神田明神(神田神社) [東京都]
2015/12/16
東京都千代田区外神田にある神田明神(かんだみょうじん)です。正式名称を神田神社と言います。
神田・日本橋・秋葉原など東京都心108町会の総氏神であり、毎年5月中旬に「神田祭」が行われることで有名です。
また、平安時代に「平将門の乱」で討ち取られた平将門公の体が力尽きた場所としても知られています。
平将門についてはこちらの記事を参照:【平将門とは?】
神社概要
歴史
社伝によれば、奈良時代の天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村(大手町の将門塚付近)に入植した出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)が大己貴命(オオナムチ)を祖神として祀ったのに始まるとされます。
その後、平安時代の「平将門の乱」を起こして敗北した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られて将門塚(将門の首塚)となり、東国の平氏武将の崇敬を受けたそうです。
しかし、嘉元年間(14世紀初頭)に将門塚の周辺で疫病や天変地異が頻発し、それが将門公の祟りであるとして人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が将門公の御霊を供養して、延慶2年(1309年)に当社に相殿として奉祀したとされています(平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる)。
戦国時代には、太田道灌や北条氏綱など、名立たる武将によって篤く崇敬され、慶長5年(1600年)に「関ヶ原の戦い」が起こると、当社では徳川家康(東軍)の戦勝の祈祷を行なったとされます。
そして、9月15日(神田祭の日)に東軍が勝利して天下統一が為されたため、徳川将軍家より「神田祭」を縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命じられたそうです。
江戸時代になると、江戸城増築に伴って慶長8年(1603年)に神田台へ、さらに元和2年(1616年)に現在地へ遷座したとされ、江戸総鎮守として尊崇を集めたとされています。
また、江戸時代に「神田明神」と名乗り、周辺の町名にも神田明神を冠したものが多くあった中、明治に入って神社が国家の管理下に入ると、明治元年(1868年)に准勅祭社に指定され、その後、府社に列せられ、1872年に正式の社号が「神田神社」に改められたとされています。
なお、明治7年に明治天皇が行幸するにあたり、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされたため、平将門が祭神から外され、代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社から勧請されたそうです。
その後、平将門の神霊は一時的に境内摂社に遷されたとされますが、戦後、昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰したとされています。
祭神
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神田明神の主祭神は以下の通りです。
・一ノ宮:大己貴命(オオナムチ、だいこく様)
・二ノ宮:少彦名命(スクナヒコナ、えびす様)
・三ノ宮:平将門命(たいらのまさかど、まさかど様)
・二ノ宮:少彦名命(スクナヒコナ、えびす様)
・三ノ宮:平将門命(たいらのまさかど、まさかど様)
平将門公の伝説
日輪寺 |
一説によれば、「平将門の乱」で首を刎ねられた将門公の首は現在の将門塚(大手町)まで飛んで行き、身体は首を追いかけて彷徨い、神田明神で力尽きたと云われています(詳しい出典は不明)。
また、台東区にある日輪寺はかつて神田明神の別当寺であり、「将門公の『体』が訛って『神田』になった」と言い伝えられてきたとされています。
参拝時のタブー
成田山新勝寺 |
神田明神には「神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけない」というタブーが伝えられています。
これは「平将門の乱」が起きた当時、朝廷が平将門を討伐するために僧・寛朝(かんちょう)を東国に遣わし、新勝寺を創建して、乱の鎮圧のための不動護摩の儀式(将門公の呪殺の儀式)を行わせたことに因むとされています。
そのため、新勝寺を参拝することは将門公を苦しめることとなり、道中に必ず災いが起こると云われているようです(新勝寺を参拝する場合は、時期をずらした方がいいとも)。
