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2015年7月20日月曜日

八咫烏(ヤタガラス)とは?

人文研究見聞録:八咫烏(ヤタガラス)とは?

八咫烏(やたがらす)」とは熊野三山の神使であり、熊野のシンボルとされている三本足のカラスです。

『日本神話』では「神武東征」の中で神武天皇を大和に導いたことで知られており、現在ではJFA(日本サッカー協会)のシンボルマークにもなっています。また、太陽の化身とも云われ、世界でも同様の特徴を持つカラスが存在しています。

今回は、この「八咫烏」についてまとめてみたいと思います。



日本における八咫烏

日本神話の八咫烏

人文研究見聞録:八咫烏(ヤタガラス)とは?

八咫烏は日本神話の神武東征の際、天空から降りて来て日本の初代天皇である神武天皇を熊野から大和まで導いたという説話が有名であり、『古事記』では「八咫烏」、『日本書紀』では「頭八咫烏(ヤタノカラス)」と表記されます。

なお『日本書紀』では、神武天皇が大和に遷都した後に東征の功労者に褒賞が与えられるのですが、頭八咫烏も褒賞を受けており、さらにその子孫は葛野主殿縣主部(カズノノトノモリノアガタヌシラ)となったことが記されています。

また、八咫烏の「八咫(やた)」とは大きさを表すとされており、「咫(あた)」が親指と中指を広げた長さ(約18cm)を指すことから、八咫は 144cm であるということになります。しかし、「単に大きい」ということを表しているという説もあり、日本神話では同様に大きいということを示す「八尋」という単位が多々登場します。

また、日本神話では「三本足」という表記は見られず、後に中国・朝鮮の伝承に登場する「三足烏(さんそくう)」と同一視され、その姿で描かれるようになったという説があり、原型は別物であったという説もあります。

ちなみに「三足烏」は「キトラ古墳」の壁画に描かれており、アジア、アナトリア半島(トルコ)、北アフリカなどでも見られるんだそうです。

日本神話(記紀・旧事紀)におけるヤタガラスの特徴

天津神(天神)によって高天原から遣わされた(記紀によって派遣した神は異なる)
人語を話すことができた(出くわす者に敵意を尋ねている)
空を飛ぶことができた(空より翔け降りたとある)
嫌な声で鳴く(敵軍を挑発したときに、敵がそう表現している)
食物を食べる(皿に盛った食糧を食べたとある)
子孫が居る(葛野主殿縣主部)

※日本神話には三本足という描写は一切無い

古史古伝(ホツマツタヱ)におけるヤタガラスの特徴

タケヒト(神武天皇)の夢にアマテル(天照)の神託が下った後に現れた
皇軍を導いたとされる
八尺の烏とされる(2.42424メートル)
老翁であったとされる
葛野主の祖先に当たるとされる

・参考サイト:ほつまつたゑ 翻訳ガイド(ヤタガラス)

神武東征についてはこちらを参照:【神武東征とは?】


熊野の八咫烏

人文研究見聞録:八咫烏(ヤタガラス)とは?

熊野における八咫烏は、熊野大神(スサノオ)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルとされています。一方、熊野三山におけるカラスは、死霊が鎮められることで神となった「ミサキ神」であり、神使であると考えられているそうです。

また、熊野には第7代孝霊天皇の時代に八咫烏が人々の前に姿を現したという以下の様な伝承があるそうです。

八咫烏と猟師

その昔、紀伊国牟婁郡の真砂(まなご)という所に「千代包(ちよかね)」という猟師がいた。

その猟師が大きなイノシシに手傷を負わせたが逃げられてしまい、それを追って山に入っていくと道が途絶えてしまった。そこに八咫烏が現れて、猟師の前に先立って静々と歩いていった。猟師はそれに附いていくと大平野(おおひらの)という場所に出た。

なお、このときの八咫烏の色は金色に見えたとされ、後にある人が「金の烏(カラス)は太陽である。外典にも『金の烏(カラス)は天上に遊ぶ』とあるが、それがこの烏である」と云ったという。

猟師はさらに八咫烏に附いていくと、曾那恵(そなえ)という場所に出て、イノシシはそこに倒れていた。そのとき、八咫烏の姿が消えていたため、猟師は猪を置いて近くを探したが見つけることは出来なかった。そこで、天を仰いで立っていると、イチイの大木の上に光る物を見つけた。

猟師は この光る物に襲われると思い、大きな鏑矢を掴んで、光る物に対して「我は15歳の時から狩りをしている。60歳になるまでにこうしたことは度々あったが、未だに不覚をとったことはない。どういう物にでも変じて見せよ」と言った。

