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2017年3月7日火曜日

天穂日命(アメノホヒ)とは?(まとめ)

人文研究見聞録:天穂日命(アメノホヒ)とは?(まとめ)

日本神話」に登場する神である 天穂日命(アメノホヒ) についてまとめました。

目次



概要・特徴

概要

アメノホヒ(天穂日命)とは「日本神話」に登場する神であり、『記紀』によれば「スサノオとアマテラスの誓約」の際に誕生した五男三女神の一柱であり、アマテラスの子となったとされています。

神話では「葦原中国平定(出雲の国譲り)」の際、高天原から地上に降りて出雲のオオナムチ(オオクニヌシ)の説得に向かったものの、出雲側について三年経っても戻らなかったとされており、国譲りが決定した後にはオオナムチの祭主となったとも言われています。

なお、アメノホヒ および 子のタケヒラトリ(建比良鳥命)は出雲国造の祖神となったとされ、その氏族である出雲氏の長が代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだとされています(現在の出雲大社の宮司の先祖神に当たる)。

また、『出雲国風土記』においては アメノホヒ(天穂日命)の神名は登場しないものの、島根県安来市にある能義神社の祭神が天穂日命であることなどから、『出雲国風土記』の意宇郡野城駅条に登場する野城大神(のきのおおかみ)はアメノホヒであるという説があります。

信仰については、農業神・稲穂の神・養蚕の神・木綿の神・産業の神など幅広い神徳があるとされ、出雲だけでなく全国的に広く祀られているそうです。個人的な調査によれば、島根県東部や兵庫県の六甲山周辺における信仰が篤く、六甲山カンツリーハウスの敷地内には「天穂日命の磐座」と呼ばれる古代祭場も存在しています。


特徴

アメノホヒの大まかな特徴は以下の通りです。

【神名】 ※尊称は省略

・天穂日
・天之菩卑能
・天菩比

【別名】

・野城大神(のきのおおかみ)
・能義神(のきのかみ)

【出自】

・『古事記』:スサノオが"アマテラスが右の角髪に付けていた玉の緒"を噛み砕いて吹き出したときに生まれた
・『日本書紀』:スサノオが"アマテラスが身に付けていたヤサカニノイホツミスマル"を噛み砕いて吹き出したときに生まれた
・『旧事紀』:スサノオが"アマテラスが身につけていた右のミカツラの玉"を噛み砕き、右手に握ったときに生まれた
・『ホツマツタヱ』:アマテルの側室のマスヒメ(モチコ)が産んだとされる

【系譜】 ※『記紀』によるもの

・父母:スサノオ・アマテラス
 → 二神の誓約の際にアマテラスの持物から化成したとされている(一般的にはアマテラスの第二子とされる)
・子:建比良鳥命(タケヒラトリ)
 → 別名:天夷鳥命、武夷鳥命、武日照命、武三熊大人、大背飯三熊之大人、出雲伊波比神、伊毘志都弊命、阿太賀建熊命
 → 出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造等の祖神であるとされる
 → 出雲国造家(出雲大社の祭主)の祖神に当たる

【経歴】 ※『記紀』によるもの

・スサノオとアマテラスの誓約の際、スサノオがアマテラスの持物から化成させたことで誕生する
・葦原中国平定(出雲の国譲り)の際、最初に交渉役に抜擢されて天降るものの、出雲側に付いて三年経っても復命しなかった
 → 後に子のオオソビノミクマノウシ(タケヒラトリ)が説得に向かわされるも、父と同じく出雲側に付いた
・フツヌシとタケミカヅチによって国譲り交渉が成り立つと、オオナムチには天日隅宮(出雲大社と解される)が与えられた
 → この際、アメノホヒはオオナムチの初代祭主となったとされる


アメノホヒの登場する神話

アメノホヒに関する神話をまとめてみました。※内容は要約であり、解釈については私見が含まれているのでご注意ください

『記紀神話』

イザナギは三貴子であるアマテラス・ツクヨミ・スサノオに各々に領域を与え、それを統治するように命じたが、スサノオは その命に従わなかったため、イザナギは怒ってスサノオを根の国に追放してしまった。

