人文研究見聞録:大将軍神社(東山区) [京都府]

京都市東山区にある大将軍神社(だいしょうぐんじんじゃ)です。

平安遷都の折に都の四方に祀られた大将軍神社の一つであり、邪霊の侵入を防ぐ要地であったとされています。

なお、当地には かつて藤原兼家の主邸の東三條殿があったとされ、後に邸宅の鎮守として兼家が合祀されたそうです。

また、当社は「鵺の森」と呼ばれる地に建っており、『平家物語』にある「源頼政の鵺退治伝説」の舞台にもなっています。


神社概要

由緒

由緒書によれば、794年の平安遷都の初め、第50代桓武天皇が王城鎮護のために都の四方四隅に祭祀した大将軍神社の一つであり、その東南隅の社に当たるとされています。特に平安京の東に位置する当社は、三条口の要地として邪霊の侵入を防ぐ意を以って重要視されてきたそうです。

なお、大将軍神社の主祭神である素盞鳴尊(スサノオ)は、和魂(ニギミタマ)を「天王」と称し、荒魂(アラミタマ)を「大将軍」と称されたとされています。

また、当地には関白・太政大臣であった藤原兼家の主邸である東三条殿があったとされ、兼家の死後に子の藤原道長によって 兼家の神像画が合祀されて東三條殿の鎮守となったとされますが、後に起こった保元の乱(1156年)および、応仁の乱(1467~1477年)の被害を受けて焼失してしまったそうです。

なお、当社の境内には樹齢800年と伝えられる銀杏の古木があり、かつては「鵺の森(ぬえのもり)」とも呼ばれて「源頼政(みなもとのよりまさ)の鵺退治伝説」の舞台となったとされています。

祭神

大将軍神社の祭神は以下の通りです。

主祭神

・素盞鳴尊(スサノオ):大将軍とされることからスサノオの荒魂とされるものと考えられる

相殿神

・藤原兼家(ふじわらのかねいえ):平安時代の公卿
 → 花山天皇に退位を促し、孫の一条天皇を即位させ、その摂政となった

大将軍について

人文研究見聞録:大将軍神社(東山区) [京都府]

大将軍(だいしょうぐん)とは陰陽道における方位神の一つであり、以下のような特徴があるとされています。

大将軍(方位神)の特徴

・古代中国では金星(太白星)に関連し、軍事を司る星神とされた
・古代中国の思想が日本の陰陽道に取り入れられ、太白神・金神・大将軍という方位神となった
・陰陽道における方位神は八将軍と呼ばれる八神であり、大将軍は その一つとされる
・大将軍の金気(ごんき、五行説における金の気)は刃物に通じるとされる
・荒ぶる神として、特に暦や方位の面で恐れられた
・3年毎に居を変えるとされ、大将軍の座す角は万事に凶とされた(特に土を動かすことが良くないとされた)
・大将軍の座す方角は3年間変わらないとされ、その方角を忌むことを「三年塞がり」と呼んだ
・大将軍には5日間の遊行日(ゆぎょうび)が定められており、その間は凶事が無いとされた

なお、古代中国の思想を取り入れたとされますが、『ホツマツタヱ』という文献には自然災害から人の衣・食・住を守護する「ヤマサカミ」と呼ばれる神が存在しており、その一つに「ウツロヰ」という神が登場します。

この「ウツロヰ」は空を司る神とされ、雷を統べ、土に空を通して粗金を生みだし、東北(鬼門とされる艮の方角)の柳の一木を社として この方角を守り、ヱト(暦における年と日の60パターン)の空白となる5日間を補い守るとされています。

このような特徴が上記の大将軍と類似するため、個人的には日本に既に存在していた思想であるではないかとも考えています。

なお、大将軍はスサノオと習合していますが、その由縁は大将軍堂(大将軍八神社の前身)が中世に八坂神社の管理下にあり、八坂神社の祭神であるスサノオと神格が似通っていることから関連付けられたそうです。

こちらの記事も参照:【大将軍八神社】

源頼政の鵺退治伝説

人文研究見聞録:大将軍神社(東山区) [京都府]

由緒書にある「源頼政の鵺退治伝説」とは『平家物語』『摂津名所図会』などに載せられている伝説のことであり、その内容は以下のようなものとなっています。

鵺(『平家物語』より)

近衛天皇(第76代天皇)の御代である仁平の頃、天皇が夜な夜な怯えて恐れることがあった。そこで、効験のあるという高僧・貴僧に大法・秘法を行わせたが特に効験は見られなかった。天皇の発作は丑の刻の頃であったが、それは東三条の森の方から一群の黒雲が現れて御殿の上を覆ったときに決まって天皇は怯えていたという。そこで、公卿らは集まって会議を開くことにした。

去る堀河天皇(第73代天皇)の御代である寛治の頃にも、同様に天皇が夜な夜な怯えることがあった。その時の将軍である源義家(みなもとのよしいえ)は紫辰殿(ししんでん)の広庇(ひろびさし)にて伺候(さもらい)していたが、発作が起こる時刻に弓の弦を3度鳴らして「前の陸奥守源義家」と名乗ると、皆の身の毛がよだって天皇の病気も快癒したという。