なお、このタブーは将門公の首を祀ったという九段の築土神社にも同様に言い伝えられているとされます。
境内の見どころ
鳥居
神田明神の鳥居です。
緑色で節のある独特な形をしています。
随神門(楼門)
神田明神の随神門(ずいしんもん)です。
昭和50年に昭和天皇即位50年の記念事業として再建され、入母屋造、二層建、銅板瓦棒葺という仕様になっています。
また、外回りには「四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)」を配し、内側には因幡の白兎など「大国主の神話をモチーフにした彫刻」を飾っており、二層目には平将門公に由来する金箔を施した「繋馬の彫刻」が飾られています。
御神殿
神田明神の御神殿です。
本殿・幣殿・拝殿・神饌所・宝庫が重なり合うように造られているそうです。
祭神像
神田明神には祭神の「だいこく様」「えびす様」をモチーフにした像が安置されています。
なお、「えびす様」は通常 コトシロヌシとされますが、神田明神ではスクナヒコナとしているのが珍しいです。
狛犬
神田明神の狛犬です。
両方共に正面を向いているのが珍しいです。
獅子山
神田明神の獅子山です。
江戸時代に奉献された石造物であり、当時の資料として貴重なものとされています。
力石
神田明神の力石です。
この石は、かつて若者達が力試しに用いたものとされており、都内の多くの神社に安置されています。
また村々の境から入ってくる魔を防ぐための「道切」という説もあるようです。
鳳凰殿
神田明神の鳳凰殿です。
1階は授与所・参集所となっており、中ではお土産なども販売されています。
絵馬
神田明神の絵馬には、ラブライブとコラボした絵馬もあるようです。
ガチャポン
神田明神には、縁起物の入ったガチャポンがあります。
からくりみくじ
神田明神には、からくりみくじがあります。
神馬
神田明神の神馬です。
通称「あかり」と呼ばれる牝のポニーであり、触れて親しむこともできます。
大神輿
神田明神には「将門塚例祭」で使用される大神輿が奉納されています。
屋上庭園
神田明神には屋上庭園があり、様々な植物を観賞しながら休憩することができます。
境内社
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神田明神の境内社は以下の通りです。
・祖霊社:神田明神の氏子・崇敬者の先祖を祀る
・合祀殿:籠祖神社・八幡神社・富士神社・天神社・大鳥神社・天祖神社・諏訪神社を合祀
・末廣稲荷神社:宇迦之御魂神を祀る(「出世稲荷」として信仰される)
・三宿稲荷神社:宇迦之御魂神を祀る
・金刀比羅神社:大物主神・金山彦命・天御中主命を祀る
・浦安稲荷神社:宇迦之御魂神を祀る
・江戸神社:建速須佐之男命を祀る(702年に豊島郡江戸に創建された「江戸最古の地主神」)
・大伝馬町八雲神社:建速須佐之男命を祀る
・小舟町八雲神社:建速須佐之男命を祀る
・水神社(魚河岸水神社):弥都波能売命を祀る
・合祀殿:籠祖神社・八幡神社・富士神社・天神社・大鳥神社・天祖神社・諏訪神社を合祀
・末廣稲荷神社:宇迦之御魂神を祀る(「出世稲荷」として信仰される)
・三宿稲荷神社:宇迦之御魂神を祀る
・金刀比羅神社:大物主神・金山彦命・天御中主命を祀る
・浦安稲荷神社:宇迦之御魂神を祀る
・江戸神社:建速須佐之男命を祀る(702年に豊島郡江戸に創建された「江戸最古の地主神」)
・大伝馬町八雲神社:建速須佐之男命を祀る
・小舟町八雲神社:建速須佐之男命を祀る
・水神社(魚河岸水神社):弥都波能売命を祀る
境内社について詳しくはこちらの記事を参照:【神田明神の境内社】
料金: 無料
住所: 東京都千代田区外神田2-16-2
営業: 終日開放(祈祷受付9:00~16:00、御守授与9:00~16:30)、無休
交通: 御茶ノ水駅(聖橋口徒歩5分)、秋葉原駅(電気街口徒歩7分)など
公式サイト: http://www.kandamyoujin.or.jp/
住所: 東京都千代田区外神田2-16-2
営業: 終日開放(祈祷受付9:00~16:00、御守授与9:00~16:30)、無休
交通: 御茶ノ水駅(聖橋口徒歩5分)、秋葉原駅(電気街口徒歩7分)など
公式サイト: http://www.kandamyoujin.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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神田明神
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