すると、光る物は3枚の鏡となって「我こそは天照大神の五代目の子孫にして、摩訶陀国のしばらくの主、また我が国でも先祖代々伝わってきたものである。王をはじめとして万人を守る者である。熊野権現として現れるのも我等のことである。過ちをしなさるな。宿縁によって汝に姿を見せるのである」と答えた。

猟師は弓矢を投げ捨て、袖を合わせて「これだから凡夫の力は情けないものです。神仏と知らず、矢でもって過ちを犯すところでした。恐る恐る罪深いことです」と畏まって、その木のもとに3つの庵を造り「仰せの通りならば、ここにお移りください」と申し上げると、3枚の鏡は3つの庵に移った。

猟師は奉る物がないので、間に合わせに山芋を掘って鹿肉を切り、端午の節句(5月5日)だったので携行食に持っていた麦を飯にして、それに山芋や菖蒲などを添えて供え、急いで山を出て天皇の宣旨を賜ろうと都に上った。

熊野権現も、藤代から猟師より先に飛行夜叉(ひぎょうやしゃ)を遣わし、夢のお告げを以って天皇に申し上げた。そこに猟師が参上したので、天皇は猟師に「早く御宝殿を造るように」と命を下した。

そして、猟師は三所の御宝殿を造りあげると、次第に人が集まり始めて在家の数も300軒になった。人々が熊野権現をもてなすようになると、権現の神力によって人々は楽しみ、世は栄えていったという。

その後、猟師はその宮の別当(熊野三山の管理職)になり、この時の人皇は七代孝霊天皇と申した。

※摩訶陀国(マガダ国):古代インドにおける十六大国の一つ


賀茂氏との関係

人文研究見聞録:八咫烏(ヤタガラス)とは?

賀茂氏とは陰陽師の名門として有名な家系ですが、下鴨神社で祀られる「賀茂建角身命(カモタケツヌミ)」は、『新撰姓氏録』によれば「神魂命(カミムスビ)の孫であり、神武東征の際に天津神の命を受けて日向の曾の峰(そのたけ)に天降り、八咫烏に姿を変え、大和の葛木山に向って神武天皇を先導した」という旨が記されています。

そのため、八咫烏と賀茂建角身命は同一視されており、山城の賀茂氏(賀茂県主)は八咫烏に始まるとも考えられているようです。

なお、賀茂建角身命は京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)などで祀られており、賀茂別雷神社(上賀茂神社)では孫神に当たる賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)が祀られています。


世界における八咫烏

中国の三足烏

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中国神話に登場する3本の足のカラスは「三足烏(さんそくう)」と呼ばれ、太陽を象徴するとされています(神話によっては太陽に棲むとも)。また、「日烏(にちう)」や「火烏(かう)」とも呼ばれ、金色とされるものは「金烏(きんう)」と呼ばれており、月を象徴する「蟾蜍(せんじょ、ヒキガエル)」や「月兎(げつと、ウサギ)」の対称とされているそうです。

なお、中国神話では、『淮南子』に「昔、広々とした東海のほとりに扶桑の神樹があり、そこに棲む10羽の三足烏が順番に空に上がって口から火を吐き出すと太陽になる」とあり、『楚辞』などには「大昔には10の太陽が在って入れ替わり昇っていたが、尭帝の時代に10の太陽が全て同時に現れたため、地上が灼熱となって草木が枯れ始めた。そこで尭帝は弓の名手・羿(げい)に命じて、9つの太陽に住む9羽の烏を射落とさせると、太陽は現在のように1つになった」と記されているようです。


高句麗の三足烏

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朝鮮の高句麗(現・北朝鮮)では、三足烏を「サムジョゴ」または「火烏」と呼んでいたそうです。なお、古墳壁画には太陽の中に三足烏が描かれています。


太陽と烏

人文研究見聞録:八咫烏(ヤタガラス)とは?

三足烏はアジアの他にもギリシャエジプトでも用いられていたとされています。また、太陽と烏を結び付ける思想は、アジア、アナトリア半島、北アフリカ、マヤなどでも見られ、鳥を太陽と結び付ける神話は世界中で見られるとされています。


八咫烏の諸説

三本足の意味

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熊野三山の一社である「熊野本宮大社」では、八咫烏の三本の足は、天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、「同じ太陽から生まれた兄弟である」ということを示すとされています。

なお、古代中国においては、道教の陰陽五行説において「奇数」を「」を表すとされることから、三本足の八咫烏は「太陽」を象徴しているとされています。

また、かつて熊野地方に勢力をもった「熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を象徴する」という説や、「朝・昼・夕の日光を表す」という説もあるそうです。



八咫烏の正体

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八咫烏が意味するものについては諸説存在します。以下、掻い摘んで記載します。

