八幡人丸神社 [山口県]
2018/09/24
山口県長門市油谷にある八幡人丸神社(はちまんひとまるじんじゃ)です。
古くからある八幡宮に柿本神社が合祀された神社で、祭神に八幡神と柿本人麻呂を祀っています。
なお、当社は島根県・兵庫県の柿本神社とともに日本三社と称されているそうです。
神社概要
由緒
由緒書によれば、明治43年(1910年)に弓弦葉山に鎮座する八幡宮(祭神:應神天皇・仲哀天皇・仁徳天皇)に当地に鎮座する柿本神社(祭神:柿本人麻呂)を合祀し、即日 柿本神社社殿に移転して社名を八幡人丸神社に改称したものとされます。
なお、当社の前身となる八幡宮・柿本神社の由緒は以下の通りです。
【旧八幡宮 由緒】
天平宝字年中(757年~765年)に字掛渕に住む漁夫の霊夢に牛に乗った八幡大神が現れたため、油谷湾から奉遷して弓弦葉山に鎮祭したことに始まるとされています。
天平宝字年中(757年~765年)に字掛渕に住む漁夫の霊夢に牛に乗った八幡大神が現れたため、油谷湾から奉遷して弓弦葉山に鎮祭したことに始まるとされています。
【旧柿本神社 由緒】
柿本人麻呂が石見国(島根県)から九州への往還の時に、当地の風光を愛でて『向津具(むかつく)の 奥の入江の さざ波に 海苔かく海士の 袖は濡れつつ』と詠んだとされ、人麻呂が逝去した後に郷人がその遺徳を追慕して祠を建てて祀ったことに始まるとされます。なお、飯尾宗祇が人麻呂の歌に因んで詠んだ『むかふつの 海苔かくあまの 袖にまた 思はずぬらす 我旅衣』という色紙は今も当社に保管されているそうです。
また、当柿本神社は、石見国高津(島根県益田市にある高津柿本神社)、播磨国明石(兵庫県明石市にある柿本神社)とともに日本三社と称されているとされています。
柿本人麻呂が石見国(島根県)から九州への往還の時に、当地の風光を愛でて『向津具(むかつく)の 奥の入江の さざ波に 海苔かく海士の 袖は濡れつつ』と詠んだとされ、人麻呂が逝去した後に郷人がその遺徳を追慕して祠を建てて祀ったことに始まるとされます。なお、飯尾宗祇が人麻呂の歌に因んで詠んだ『むかふつの 海苔かくあまの 袖にまた 思はずぬらす 我旅衣』という色紙は今も当社に保管されているそうです。
また、当柿本神社は、石見国高津(島根県益田市にある高津柿本神社)、播磨国明石(兵庫県明石市にある柿本神社)とともに日本三社と称されているとされています。
祭神
八幡人丸神社の祭神は以下の通りです。
・應神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇であり、八幡神として全国の八幡宮などで祀られる
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇であり、八幡宮で祀られることが多い(后・神功皇后、子・応神天皇)
・仁徳天皇(にんとくてんのう):第16代天皇(父は応神天皇)
・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ):飛鳥~奈良時代の宮廷歌人で、歌聖とも称される
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇であり、八幡宮で祀られることが多い(后・神功皇后、子・応神天皇)
・仁徳天皇(にんとくてんのう):第16代天皇(父は応神天皇)
・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ):飛鳥~奈良時代の宮廷歌人で、歌聖とも称される
境内社
八幡人丸神社の境内社は以下の通りです。
・英霊社
境内の見どころ
鳥居
八幡人丸神社の鳥居です。
鳥居の下には長めの石段が延びています。
拝殿
八幡人丸神社の拝殿です。
歌碑
八幡人丸神社にある人麻呂の歌碑です。
人麻呂が詠んだ『向津具の 奥の入江の さざ波に 海苔かく海士の 袖は濡れつつ』と刻んであります。
人の像
八幡人丸神社にあるユニークな人型の像です。
臥牛像
八幡人丸神社にある臥牛像です。
神馬像
八幡人丸神社にある神馬像です。
亀趺
八幡人丸神社にある亀趺です。
柿本神社・人丸神社にはこれが置いてあることが多いです。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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