宇田八幡宮(阿武町) [山口県]
2018/10/28
山口県阿武郡阿武町にある宇田八幡宮(うたはちまんぐう)です。
鎌倉時代に創建された神社で、祭神に品陀和氣命・奥長帯日賣命など4柱の神が祀られています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、寿永4年(1184年)に大分県の宇佐神宮から祭神を勧請して創建された神社で、社名から当地も「宇佐」と呼ばれていたそうですが、時代と経るとともに「サガタ」に転訛し、さらに「宇田」に変化して現在に至るとされています。
創建以後、明徳元年(1390年)に社殿の再建が行われたとされますが、 文政4年(1822年)に洪水のために社殿が崩壊し、神具や古文書などの大半が流失してしまったそうです。そのため、その間は東方の山中に仮宮を建て、天保8年(1837年)に現在の社殿が完成したとされています。
なお、由緒書による神社の説明は以下の通りです。
【由緒の大要】
当宮は寿永4年、平家の滅亡により、源家の光臣土肥次郎実平当目の代官として補佐せらるに当り豊前国宇佐宮より勧請現地に社殿を建立して鎮祀す。故に地名を宇佐と称へども年を経るに従ひ「サガタ」に転訛。今日の如く宇田と唱えるに至ると古記に見る。
後、明徳元年、社殿再建さしも文政4年7月24日洪水のため社殿崩壊せしにより、神具棟札および古文書の類 大半流失す。よって、仮営を東方山中に急遽御遷座越へて天保8年 現在の社殿を造営す。云々
当宮は寿永4年、平家の滅亡により、源家の光臣土肥次郎実平当目の代官として補佐せらるに当り豊前国宇佐宮より勧請現地に社殿を建立して鎮祀す。故に地名を宇佐と称へども年を経るに従ひ「サガタ」に転訛。今日の如く宇田と唱えるに至ると古記に見る。
後、明徳元年、社殿再建さしも文政4年7月24日洪水のため社殿崩壊せしにより、神具棟札および古文書の類 大半流失す。よって、仮営を東方山中に急遽御遷座越へて天保8年 現在の社殿を造営す。云々
祭神
宇田八幡宮の祭神は以下の通りです。
・品陀和氣命(ホムダワケ):応神天皇の別名
→ 応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇であり、八幡神として全国の八幡宮などで祀られる
・奥長帯日賣命(オキナガタラシヒメ):神功皇后の別名
→ 神功皇后(じんぐうこうごう):仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母に当たる
・帯長目子命
・三柱比賣命
→ 応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇であり、八幡神として全国の八幡宮などで祀られる
・奥長帯日賣命(オキナガタラシヒメ):神功皇后の別名
→ 神功皇后(じんぐうこうごう):仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母に当たる
・帯長目子命
・三柱比賣命
境内社
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宇田八幡宮の境内社は以下の通りです。
・不明(社名を失念)
・神明宮
・昇霊殿
・不詳社2社(石が祀られている)
・神明宮
・昇霊殿
・不詳社2社(石が祀られている)
境内の見どころ
鳥居
宇田八幡宮の鳥居です。
神門
宇田八幡宮の神門です。
忠魂碑
宇田八幡宮の忠魂碑です。
拝殿
宇田八幡宮の拝殿です。
本殿
宇田八幡宮の本殿です。
神木
宇田八幡宮の神木です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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