追放を命じられたスサノオは、根の国に向かう前にアマテラスに挨拶をしようと思って高天原に向かったが、スサノオが高天原に近づくと海や山が震えたので、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たものと思って、迎え撃つために武装した。

スサノオが高天原にやってくると、アマテラスは威嚇するような勢いで訪ねてきた理由を問うた。そこで、スサノオは自分に悪心はなく、根の国に追放されることになったため、その前に挨拶に来たという旨を説明した。

しかし、アマテラスはスサノオが粗暴な性格であることを知っていたため、スサノオの言い分を信じることができず、スサノオに対して悪心がないことを証明するように迫った。すると、スサノオは誓約(うけい)をして子を儲けようと提案した。

スサノオの提案は、誓約の中で子を儲けて「もしスサノオが生んだ子が女子であるならば悪心があり、もし男子であれば悪心がない」と捉えて欲しいというものであり、アマテラスも この提案を承諾した。

そこで、スサノオとアマテラスは互いの持ち物を交換し、その持ち物から子を成した。まず、アマテラスがスサノオの持っていた剣から三柱の女神を生み出した。次に、スサノオがアマテラスの付けていた玉から五柱の男神を生み出した。ここでスサノオが生み出した男神の一柱がアメノホヒである。そして、この誓約の後にアマテラスにより、男神はアマテラスの子、女神はスサノオの子と定められた。

この後、スサノオの後裔であるオオナムチが葦原中国(日本の国土)を開拓して国と成し、自らが経営・統治していたが、高天原を統治しているアマテラスは、天下も自らの子孫が統治するべきだとして、地上の葦原中国を譲るようオオナムチと交渉することを提案した。

そこで、オオナムチを口説き落とすために適した神を選ぶことになったとき、真っ先に名前が上がった神がアメノホヒであった。これにより、アメノホヒがオオナムチの交渉役として天下に派遣されたが、アメノホヒはオオナムチの機嫌を伺うばかりで、三年経っても高天原に報告しなかった。そのため、後にアメノホヒの子であるオオソビノミクマノウシが派遣されたが父に従って報告せず、これも失敗に終わった。

次にアメノワカヒコが交渉役に選ばれて派遣されたが、これも失敗に終わったため、遂に武勇に優れたフツヌシとタケミカヅチが派遣されることになり、この二神の交渉によってオオナムチも国譲りを承諾することになった。

その代わり、オオナムチは天津神に対し、"自分の住処として、天津神の御子の座す御殿の如く、地底に太い柱を立て、大空に届くほどの御殿を立てること"を国譲りの条件とした。一説によれば、タカミムスビによって国譲りの条件となる天日隅宮(アマノヒスミノミヤ)が提供され、オオナムチの祭主はアメノホヒとなった。

参考:『古事記』による日本神話『日本書紀』による日本神話


『出雲国造神賀詞』

タカミムスビが皇御孫命(ニニギ)に天下を統治させようとして大八嶋国に国譲りを迫ったとき、出雲臣らの遠祖であるアメノホヒを国土の偵察のために天下に派遣した。

アメノホヒは、幾重にも重なった雲を押し分けて天を飛翔して天下の国土の偵察を行うと、「豊葦原の瑞穂の国は、昼は猛烈な南風が吹き荒れるように荒ぶる神々が騒いでおり、夜は炎が燃え盛るように光り輝く恐ろしい神々がはびこっています。また、岩も樹も青い水の泡までもが物言い騒ぐ荒れ狂う国であります。しかし、これらを鎮圧して服従させ、皇御孫命が統治する安穏平和な国にして差し上げましょう」と報告した。

そして、我が子のアメノヒナトリにフツヌシを副えて天降らせ、荒れ狂う神々をことごとく平定すると、国土を開拓経営していたオオナムチもこころを鎮めて大八嶋国の統治権を譲ることを誓うことになった。

このとき、オオナムチは「皇御孫命の鎮まることになる この国は大倭国である」と言い、自身の和魂を八咫鏡を御霊代(依代)として 依り憑かせ、倭の大物主なるクシミカタマの名を唱えて大御和の社(大神神社)に鎮座させた。