・人物説
 → 『日本書紀』では、神武天皇の東征に貢献したとして、皇軍の武将と共に褒賞を受けている
  ⇒ 八咫烏の子孫される部民が存在するとされることから、特定の人物を指すのではないかとも考えられる
 → 第73世武内宿禰を自称する竹内睦泰はヤタガラスはアジスキタカヒコネと同一だと言及している
  ⇒ 加えてナムジ(大国主)の長男で人間であるとしている
  ⇒ ただし、詳しい出典については不明
  ⇒ 参考リンク:居皆亭(Youtube)
・組織説
 → 『先代旧事本紀大成経』には、八咫烏という天照大神直属の組織が存在することが記される
  ⇒ 現在も賀茂氏の一部を中心とする神道や宮中祭祀を司る組織として存在するという陰謀論がある
  ⇒ 参考リンク:八咫烏(結社)
・実在する鳥類説
 → 「虚構新聞」というジョークサイトに捕獲のニュースが載っている(ただし、おそらくデマである)
  ⇒ しかし、兵庫県の六甲山(十文字山)周辺で目撃例が多数あるとも(UFO目撃例も多い)
・ET説(鳥人間説)
 → 日本には鳥人間と関連する多くの神話や伝承が存在しま、八咫烏もこうした神々の一部であるという説がある
  ⇒ 烏天狗(からすてんぐ)という鳥の頭を持つ天狗の伝承がある(和歌山県に烏天狗のミイラが存在する)
  ⇒ 日本には、迦楼羅天(かるらてん)という鳥頭の仏像が存在する
  ⇒ 『日本書紀』には翼のある人として羽白熊鷲(はじろくまわし)が登場する
  ⇒ 古代エジプトの神々の中には、ラーホルスなどの鳥頭の神が多数存在する


JFAのシンボルがヤタガラスになった理由

人文研究見聞録:八咫烏(ヤタガラス)とは?

JFAのシンボルは熊野のシンボルである三本足のヤタガラスということで有名ですが、これは明治時代に日本に初めてサッカーを紹介した中村覚之助という人物に因むとされています。

この人物は明治36年(1903年)にイギリスの本を翻訳・編集して日本最初のサッカー指導書「アッソシェーションフットボール」を出版し、「ア式蹴球部」を創設したとされています。

これが日本における最初のサッカーチームとされ、中村覚之助は現在の日本のサッカーの礎を築いた人物として慕われたそうです。しかし、29歳の若さで亡くなってしまったそうです。

その後、昭和6年(1931年)に日本サッカー協会のシンボルマークが図案化されることとなり、その発案者が「ア式蹴球部」の後輩であったことから、中村覚之助の故郷である和歌山県那智勝浦町の熊野三所大神社(渚の宮)のシンボルであるヤタガラスを採用したと言われています。

ただし、公式資料にルーツが載せられたことは無いとされるため、あくまでも有力な説の一つに過ぎません。

・参考リンク:サッカーとカラス日本サッカー協会(Wikipedia)


考察

古代中国と三足烏

人文研究見聞録:八咫烏(ヤタガラス)とは?
復帰と女媧の図
人文研究見聞録:八咫烏(ヤタガラス)とは?
三足烏(上部中央)

上記のとおり、烏(カラス)と太陽を結び付ける思想は世界中に存在します。

その中でも特に古代中国の文化圏でよく見られ、前漢時代(BC.206~AD.8)から三足烏が書物に登場し、王の墓からの出土品にも描かれているとされています。また、三足烏の思想は三脚巴や三つ巴にも影響を与えていると考えられているそうです。

なお、古代の中国神話に登場する「伏羲と女媧の絵画(作者・年代共に不明)」には、画の上下に太陽と月と見られるシンボルが描かれており、そのうちの一つには太陽と見られる部分に三足烏が描かれています。

このことから、三足烏という思想は紀元前より存在し、かつ、太陽の象徴とされていたものと思われます。

また、「日本神話」における最高神は「太陽の化身」とされる「天照大御神(アマテラス)」ですが、アマテラスと同様に「大御神(最高の神格)」の尊称を持つ神として「迦毛大御神」こと「阿治須岐高日子根(アヂスキタカヒコネ)」が存在します。

この神は上賀茂・下鴨神社の本地垂迹資料である『賀茂之本地』によれば、賀茂別雷大神(上賀茂神社祭神)と同神とされています。そして、この神の祖父に当たるのが「八咫烏」こと「賀茂建角身命(カモタケツヌミ)」です。

そのため、「日本神話」における「八咫烏」および「迦毛大御神」も「太陽」と関係しているものと考えられます。


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