人文研究見聞録:綏靖天皇陵 [奈良県]

奈良県橿原市にある綏靖天皇陵(すいぜいてんのうりょう)です。

第2代 綏靖天皇の御陵に治定されている古墳であり、付近には橿原神宮神武天皇陵が位置しています。


概説

人文研究見聞録:綏靖天皇陵 [奈良県]
綏靖天皇陵の鳥居

綏靖天皇陵(すいぜいてんのうりょう)は、第2代 綏靖天皇の御陵である桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)に治定されている円丘であり、考古学名は塚山(塚根山)であるとされます。

場所については、神武天皇陵の北側に位置しており、大きさについては、直径 約30mであるとされています。

歴史

人文研究見聞録:綏靖天皇陵 [奈良県]
綏靖天皇陵の参道

綏靖天皇陵の歴史は以下の通りです(ウィキペディア参考)。

・『古事記』によれば「綏靖天皇は45歳で亡くなり、衝田岡(つきだのおか)に葬られた」とされる
・『日本書紀』によれば「綏靖天皇は84歳で亡くなり、桃花鳥田丘上陵に葬られた」とされる
・『延喜式』によれば「桃花鳥田丘上陵は西1町・南北1町、守戸5烟で遠陵である」とされる
・中世には荒廃して所在不明となった
・江戸初期には神武天皇陵を探し出そうという動きが起こり、元禄時代に陵墓の調査が行われた
 ・以後、歴代の天皇の墓を決めて修理する事業が行われたとされる
 ・この事業の中で、慈明寺町のスイセン塚古墳が綏靖天皇陵に治定された
 ・しかし、幕末の修陵の際に場所が改められることになった
・明治11年(1878年)、スイセン塚古墳から改められて現陵が綏靖天皇陵に治定された

綏靖天皇とは?

人文研究見聞録:綏靖天皇陵 [奈良県]

綏靖天皇(すいぜいてんのう)とは、神武天皇(初代天皇)の皇子のカンヌナカワミミ(『記紀』で母は異なる)であり、日本の第2代天皇のことを指します。

『記紀』によれば、神武天皇が崩御した後、庶兄のタギシミミが皇位に就くためにカンヌナカワミミと兄のカンヤイミミを殺そうと計画していたところ、それを知った兄弟(カンヤイミミ・カンヌナカワミミ)は弓矢を造らせて、片丘の大室で臥せっていたタギシミミを討ち取ったとされています。

その際、カンヤイミミは手足が震えて矢を射ることができなかったため、代わりにカンヌナカワミミが矢を射て殺したことから、カンヤイミミは失態を深く恥じてカンヌナカワミミに皇位を奨め、カンヤイミミ自らはカンヌナカワミミ(綏靖天皇)を助けて神祇を掌ることになったとされています。

なお、『記紀』における綏靖天皇の記録は非常に少ないですが、『ホツマツタヱ』という文献では綏靖天皇はタギシミミを倒した後に葛城に新都を造って遷都し、内宮(正妻)を始めとする后を備えたとされており、その他にも三輪の神を祀ったことや、筑紫への巡幸が請われた時に使者を派遣して稲病を祓うカセフノマツリを行わせたり、宇佐にイトウの三女神(宗像三女神)を祀らせたなどの記録が記されています。また、この文献によれば84歳で崩御してツキタオカ(桃花烏田丘)に葬られたとされています。

参考リンク:綏靖天皇(ウィキペディア)ホツマツタヱ31文 直り神 三輪神の文

料金: 無料
住所: 奈良県橿原市四条町(マップ
営業: 終日開放
交通: 畝傍御陵前駅(徒歩16分)

公式サイト: http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/002/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。