一宮神社 [兵庫県]
2016/09/21
兵庫県神戸市にある一宮神社(いちのみやじんじゃ)です。
生田裔神八社の一社であり、祭神に宗像三女神の一柱である田心姫命を祀っています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、当社の創建年代は不詳なものの、一説には四世紀初頭の創建とされ、福岡県宗像郡沖ノ島の宗像大社より田心姫命を勧請したと云われています。なお、由緒書の内容は以下の通りです。
一宮神社 由緒
明治初めの写真によると、当社は元の生田川の西の丘、現在の地に今の境内より広い神域に、うっそうたる松の大木に囲まれて鎮座しておりました。当神社の創建年代は不詳ですが、一説には推定四世紀初頭とも言われており、生田神社の裔神八柱の一社であります。
御祭神は、『日本書紀』巻第一によると「天照大神、素戔嗚尊の十握剣をこひ取りて、打ち折りて三段に爲して、天真名井に濯ぎて、さがみにかみて吹き棄つる気噴の狭霧に生まれる神を、名付けて田心姫と曰す」とあり、この誓約により三女五男が生まれましたが、最初に生まれました姫神であります。それぞれ神戸市内一宮神社から八宮神社に祀られています。
現在の福岡県宗像郡の玄海灘の孤島沖ノ島にある宗像大社の沖津宮に祀られている田心姫命を勧請されたといわれています。
天照大神の子孫で天孫降臨に際し、天孫を助けた神様だといわれ、大陸の交流も活発だった太古の時代、海路の安全を守る神様として信仰され現在も厚い崇敬を受けており、「交通安全」「厄除」「生成発展」「縁結び」の守護神として広く御神徳の高い神様です。
明治初めの写真によると、当社は元の生田川の西の丘、現在の地に今の境内より広い神域に、うっそうたる松の大木に囲まれて鎮座しておりました。当神社の創建年代は不詳ですが、一説には推定四世紀初頭とも言われており、生田神社の裔神八柱の一社であります。
御祭神は、『日本書紀』巻第一によると「天照大神、素戔嗚尊の十握剣をこひ取りて、打ち折りて三段に爲して、天真名井に濯ぎて、さがみにかみて吹き棄つる気噴の狭霧に生まれる神を、名付けて田心姫と曰す」とあり、この誓約により三女五男が生まれましたが、最初に生まれました姫神であります。それぞれ神戸市内一宮神社から八宮神社に祀られています。
現在の福岡県宗像郡の玄海灘の孤島沖ノ島にある宗像大社の沖津宮に祀られている田心姫命を勧請されたといわれています。
天照大神の子孫で天孫降臨に際し、天孫を助けた神様だといわれ、大陸の交流も活発だった太古の時代、海路の安全を守る神様として信仰され現在も厚い崇敬を受けており、「交通安全」「厄除」「生成発展」「縁結び」の守護神として広く御神徳の高い神様です。
祭神
一宮神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・田心姫命(たごりひめ):スサノオとアマテラスの誓約で誕生した三女神の一柱
→ 別名:多紀理姫命(タギリヒメ)、奥津島比売命(オキツシマヒメ)
→ 宗像大社からの勧請とされる
・田心姫命(たごりひめ):スサノオとアマテラスの誓約で誕生した三女神の一柱
→ 別名:多紀理姫命(タギリヒメ)、奥津島比売命(オキツシマヒメ)
→ 宗像大社からの勧請とされる
生田裔神八社とは?
生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)とは、神戸市の生田神社を囲むように点在している裔神八社のことであり、現在では八社を数字順に巡ることで厄除けを祈願する"八宮巡り"が行われているとされます。
この歴史は「神功皇后の三韓征伐」に由来するとされ、伝承によれば「神功皇后が長田・生田・広田・住吉の4社を建立した後に皇室にまつわる八社を巡拝した」ということに基づいているとされています。
なお、生田裔神八社に当たる神社は以下の通りです。
・一宮神社:田心姫命(タゴリヒメ)を祀る
・二宮神社:天忍穂耳尊(オシホミミ)・応神天皇(おうじんてんのう)を祀る
・三宮神社:湍津姫命(タギツヒメ)を祀る
・四宮神社:市杵島姫命(イチキシマヒメ)を祀る
・五宮神社:天穂日命(アメノホヒ)を祀る
・六宮神社:天津彦根命(アマツヒコネ)・応神天皇(おうじんてんのう)を祀る
・七宮神社:大己貴尊(オオナムチ)・大日霊貴命(オオヒルメムチ)・天児屋根命(アメノコヤネ)を祀る
・八宮神社:熊野杼樟日命(クマノクスヒ)・素盞嗚尊(スサノオ)を祀る
・二宮神社:天忍穂耳尊(オシホミミ)・応神天皇(おうじんてんのう)を祀る
・三宮神社:湍津姫命(タギツヒメ)を祀る
・四宮神社:市杵島姫命(イチキシマヒメ)を祀る
・五宮神社:天穂日命(アメノホヒ)を祀る
・六宮神社:天津彦根命(アマツヒコネ)・応神天皇(おうじんてんのう)を祀る
・七宮神社:大己貴尊(オオナムチ)・大日霊貴命(オオヒルメムチ)・天児屋根命(アメノコヤネ)を祀る
・八宮神社:熊野杼樟日命(クマノクスヒ)・素盞嗚尊(スサノオ)を祀る
境内社
伊久波神社
一宮神社の境内社である伊久波神社(いくはじんじゃ)です。
武内宿禰の子孫に当たる伊久波大神(伊久波戸田宿祢命)を祀っており、以下のように説明されています。
末社 伊久波神社
伊久波は元の字は"的(いくは)"です。
仁徳天皇12年(324年)7月、高麗より鉄的と鉄盾を献上された時、武内宿禰の子孫の葛城氏の一族である盾宿禰が献上の的を射通したので、的戸田宿禰の名を賜りました。
古代の当地域の豪族である布敷首(ぬのしきおびと)・生田首(いくたおびと)には、武内宿禰の子孫がいたので当社に祀られております。
伊久波は元の字は"的(いくは)"です。
仁徳天皇12年(324年)7月、高麗より鉄的と鉄盾を献上された時、武内宿禰の子孫の葛城氏の一族である盾宿禰が献上の的を射通したので、的戸田宿禰の名を賜りました。
古代の当地域の豪族である布敷首(ぬのしきおびと)・生田首(いくたおびと)には、武内宿禰の子孫がいたので当社に祀られております。
熊高稲荷神社
一宮神社の境内社である熊高稲荷神社です。
稲荷伸である宇迦之御魂大神(ウカノミタマ)を祀っており、商売繁盛・家内安全の御神徳があるとされています。
境内の見どころ
鳥居
一宮神社の鳥居です。
拝殿
一宮神社の拝殿です。
清め塩
一宮神社では清め塩の授与が行われています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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