また、自身の子らの アヂスキタカヒコネの御魂を葛城の鴨の社(高鴨神社)に鎮座させ、コトシロヌシの御魂を宇奈提(河俣神社)に鎮座させ、カヤナルミの御魂を飛鳥の社(飛鳥坐神社)に鎮座させて皇御孫命の親近の守護神とし、自らは八百丹杵築宮(出雲大社)に鎮座した。

参考サイト:出雲国造神賀詞


『ホツマツタヱ』

アマテル(天照大御神)には十二の后がおり、御子として五男三女を儲けた。そのうち、北局のスケキサキであったマスヒメ(モチコ)がホヒ(天穂日命)を産んだ。ホヒは斎名(いみな)をタナヒト(タナキネ)といった。

ソサノヲ(素戔嗚尊)がアメオシヒ(天忍日命)の婚礼に併せてマナヰ(真名井)のトヨケ神(豊受大神)に参詣したときのこと、群衆の中にハヤスフヒメ(早吸日女)を見つけて求婚したが、その申し出は断られてしまった。このことから、ヲウチミヤ(大内宮)の北局に入り浸るようになり、北局に居たマスヒメやコマスヒメ(ハヤコ)と密通するようになった。

アマテルの内宮(正室)であるセオリツヒメ(瀬織津姫)は、この密通を察してマスヒメとコマスヒメに暇を与え(解任して)、別の者を北局に据えた。この処分に納得しなかった二姫はひどく嘆き、これを知ったソサノヲは同情から剣を抜いて直訴しようと企んだ。

この不穏な動きを告げられたセオリツヒメは、マスヒメとコマスヒメを呼び出して"アマテルが このことを知って信頼を失っていること"を告げ、熱りが冷めるまでツクシ(筑紫)に蟄居するように推めた。この際、御子に関しては"男は父、女は母に付くという習わし"に従って、マスヒメの子であるタナキネ(ホヒ)はアマテルが引き取り、コマスヒメが産んだ三姫子(宗像三女神)は筑紫に付いていくこととなった。

この処分の後、ソサノヲは怒って悪事の数々を働き、遂にはアマテルがイワムロ(岩室)に隠れてしまうという事態に至った。すると、天下が明暗も無い暗黒に包まれてしまったため、モロカミ(諸神)が話し合い、イワムロの前で祭礼を行うことで この事態を収拾した。

事件の後、ソサノヲは罪を問われて罰を受けることとなった。この罪を量ると死罪を優に超えていたが、ムカツヒメ(セオリツヒメ)の計らいによって死罪を免れ、髪抜き、爪抜きの罰を受けた後に、身分を下げられてヤヱハヒモトムシタタミ(八方這い回む下民)として追放された。

ソサノヲは、以前より父のイサナギ(伊弉諾尊)に根国に行くように命じられていたことから、追放された後は根国を目指すこととし、その前に姉のヒルコ(蛭子命)に会おうと思い、天(中央政府)に この許可を得た。これにより、ソサノヲはヒルコの元に向かったが、ヒルコはソサノヲが粗暴な性格であることを知っていたため、国を奪いに来たに違いないとして武装して待ち構えた。

ソサノヲがヒルコのもとに到着すると、ヒルコは大声で訪問してきた理由を尋ねた。ソサノヲは"根国に向かう前に挨拶に来ただけである"ということを伝えたが、ヒルコは信用せずにソサノヲに本心を問うた。ソサノヲ自身も罪人であることを自覚していたことから、口で言っても信用してもらえないだろうと思い、"根国に行った後に子を儲け、それが女であれば穢れた心、男であれば清い心である"という誓いを残した。これは"アマテルがマナヰに居た時、ミスマルの珠を濯ぐとマスヒメがタナキネ(ホヒ)を産み、床酒にコマスヒメを誘えば、十握の剣が3つに折れて再び交わり、一つとなった夢を見た"ということに基づく誓いであるとされた。

この後、ソサノヲは根国にてヤマタカシラノオロチ(八岐頭の蛇)を退治し、イナタヒメ(稲田姫命)と結婚して五男三女の子を儲けた。なお、ソサノヲの初子は男児であったため"ヒルコとの誓い"に勝ったことを報告しに行ったが、ヒルコに"恥を自覚しなければ再び世の乱れ招くことになる"と諌められて、しばらく隠れ住んだという。

