新日吉神宮 [京都府]
2016/06/01
京都市東山区にある新日吉神宮(いまひえじんぐう)です。
平安後期に後白河法皇の御所の鎮守社として創建された神社であり、祭神に日吉大社の神々などを祀っています。
狛猿を置いていることが珍しく、本殿などにも猿の彫刻がなされています。
また、江戸時代には一時的に廃絶となった豊国神社の御神体を遷して、秀吉を隠し祀ったとされています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、永暦元年(1160年)に後白河法皇の命により、院の御所である法住寺殿の鎮守社として、比叡山坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したことに始まるとされています。
なお、当初は智積院の南側に創建され、元和元年(1615年)に豊国廟社(豊国神社の前身)が廃絶されると共に旧廟前に遷り、さらに明治30年(1897年)に現在地に遷ったそうです。
そして、昭和33年(1958年)に後白河天皇を増祀し、その翌年に神社名を新日吉神宮と改めて現在に至るとされています。
祭神
新日吉神宮の祭神は以下の通りです。
主祭神
・大山咋命(オオヤマクイ):山背国を開拓したとされる比叡山の神(松尾大社・日吉大社で祀られる)
→ 『ホツマツタヱ』という文献では、山背国の野を掘った土を盛って富士山を模した比叡山を造成したと記される
・大己貴命(オオナムチ):いわゆる大国主・大黒様であり、出雲大社の主祭神として有名(日吉大社でも祀られる)
→ 公式サイトでは出雲大社の祭神のオオクニヌシおよび、大神神社の祭神のオオモノヌシと同神と説明される
・賀茂玉依姫命(カモタマヨリヒメ):オオヤマクイの妻とされる
・田心比売命(タゴリヒメ):宗像三女神の一柱(多紀理姫命とも)
・菊理比売命(ククリヒメ):イザナギ・イザナミが黄泉比良坂で口論した時に仲介をなした神(加賀・白山比咩の神とも)
→ 『ホツマツタヱ』という文献ではイザナキの兄妹であり、シラヤマヒメ・キクキリヒメ・ココリヒメという別名がある
・大山咋命荒魂(オオヤマクイノアラミタマ):オオヤマクイの荒御霊
・賀茂玉依姫命命荒魂(カモタマヨリヒメノアラミタマ):カモタマヨリヒメの荒御霊
・後白河天皇(ごしらかわてんのう):第77代天皇であり、保元の乱で兄の崇徳上皇と争ったことで知られる
相殿神
・素盞嗚尊(スサノオ):出雲建国の神で、『古事記』によればオオヤマクイの祖父神に当たる
・大年神(オオトシ):スサノオの子神で、『古事記』によればオオヤマクイの父神に当たる
・大山咋命(オオヤマクイ):山背国を開拓したとされる比叡山の神(松尾大社・日吉大社で祀られる)
→ 『ホツマツタヱ』という文献では、山背国の野を掘った土を盛って富士山を模した比叡山を造成したと記される
・大己貴命(オオナムチ):いわゆる大国主・大黒様であり、出雲大社の主祭神として有名(日吉大社でも祀られる)
→ 公式サイトでは出雲大社の祭神のオオクニヌシおよび、大神神社の祭神のオオモノヌシと同神と説明される
・賀茂玉依姫命(カモタマヨリヒメ):オオヤマクイの妻とされる
・田心比売命(タゴリヒメ):宗像三女神の一柱(多紀理姫命とも)
・菊理比売命(ククリヒメ):イザナギ・イザナミが黄泉比良坂で口論した時に仲介をなした神(加賀・白山比咩の神とも)
→ 『ホツマツタヱ』という文献ではイザナキの兄妹であり、シラヤマヒメ・キクキリヒメ・ココリヒメという別名がある
・大山咋命荒魂(オオヤマクイノアラミタマ):オオヤマクイの荒御霊
・賀茂玉依姫命命荒魂(カモタマヨリヒメノアラミタマ):カモタマヨリヒメの荒御霊
・後白河天皇(ごしらかわてんのう):第77代天皇であり、保元の乱で兄の崇徳上皇と争ったことで知られる
相殿神
・素盞嗚尊(スサノオ):出雲建国の神で、『古事記』によればオオヤマクイの祖父神に当たる
・大年神(オオトシ):スサノオの子神で、『古事記』によればオオヤマクイの父神に当たる
境内社
飛梅天満宮
新日吉神宮の境内社である飛梅天満宮(とびうめてんまんぐう)です。
祭神に菅原道真公・飛梅の霊を祀っています。
愛宕社・秋葉社
新日吉神宮の境内社である愛宕社(あたごしゃ)・秋葉社(あきばしゃ)です。
祭神に火伏の神である火雷神(ホノイカヅチ)・迦具土神(カグツチ)を祀っています。
豊国社(樹下社)
新日吉神宮の境内社である豊国社(とよくにしゃ)です。
祭神に豊臣秀吉の御霊を祀っています。
豊臣秀吉は死後に豊国神社で祀られていましたが、豊臣氏の滅亡後は徳川幕府の意向で廃絶が決まったとされています。
その決定と共に新日吉社も移転し、豊国神社の御神体も新日吉社の神殿に遷し替えられて密かに祀られて来たそうです。
また、天明5年(1785年)には境内社の樹下社(このもとのやしろ)が造られ、そこに遷し替えられたとされます。
なお、この「樹下社」では、祭神の玉依姫神と秀吉の木下姓を引っ掛けて、秀吉が隠し祀られたんだそうです。
その後、明治30年(1897年)に豊国神社が復興すると、新日吉社も現在地に遷座したとされています。
山口稲荷社
新日吉神宮の境内社である山口稲荷社(やまぐちいなりしゃ)です。
祭神に稲荷神である宇迦之御霊神(ウカノミタマ)を祀っています。
境内の見どころ
鳥居
新日吉神宮の鳥居です。
この鳥居に到るまでは女坂と呼ばれる坂道を上って行くことになります。
なお、女坂とは付近の女子校の学生の通学路となっているために名付けられた呼称なんだそうです。
楼門
新日吉神宮の楼門です。
拝殿
新日吉神宮の拝殿です。
本殿
新日吉神宮の本殿です。
本殿の欄間には木彫りの御神猿が彫刻されているそうです。
なお、参拝中に変な音がしますが、これはどうやら害獣除けの音波グッズの仕業のようです。
神木
新日吉神宮の神木です。
樹齢500~800年のスダジイ(椎の木の一種)で、京都市の保存樹に指定されているそうです。
狛猿
新日吉神宮の狛猿です。
猿は日吉神社の神使であり、厄除けや開運招福の神徳があるとされています。
なお、京都御所、日吉大社にも猿像が安置されており、主に鬼門除け(艮の対極に位置する坤)として用いられています。
狐像
新日吉神宮の山口稲荷社前にある狐像です。
宝珠を咥えている狐像は、なかなか珍しいと思います。
大黒様
新日吉神宮の本殿前にある大黒様です。
縁結び、商売繁盛の神とされ、小槌に触れると御利益があるとされています。
猿の絵馬
新日吉神宮の絵馬には神使の猿が描かれています。
元京都市午砲台座
新日吉神宮にある元京都市午砲台座です。
かつては京都市の午砲(正午を知らせる号砲)が置かれていたとされています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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