湯神社(石薬師大明神) [新潟県]
2016/07/07
新潟県西蒲原郡弥彦村にある湯神社(ゆじんじゃ)です。
彌彦神社の末社であり、別名に「石薬師様」「石薬師大明神」とも呼ばれています。
本殿には神座として巨石が祀られており、温泉の神・薬の神・村の守護神として祀られたことに始まるとされます。
また、諸病に霊験あらたかとされていることから、遠方からも参拝者が訪れているそうです。
神社概要
由緒
案内板によれば、湯神社は古くは弥彦温泉の源泉地に奉仕された神社であり、開運・商売繁盛・病気平癒・学業成就のほか諸願の成就に霊験あらたかな守り神として、信仰の篤い社であるとされています。
また、参道には創建伝承が記された案内板もあり、そこには「猟師が湯の湧き出る霊泉を発見したことから評判となり、これが契機になって湯神社の創建に至った」とあります。
創建伝承について、詳しくは以下の通りです。
湯神社の由来
今を去ること一千年の昔。弥彦に権九郎という猟師が住んでいました。
ある年の秋の日、朝早くから弥彦山を駆け廻りましたが、あいにくウサギ一匹、山鳥一羽すら獲ることができず、疲れ果てて林中に入って行きました。
ぼんやりと山道を歩いていると、突然 大きな羽音を立てて一羽の山鳥が飛び立ちました。そこで権九郎は素早く矢を放ちましたが、矢は山鳥を傷付けただけで手負いのまま飛び去ってしまいました。
それでも諦めきれずに、林中を山鳥の飛び去った方向に進んでいくと、キレイな池に辿り着きました。
権九郎は、ノドの渇きを癒そうとして生い茂る草をかき分けつつ池に近寄ると、池から湯が湧いており、そこでは鳥獣たちが湯浴みをしていました。
それを見た権九郎は、驚きのあまり声無く茫然と眺めていましたが、やがてハタと膝(ひざ)を打ち、身に着けていた衣類を脱いで、静かに池に身を沈めました。
この池の湯加減はちょうど良く、一日の疲れがみるみる取れていくのがわかりました。また、山中を廻っている際に受けた傷も 見る見るうちに回復していきました。
この後、権九郎の話を聞いた村人たちは池に向かい、先を争って入浴しました。すると、この素晴らしい効果にたちまち評判が広まり、やがて「弥彦の霊泉」として遠近に その名が響き、大層な賑わいを呈するようになりました。
かくして、村人たちは彌彦神社の神官に頼んで、この池の傍の大岩を背に神社を建立し、お湯の神・薬の神・熊ケ谷集落の守護神として、大穴牟延命(オオナムチ)・少彦名命(スクナヒコナ)の二神を祀りました。
そして、神社の名も「湯神社」と称して深い信仰を捧げ、弥彦霊泉は後にも益々発展していきました。
今を去ること一千年の昔。弥彦に権九郎という猟師が住んでいました。
ある年の秋の日、朝早くから弥彦山を駆け廻りましたが、あいにくウサギ一匹、山鳥一羽すら獲ることができず、疲れ果てて林中に入って行きました。
ぼんやりと山道を歩いていると、突然 大きな羽音を立てて一羽の山鳥が飛び立ちました。そこで権九郎は素早く矢を放ちましたが、矢は山鳥を傷付けただけで手負いのまま飛び去ってしまいました。
それでも諦めきれずに、林中を山鳥の飛び去った方向に進んでいくと、キレイな池に辿り着きました。
権九郎は、ノドの渇きを癒そうとして生い茂る草をかき分けつつ池に近寄ると、池から湯が湧いており、そこでは鳥獣たちが湯浴みをしていました。
それを見た権九郎は、驚きのあまり声無く茫然と眺めていましたが、やがてハタと膝(ひざ)を打ち、身に着けていた衣類を脱いで、静かに池に身を沈めました。
この池の湯加減はちょうど良く、一日の疲れがみるみる取れていくのがわかりました。また、山中を廻っている際に受けた傷も 見る見るうちに回復していきました。
この後、権九郎の話を聞いた村人たちは池に向かい、先を争って入浴しました。すると、この素晴らしい効果にたちまち評判が広まり、やがて「弥彦の霊泉」として遠近に その名が響き、大層な賑わいを呈するようになりました。
