人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

京都府福知山市大江町にある豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)です。

由緒には諸説あるものの、第10代崇神天皇の時代に遡るとされる古社であり、主祭神に豊受大神を祀っています。

また、天照大神が4年間留まったと云われることから「元伊勢」の伝承地にもなっているとされています。

そのほか「麻呂子親王が鬼退治の際に勧請した」「源頼光が酒呑童子討伐の前に参拝した」などの伝承もあるようです。

なお、周辺には「皇大神社(内宮)」「天岩戸神社」もあることから、併せて「元伊勢三社」と総称されています。


神社概要

由緒


社伝によれば、第10代 崇神天皇6年、豊鋤入姫命によって天照大神が宮中から大和国笠縫邑(檜原神社)に遷座し、その地に33年間留まったとされ、後に天照大神より「別に大宮地を求めて鎮め祀れ」という神勅を受けたため、崇神天皇39年に当地を大宮地と定めて宮殿を建立し、天照大神を奉斎したと伝えられているそうです。

当社は それと同時に豊受大神を併せ祀ったことに始まるとされ、古くは「与佐宮(よさのみや)」と称されたそうです。

その後、天照大神は4年間鎮座した後、さらに大宮地を求めて当地を遷り、第11代 垂仁天皇25年に伊勢の五十鈴川上を大宮地と定めて鎮座したとされています(伊勢内宮 皇大神宮の由緒)。

一方、豊受大神は鎮座以来の移動が無く、「真名井ヶ原」に鎮まって万民を恵み守護していたとされますが、第21代 雄略天皇22年、天皇が天照大神より「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の豊受大神を近くに呼び寄せるように」との神勅を受け、同様の御告が皇大神宮の宮司・大佐々命にもあったとされます。

そのことから、直ちに伊勢国度会の山田ヶ原に外宮を建立し、大佐々命によって伊勢の外宮に豊受大神が遷されたとされますが、当地の信者によって豊受大神の分霊が引き続き奉斎されたそうです。

そのため、それ以来は「元伊勢外宮 豊受大神社」と称し、現在に至るとされています。

なお、元伊勢の「吉佐宮(よさのみや)」と伝承される神社には、宮津市の真名井神社(籠神社摂社)もあり、当社と同様に天照大神が4年間鎮座したと伝えられるとしています(元伊勢の伝承が重複する)。

また、当社の由緒を語る文献はいくつかあるようなので、それらを掻い摘んで以下にまとめておきます。

豊受大神社の由緒


・「社伝」:崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から遷座し、その時に豊受大神を併せ祀ったことを創祀とする
 → 旧号を「与佐宮」と称し、御山を「比沼の真名井ヶ原」と称する
・『止由気宮儀式帳』:伊勢外宮は、丹波国比治真奈井に鎮座する豊受大神を遷座したものである
・『神道五部書』:雄略天皇21年、倭姫命に天照大神の神託があり、丹波国与佐宮の豊受大神を伊勢山田原に迎えたとする
 → 伊勢外宮の御饌都神(豊受大神)は、天御中主神・国常立神と同神であるとする
・『丹後国加佐郡旧語集』:雄略天皇の御代に建立され、第33代 推古天皇21年に伊勢の外宮に遷座したと伝えられる
 → 主祭神の豊受大神は国常立尊と同神であり、左に瓊瓊杵命、右に天児屋根命を祀っているとしている
・『丹後風土記』:当地を「与謝の比沼ノ魚井原(真井とも)」とし、当社を「与謝宮」とする
 → 当社を「比沼麻奈爲神社」であるとするとも記される(比沼麻奈爲神社は京丹後市にもある)
・『加佐郡誌』:雄略天皇22年、比沼麻奈爲神社を伊勢に遷座する際、当社地の舟岡山にしばらく鎮座したとする
・『丹後州宮津府志』:第31代 用明天皇の皇子・麻呂子親王が、鬼退治の際に内宮と共に勧請したとする
 → 祭神を天保食持神、豊受皇太神、天児屋根命とし、別宮4社、末社37社とする
・『田辺府志』:社伝と同様の由緒を伝える
 → 「與謝郡河守下宮大明神」と称し、豊受神は国常立尊の別名とする
・『丹後与謝海名勝略記』:内宮より遥か昔に勧請された古社とし、天照大神が4年鎮座したとも伝える
 → 麻呂子親王が凶賊征伐の際に勧請したという説も載せる

