったとされています。

現在は福知山の内宮・外宮と共に「元伊勢三社」の一社に数えられている神社でもあります。

祭神


・櫛御毛奴命(クシミケヌ):スサノオの別名と考えられている(ただし、別説もある)
 → 櫛岩窓戸命・豊岩窓戸命の二神を祀るという説もある

詳しくはこちらの記事を参照:【天岩戸神社】

摂社


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の摂社は以下の通りです。

・天手力雄命社(あめのたぢからをしゃ):天手力雄命を祀っていると思われる
・栲機千々姫命社(たくはたちはたひめしゃ):栲機千々姫命を祀っていると思われる

御門神社(厄神さん)


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の末社・御門神社(みかどじんじゃ)です。

天岩戸で天照大神を守護したとされる豊岩窓戸命(トヨイワマド)を祀っています。

元伊勢の厄神さん」とも称されており、我が国の厄除神の本宗、八方除の神とされているようです。

また、竹製の社殿が珍しく、天地根元造、竹の御柱という古式造であるとされています。

祭神


・豊岩窓戸命(トヨイワマド):御門の神であり、当社では厄除神として祀られる

岩長姫命社


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の末社・岩長姫命社(いわながひめしゃ)です。

昭和48年、神示によって天皇神道の関係者が創建した神社とされています(参道に別に社務所がある)。

なお、詳しい由緒は以下の通りです。

岩長姫命社 由緒


天地根源元津御祖大神(テンチコンゲン モトツ ミオヤオオカミ)天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)司命神岩長姫命(シメイジン イワナガヒメノミコト)は、昭和44年10月8日、神奈川県の藤沢の地、伊勢山御座所に命代(ミコトシロ)・渡邊兼子を以って降臨し、"言わず語らず根を出して、不二の峰より天降り、禊ぎ祓えと清めなれ、天知る地知る根をはりて、時期致来の女神花"と神示を下した。

今日の地球存亡の重大時期に、元津御祖大神が救世主として、岩長姫命を地上浄化、世直し、世造りの司命神として世にお送り給えたのであります。

また、"天照大神、神意を奉戴し、萬世栄光神魂をもって、人類の生命に輝く心の鏡の神殿の永遠なることを知り、宇宙に結ぶ大自然の法則に照し、生命の言霊(ことだま)を磨き、人類に生命の愛の法憲をもって、崇高なる天性の尊厳に生きよ。八紘一宇の祭政の基柱となせ、血脈の道、皇統連綿たる全人類の生命祭政一致は、天皇を知ろしめすことなり"と神示を下した。

そして、"神の御声で我が魂を呼び起こせ、萬ず真人、萬人祭司"と示されました。

昭和48年4月1日岩長姫命社天龍八岐大龍神社("天龍下りて御魂代おさめ祀りて、世は平和"と神示)を当神宮元伊勢に建立、鎮座し、天皇神道が顕現したのであります。


祭神


・岩長姫命(イワナガヒメ):『記紀』ではオオヤマツミの娘であり、コノナノサクヤヒメの姉とされる
 → 当社では地上浄化、世直し、世造りの司命神として遣わされた神と説明される
 → 境外案内板によれば、岩の中に秘められたエネルギー(マグマ)を指すとも

天龍八岐龍神社


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の末社・天龍八岐龍神社です。

昭和48年、神示によって岩長姫命社と共に天皇神道の関係者が創建した神社とされています。

境内の外れ、岩長姫命社から下った場所にある池の畔に鎮座しています。

祭神


・八岐大龍神(ヤチマタノダイリュウジン):八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と同神とされる
 → 境外案内板によれば、光の事であり、水流、気流、電流となって万物に影響しているとする(地球を作ったとも)

その他の末社


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社のその他の末社は以下の通りです(末社自体は上記を含めて計84社と推定される)。

・熊野神社
・三女神社
・末社群(78社):本殿を中心にコの字形に配置される
 → 貴船神社、宇佐神社、物部神社、興玉神社、気比神社ほか(参考サイト:玄松子の記憶「皇大神社」

境内の見どころ

鳥居


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の鳥居です。

参道の入口に建つ石造りの神名鳥居となっています。

参道


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の参道です。

非常に長い石段が設置されています。

天皇神道社務所


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

参道の途中にある天皇神道社務所です。

岩長姫命社・天龍八岐龍神社を管理しているものと思われます。

真名井の池


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の真名井の池です。

参道の途中にありますが、具体的ないわれは不明です。

金のなる石


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社にある金のなる石です。

御門神社付近にあり、石で打つと金の音が鳴る奇石(くわいし)とされています。

岩戸(横穴式石室)


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社にある岩戸(正式名称不明)です。

御門神社付近にある横穴式石室で、門の前には注連縄が張られています(いわれは不明)。

麻呂子親王御手植杉(癌封じの樹)


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の麻呂子親王御手植杉(まろこしんのうおてうえすぎ)です。

大江の鬼退治に向かった麻呂子親王が自ら植えた杉と伝わっており、境内にいくつかあるとされます。

特に参道の途中に祀られる神木は「癌封じの樹」と呼ばれ、触れると病気を吸い取ってくれると云われているそうです。

麻呂子親王についてはこちらの記事を参照:【大江山】

神木(龍燈の杉)


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の神木・龍燈の杉です。

樹齢1500年を超える古木とされ、「節分の深夜に龍神が燈火を献ずる」と言い伝えられているそうです。

授与所


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の授与所です。

御守・御札のほか、子供向けの日本神話の絵本や日本神話の解説本なども扱っています。

神楽殿


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の神楽殿です。

神社関連の興味深い資料が いくつか展示されています。

黒木鳥居


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の黒木鳥居です。

樹皮の付いた原木を使った珍しい鳥居とされています(古い形式とも)。

拝殿


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の拝殿です。

注連縄と菊花紋章の神前幕が張られています。

拝殿の鈴


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の拝殿には3つの鈴が掛けられています。

なお、伊勢の皇大神宮には注連縄も鈴もありません。

本殿


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の本殿です。

祓所


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の祓所です。

和泉式部歌塚


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社にある和泉式部歌塚です。

岩長姫命社付近にあります。

苔庭・さざれ石


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社にある苔庭・さざれ石です。

弓道場


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の弓道場です。

岩戸山(城山・日室ヶ嶽)


人文研究見聞録:元伊勢内宮 皇大神社[京都府]

皇大神社の神体山・岩戸山です。

城山・日室ヶ嶽とも呼ばれる幾何学的な山(神奈備)であり、日本一美しいピラミッドとも云われているようです。

境内からも見えますが、天岩戸神社方面へ進んで行くとさらによく見える遥拝所があります。

詳しくはこちらの記事を参照:【岩戸山】

料金: 無料
住所: 京都府福知山市大江町内宮字宮山217(マップ
営業: 終日開放
交通: 大江山内宮駅(徒歩26分)、町営バス「内宮上」下車
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。