そこで、先例に倣って武士に警護させることとし、源平両家の武者の中から適任となる者を選び出した。そこで源頼政(みなもとのよりまさ)が選ばれたが、頼政は当時は兵庫頭であったこともあって「昔から御皇室に武士を置かれるのは、逆賊を撃退し、勅命に背く者を滅ぼすためであります。目にも見えない変化の物を退治せよと命は、未だに承ったことがありません」と申し上げた。とはいえ、勅命であったことから これに応じて参内することになった。

頼政は、信頼する郎等である井早太を連れ、井早太に鳥の風切羽で作った矢を背負わせていた。また、頼政自身は、二重の狩衣(かりぎぬ)を着て、山鳥の尾で作った尖矢を2本を滋籐(しげどう)の弓に添え持った。そして、紫辰殿の広庇に伺候した。なお、頼政が矢を2本持っているのは、その時の左少弁であった源雅頼卿が頼政を選出したことから、もし、一の矢で変化の物を射損じようものなら、二の矢で雅頼の首の骨を射るためのものである。

その後、近衛天皇が発作を起こす時刻がやってくると、東三条の森の方から黒雲の一群がやって来て御殿の上に棚引いた。そこで、頼政が黒雲を見上げると その中には怪しい物(変化の物)の姿が見えたので、もし、射損じたのであれば、この世に生きていようとは思わなかった。しかしながら、矢を構えて「南無八幡大菩薩」と心の中で祈念しながら弓を引くと、矢が変化の物に当たったという手応えがあったので、「仕留めたぞ、おう」と矢叫びを上げた。

また、郎等の井早太は変化の物が落ちてきたところを取り押さえ、続け様に丸太刀を刺した。そして、御所の上下の人々が手に火を灯して その物の様子を見てみれば、それは 頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎の姿をしており、その鳴き声は鵺(トラツグミを指すとされる)に似ていた。これは"恐ろしい"という言葉では言い尽くせない物であった。

その後、天皇は変化の物を討ち取った頼政の功に感心を示して"師子王"という御剣を与えることになった。この御剣は宇治の左大臣が取り次いで頼政に与えるのであるが、天皇が御前の階段を半ばほど下ったところで宮中にホトトギスの鳴声が2、3度響き渡った。そのとき、左大臣が「ホトトギスが名を雲間に上げるように、そなたも勇名を宮中に上げることになったな」と言うと、頼政は右膝をつき、左の袖を広げ、月を横目に見ながら「弦月のある方向に従って弓を張っただけです」と申し上げて、御剣を受け取って退出した。

なお、頼政は天皇や臣下から「弓矢を取っても並ぶ者は無く、歌道にも優れた者である」と評価されたという。また、この変化の物は空の舟に入れられて流されたということであった。

その後、二条天皇(第78代天皇)の御代である応保の頃、鵺(ぬえ)という化鳥が宮中で鳴いて、しばしば大御心を悩ませる事があったので、先例に倣って頼政を召しだした。その頃は5月20日あまりの宵の事であり、鵺は ただ一声鳴いて、二声とも鳴かなかった。また、目標を探そうにも辺りは深い闇に包まれており、鵺の姿形も見えなかったので的も定め難かった。

そこで、頼政は まず大きな鏑矢を取ってつがえ、鵺の声がした内裏の上へと射上げた。すると、鵺は鏑の音に驚いて虚空でしばらくの間「ヒヒ」と叫んでいた。次に小さな鏑矢を取ってつがえ、それを射抜くと 鵺と鏑矢が並んで前に落ちてきた。

これに宮中はどよめき合い、天皇も並々ならぬ感心を示した。そこで、天皇から頼政に御衣が与えられることになり、それを大炊御門の右大臣が取り次いで頼政の肩に掛けようとした時に「昔、養由基(ようゆうき、中国の弓の名手)は雲の上の雁を射たという。今の頼政は雨の中で鵺を射た。五月闇の中で勇名を馳せる今宵だな」と感心して話しかけると、頼政は「誰か見分けのつかない夕暮れ時も過ぎたと思いますが」と申し上げて、御衣を肩に掛けて退出した。云々

参考サイト:珍奇ノート(ヌエ)

境内社

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白龍弁財天
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天満宮
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隼社
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荒熊稲荷社

大将軍神社の境内社は以下の通りです。

・白龍弁財天:祭神不詳(弁財天と習合したイチキシマヒメか?)
・天満宮:菅原道真公を祀る
・隼社:祭神不詳
・荒熊稲荷社:祭神不詳(稲荷神を祀ると思われるが、荒熊大神なる神を祀るという情報もある)

境内のみどころ

鳥居

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大将軍神社の鳥居です。

拝殿

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大将軍神社の拝殿です。

本殿

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大将軍神社の本殿です。

絵馬殿

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大将軍神社の絵馬殿です。

休憩できるようにベンチが設けられています。

謎の石

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大将軍神社の絵馬殿の横の一角にはが祀られています。

祓所でしょうか?

料金: 無料
住所: 京都府京都市東山区三条大橋東三丁目下る長光町640(マップ
営業: 終日開放
交通: 東山駅(徒歩4分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。