祭神


豊受大神社の祭神は以下の通りです。

主祭神


・豊受大神(とようけのおおかみ):衣食住を司る産業の守護神とされる
 → 文献によっては豊受神、豊受皇太神、豊受姫命、御饌都神などと称される
 → 文献によっては国常立尊の別名とされ、天御中主神・国常立神と同神とされる場合もある

相殿


・日子番能邇邇芸尊(ひこほのににぎのみこと):天孫(天照大神の孫)であり、皇室の祖とされる
・天児屋根命(アメノコヤネ):中臣連等の祖神(天岩戸の際に祝詞を奏上したとされる)
・天太玉命(アメノフトダマ):忌部氏の遠祖(天岩戸の際に玉、鏡などを飾った祭壇を設けたとされる)

祭神の諸説


・『丹後国加佐郡旧語集』:主祭神を豊受大神(国常立尊)とし、左に瓊瓊杵命、右に天児屋根命を祀るとする
・『加佐郡誌』:主祭神を豊受姫命とし、相殿に日子番能迩迩芸命 天児屋根命 天太玉命を合祀する
・『丹後州宮津府志』:主祭神を天保食持神、豊受皇太神、天児屋根命とする

元伊勢三社


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
皇大神社(内宮)
人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
豊受大神社(外宮)
人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
天岩戸神社

伊勢神宮の創建前に天照大神が鎮座した地を「元伊勢」と言いますが、大江町には伊勢と同様に「皇大神社(内宮)」「豊受大神社(外宮)」が揃っていることから、二社の総称として「元伊勢神宮」と称されるそうです。

また、同地内の「岩戸山」の異称を持つ両宮の神体山「日室ヶ嶽(ひむろがたけ)」があり、その麓には「天岩戸神社」が鎮座しているため、この三社の総称として「元伊勢三社」と称するとされています。

境内社

別宮(摂社)


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
多賀神社
人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
土之神社
人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
月読宮
人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]
風之宮

豊受大神社の別宮(摂社)は以下の通りです。

・多賀神社
・土之神社
・月読宮
・風之宮

末社


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の末社は、本殿を中心としてコの字形に配置されています。

なお、末社の祭神は全国の名神大社の神々であるとされており、計37社あるとされています。

これらは当社には御師的な役割を果たす37軒の社家によって1社ずつ奉斎されたと云われているようです。

・岩崎神社、保養神社、酒造神社、日吉神社、祓戸神社ほか(参考サイト:玄松子の記憶「豊受大神社」

境内の見どころ

参道


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の参道です。

大江駅方面から向うと、整備された山道を通って拝殿に向かいます。

石段


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の石段です。

付近には社務所があり、杖の貸し出しが行われています。

境内


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の境内です。

黒木鳥居


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の黒木鳥居です。

樹皮の付いた原木を使った珍しい鳥居とされています(古い形式とも)。

拝殿


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の拝殿です。

両脇に別宮の多賀神社、土之神社が鎮座しています。

拝殿の注連縄と鈴


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の拝殿には、注連縄3つの鈴が掛けられています。

なお、伊勢の豊受大神宮には注連縄も鈴もありません。

本殿


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の本殿です。

神木(龍燈の杉)


人文研究見聞録:元伊勢外宮 豊受大神社[京都府]

豊受大神社の神木・龍燈の杉です。

樹齢1500年を超える古木とされ、「節分の深夜に龍神が燈火を献ずる」と言い伝えられているそうです。

料金: 無料
住所: 京都府福知山市大江町天田内字東平178-2(マップ
営業: 終日開放
交通: 大江高校前駅(徒歩14分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。