豊国神社(京都市) [京都府]
2016/06/01
京都市東山区にある豊国神社(とよくにじんじゃ)です。
死後に「豊国大明神」を賜った豊臣秀吉を祀っており、全国にいくつか存在する豊国神社の総本社となっています。
神社概要
由緒
慶長3年(1598年)に伏見城で死去した豊臣秀吉は、遺命によって翌年の慶長4年(1599年)に京都東山の阿弥陀ヶ峰山頂に密かに埋葬され、その麓に廟所として社が建てられたことに始まるとされています。
そして、同年に朝廷より秀吉に「豊国大明神」の神号が与えられ、社も「豊国神社」と命名されたそうです。
しかし、「大坂夏の陣」で豊臣氏が滅亡した後には徳川家康の意向によって廃絶が決定し、秀吉の正室である北政所(おね)の願いで社殿は残されたものの、それ以後は朽ち果てるまで放置され続けたそうです。
その後、明治元年(1868年)に明治天皇より「豊臣秀吉は天下統一しながらも、幕府を開かなかった尊皇の功臣である」と讃えられると共に豊国神社の再興が命じられ、明治13年(1880年)に社殿が完成して復興を遂げ、現在に至るとされています。
祭神
豊国神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・豊国大明神(豊臣秀吉)
貞照社(本殿隣)
・北政所(おね)
・豊国大明神(豊臣秀吉)
貞照社(本殿隣)
・北政所(おね)
槙本稲荷神社
御穂神社の末社である槙本稲荷神社(まきもといなりだいみょうじん)です。
祭神に稲荷大明神(おそらくウカノミタマ)を祀っています。
境内・周辺の見どころ
鳥居
豊国神社の鳥居です。
唐門
豊国神社の唐門です。
元は伏見城にあった物が二条城、南禅寺へと移り、豊国神社再建の折に南禅寺から移築されたと云われています。
国宝であり、西本願寺、大徳寺と共に京都の国宝三唐門の一つに数えられているそうです。
登竜門
豊国神社の唐門には鯉の滝登りが彫刻されており、一部からは登竜門と呼ばれているそうです。
目無しの鶴
豊国神社の唐門には鶴が彫刻されていますが、目が彫られていない目無しの鶴となっています。
これは、目を入れてしまうと本当の鶴になって飛んで行ってしまうと考えられたからだそうです。
拝殿
豊国神社の拝殿です。
通常は唐門より先は通行禁止になっているため、直接入ることはできないようになっています。
ですが、正月三が日には唐門を通って拝殿の前まで行けるようになるそうです。
瓢箪絵馬
豊国神社の絵馬は、秀吉の馬印である千成瓢箪(せんなりびょうたん)に因んだ瓢箪形になっています。
耳塚(鼻塚)
豊国神社の境外にある耳塚(鼻塚)です。
文禄・慶長の役(秀吉による朝鮮出兵)の際、秀吉配下の武将は敵軍の鼻や耳を削いで塩漬にして持ち帰ったそうです。
耳塚(鼻塚)は、秀吉の命によって その耳・鼻が埋められて、供養の儀が行われた塚であるとされています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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