妙見寺(赤穂市) [兵庫県]
2019/08/17
兵庫県赤穂市にある妙見寺(みょうけんじ)です。
行基によって創建された真言宗寺院であり、本尊に如意輪観音菩薩を祀っています。
宝珠山という山の中腹に位置しており、境内からは坂越湾や生島が一望できます。
寺院概要
縁起
案内板等によれば、当寺は天平年中(729~749年)に行基によって開山され、大同2年(807年)に空海(弘法大師)が唐からの帰途、生島に停留した際に「宝珠山妙顕寺」と名付けたとされます。嘉吉の頃(1441~1444年)の頃には16坊5庵を抱えた大山岳寺院であったそうですが、文明17年(1485年)の僧兵一揆によってほとんど焼失してしまったそうです。
なお、当寺の観音堂は「円通閣(えんつうかく)」と呼ばれ、万治2年(1659年)に奥の院として宝珠山上に創建されましたが、台風によって大破してしまったため、享保7年(1722年)に現在地に再建されたそうです。ちなみに観音堂の蛙股には東西南北の方角に当てた十二支彫刻があり、4枚の三角形を合わせた屋根はピラミッドと同じ方向を向くといわれています。
また、かつては大避神社の神宮寺でもあり、同社と祭神の秦河勝とは縁が深い寺だったそうですが、明治の神仏分離令によって分離されたため、寺院として独立して現在に至るとされています。
本尊
・如意輪観音(にょいりんかんのん):法輪をもって一切の願望を満たし、苦しみを救うとされる菩薩
宝珠山上のスポット
白勢稲荷大明神
宝珠山にある白勢稲荷大明神です。妙見寺に向かう途中にあります。
由緒書によれば、明治初年頃に妙顕寺の留守居役が寺のそばで焚火をした後に寝ていると、夜中に雨戸を叩く音がしたので、確認してみると暗闇に手招きする白狐がおり、その方向に目をやると火の不始末で火事になりかける寸前だったそうです。昔から、妙顕寺は白勢稲荷大明神に守護されていると伝えられており、白狐をその使いに間違いないと思った人々が集まって、観音堂の東に当社を建立したとされ、昭和45年に現在地に遷されたと説明されています。
奥の院
宝珠山にある奥の院です。妙見寺よりも山上にあり、堂内に不動明王・阿弥陀如来・弘法大師を祀っています。
縁起によれば、昭和初期に弘法大師の四国八十八ヶ所霊場を坂越浦に勧招する事業が起こり、昭和6年に宝珠山八十八ヶ所が開山されたそうです。これにより、茶臼山と宝珠山の稜線上に四国八十八ヶ所の寺院名を刻んだ88体の石仏を祀り、高野山「奥の院」を勧招して仏堂を建立したことに始まるとされます。
その後、昭和20年の終戦の年に霊場「明星水の池」のほとりに移築され、昭和27年に新築したとされます。なお、現在地は妙顕寺の坊庵群が集中していた霊場域で「妙見様屋敷」と呼ばれ、盛時には護法堂があったそうです。
なお、当院の建つ「明星水の池」には、仏教伝来の頃に聖徳太子が秦河勝とともに諸国巡検で訪れたともいわれています。また、天平年中(729~749年)には行基が訪れ、法螺貝を吹いて開山し、自ら虚空蔵菩薩を刻んで池のほとりに祀ったとされ、後年、勤操僧都が当地で秘宝「虚空蔵求聞持法」を会得し、大満虚空蔵石塔の奉納と、自ら刻んだ妙見大菩薩像を祀ったことから、人々に「明星水の池」と呼ばれるようになったとされています。
茶臼山城跡
茶臼山にある茶臼山城跡です。宝珠山から山頂を目指して上っていくと、やがてたどり着けます。
茶臼山城は室町時代の嘉吉年間(1441~1444年)に築城された山城であり、主な城主は山名氏や赤松氏であったとされます。今は仏像とか説明碑ぐらい残っていませんが、山頂からは坂越湾や生島が眺望できます。
境内の見どころ
地蔵堂
妙見寺の地蔵堂です。
妙見堂
妙見寺の妙見堂です。
本尊として妙見大菩薩像を祀っています。
この本尊は、秦河勝の一族である勤操僧都が自ら刻んで祀ったものだそうです。
薬師堂
妙見寺の薬師堂です。
薬師如来像、不動明王像、妙吉祥菩薩像が祀られています。
薬師如来像は空海作とされ、秘仏として60周年周期で開扉法要が営まれているそうです。
観音堂
妙見寺の観音堂です。
本尊として如意輪観音菩薩像を祀っています。
如意輪観音菩薩像も空海作とされ、薬師如来像とともに秘仏とされているそうです。
生島の眺望
妙見寺から望む生島の眺望です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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