かくして、村人たちは彌彦神社の神官に頼んで、この池の傍の大岩を背に神社を建立し、お湯の神・薬の神・熊ケ谷集落の守護神として、大穴牟延命(オオナムチ)・少彦名命(スクナヒコナ)の二神を祀りました。
そして、神社の名も「湯神社」と称して深い信仰を捧げ、弥彦霊泉は後にも益々発展していきました。
なお、現在では湯の噴出が止まっており、霊泉の名残を留めるのみとなっているようです。
祭神
湯神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・大己貴命(オオナムチ):出雲の神で、いわゆる大国主に当たる
・少彦名命(スクナヒコナ):大国主と共に諸国を巡って国造りをしたとされる神
・大己貴命(オオナムチ):出雲の神で、いわゆる大国主に当たる
・少彦名命(スクナヒコナ):大国主と共に諸国を巡って国造りをしたとされる神
石薬師
湯神社の本殿の背後に祀られている石薬師(いしやくし)です。
創建伝承に登場する大岩であり、歯痛をはじめとする諸病の平癒に霊験あらたかとされています。
また、元々は神座(しんざ、神霊の座する場所)として、社殿の無いまま祀られていたと云われています。
そのことから、「石薬師」を「一尺」と誤釈し、「一尺の蛇の神」として信仰する人もいるそうです。
なお、明治時代に刊行された「温古之栞」には、以下のように記されるとされています。
矢立の石薬師は、珍しい形の石を二個重ねて祀られており、かたわらに一本の梨の古木が茂っていました。
実が多く、形は普通ですが、味が悪くて食用にはなりません。
歯をわずらう人が、この奇石に梨を供えて祈念すると、たちまち治るといわれました。
実が多く、形は普通ですが、味が悪くて食用にはなりません。
歯をわずらう人が、この奇石に梨を供えて祈念すると、たちまち治るといわれました。
参考:弥彦浪漫(地名にまつわる伝説)
境内の見どころ(本殿までのアクセス)
参道入口から本殿までの経路を紹介していきます。
参道入口
湯神社の参道入口です。
釜飯屋の向かいにあり、ここから道なりに進めば やがて本殿に辿り着けます(徒歩20分程度)。
トンネル
湯神社の参道にあるトンネルです。
弥彦公園
湯神社の参道の途中には、弥彦公園があります。
入口鳥居
弥彦公園に建っている湯神社の鳥居です。
参道
湯神社までは、ひたすら写真のような参道を通って進んでいきます。
木造鳥居
参道の途中にある木造鳥居です。
この先に石祠があります。
石祠
参道の途中にある石祠です。
祠の前には幣とロウソク台があります(神仏習合のような感じ)。
祀られている神仏は分かりませんでした(湯神社の遥拝所かもしれない)。
参道鳥居
湯神社の参道鳥居です。
稲荷社のように連なって建てられており、これが見えてくると本殿が近いことが分かります。
拝殿鳥居
湯神社の拝殿鳥居です。
竹のようなデザインの珍しい鳥居となっています。
拝殿
湯神社の拝殿です。
境内の石を借りて病の部分を撫でると治るという伝承があるそうです。
ただ、治った時には その石を返しに行かなければならないとされています。
拝殿内部
湯神社の拝殿の内部です。
ここには千羽鶴が奉納されており、鈴では無く鐘が設置されています。
供物(鶏卵)
湯神社には供物として鶏卵が供えられていました。
これは、祭神を「一尺の蛇の神」とする信仰に基づいているものと思われます(上記概要参照)。
本殿(石祠)
湯神社の本殿です。
石造りの祠に注連縄が飾られており、両脇には狛犬が奉納されています。
そして、背後には神座とされる巨石(石薬師様)が祀られています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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