一方、ソサノヲの子のクシキネは"奇跡が現れた子である"とされ、格別に穏やかな性格であったことから皆からヤシマシノミのオホナムチ(大己貴命)と称えられた。アマテルはクシキネ(オホナムチ)をモノヌシ(軍事長官)に任命すると、クシキネは後に出会ったスクナヒコナ(少彦名命)と共に協力して各地を巡って病を癒し、田畑の害獣・害虫の類を駆逐した。

スクナヒコナが去った後、オホナムチは子のクシヒコをコトシロヌシ(事代主)に据えてモノヌシの業務を代行させ、自らは出雲に残ってて民を教育し、多大なヒモロケ(食糧)を備えるほどに豊かにした。なお、種袋と槌を以って民を育み、飢えの対策に倉を建てて、それを満たすように糧を蓄えたことから、雨・風・日照りが起きても十分対応できるようになり、民が飢える心配が無くなったという。

オホナムチによって出雲が裕福に営まれていたころ、フトマニ(占い)に凶事が浮かび、これによれば"出雲に謀反の可能性あり"と出た。そのため、天のタカギ(高木神)は出雲に"経営自粛の説得"を行うことを決め、まずは その適役を選抜することにした。

この会議にて「ホヒの尊(天穂日命)が適役である」という声が挙がったことにより、まずはホヒがオホナムチを説得するために出雲に向かった。しかし、ホヒはオホナムチに媚び諂って三年経っても報告しなかった。そこで、ホヒの子のオオセイイミクマノ(大背飯三熊之大人)を派遣したが、父のように帰ってくることはなかった。

次にアメワカヒコ(天稚彦命)を派遣したが これも失敗に終わっため、タカギは以前の失敗を踏まえて 出雲を本格的に正す"カシマタチ"を敢行することに決めた。この際、武勇に優れたフツヌシ(経津主命)とタケミカツチ(武甕槌神)が選抜された。

出雲に向かったフツヌシとタケミカツチは、オホナムチの住む杵築宮の前にカフツチノツルギを植えて うずくまり、宮の外から大声でオホナムチを説得した。すると、オホナムチは答えかねるとしてミホサキ(美保関)にいた子のクシヒコ(事代主神)にキジ(伝令)を送り、天に対する返答について意見を問うた。

すると、クシヒコは「皆が満足して天に仕えているのに、臣として私腹を肥やすだけ愚かなことです。天に従うことが道理である故、父が退くならば諸共に出雲を去りましょう。」と返答し、天に権利を委譲することを奨めた。

しかし、オホナムチの もう一人の子であるタケミナカタ(建御名方神)は天に背くことを奨め、「こそこそ脅すようなことをするならば、力比べをして決めようではないか」と、武力を以って決定すべきであると主張した。

そこで、タケミカツチが巨大な千引岩を捕らえて投げ捨てると、タケミナカタは恐れをなして逃げだした。シナノウミ(諏訪湖)まで逃げたところで追い詰められたタケミナカタは「命を救ってくれるなら、諏訪に留まって背かないことを約束しよう」と言って天に降伏を誓った。

子らが共々に降伏を決めると とうとうオホナムチも諦めて「我が子が去るなら私も去ろう。今後 謀反を起こす者が出れば このクサナギノホコで平定すれば良い」と言い、フツヌシとタケミカツチにクサナギノホコを譲って出雲から出ていった。

その後、フツヌシとタケミカツチは 逆らう者を斬り、従う者を褒めて出雲を平定し、天に帰ってタカギに復命した。なお、出雲を追われたオホナムチは180の子らを率いてヤスカワに至ったが、その姿は悲惨であったという。

後にタカギの口添えもあり、当時の君主であったオシホミミ(天忍日命)より「オホナムチにアソベノアカルミヤ(津軽)を与える」という詔があった。これにより、オホナムチはアソベの領地に壮大絢爛な都を建設し、ツカルウモトのクニカミ(地方の臣)となった。

一方、オホナムチの去った後の出雲は、ホヒの尊が受け継ぐこととなった。

参考サイト:ホヒ・ホヒノミコト(ホツマツタヱ解読ガイド)ホツマツタヱ・ミカサフミ 現代語訳


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