【当サイトについて】

・当ブログは「人文研究見聞録(じんぶんけんきゅうけんぶんろく)」と言います。
・このブログでは、著者が実際に見た・体験した「日本」についての記事を書いています。
・その他にも「日本神話」の独自研究についての記事なども書いています。
・サイト内のコンテンツについては、上部のメニューバーおよびサイト右側に配置したメニューを参照してください

2015年11月21日土曜日

出雲大社松山分祠 [愛媛県]

人文研究見聞録:出雲大社松山分祠 [愛媛県]

愛媛県松山市にある出雲大社松山分祠(いずもたいしゃまつやまぶんし)です。

明治9年(1876年)に出雲大社から分霊を請けた出雲大社の分祠であり、伊予七福神霊場の一つにも数えられています。

そのため、入口に七福神の刻まれた石碑を配し、拝殿には太めの注連縄が張られています。

なお、松山分祠は出雲大社の真南に位置するとされているそうです。


神社概要

概要

出雲大社松山分祠の概要は以下の通りです。

【由緒】

明治9年(1876年)に、出雲大社から分霊を請けた出雲大社の分祠とされる

【祭神】

・大国主大神(オオクニヌシ):出雲大社の主祭神

出雲大社教と出雲大社分祠

人文研究見聞録:出雲大社松山分祠 [愛媛県]

出雲大社教とは、明治6年(1873年)に当時 出雲大社の大宮司であった千家尊福(せんげたかとみ)が創設した教団であり、現在では出雲大社の社務所内に本部を構える教派神道(神道十三派の一つとされています。

なお、日本は江戸時代まで神仏習合という形で神社と寺院が混淆しており、当時は寺院が圧倒的な権力を誇っていたとされています。それが明治以後、神仏分離令によって分けられ、国家としては日本古来の神道を国教として国民統合の支柱とする「国家神道」という思想の元、神道が広められるようになったとされます。

ただし、政府は「神道は宗教ではない」とする「神社非宗教論」を以って、憲法における「信教の自由」を回避したことから、「神道は非宗教」という認識となったそうです(昭和20年の神道指令によって終了)。

しかし、古来より宗教として神道を布教してきた神社のいくつかはこれに反対し、神道系の宗教団体を設立していったとされています。その際、政府は信者数などの一定の条件を満たした教派を独立教派として公認したとされ、そのうちの一つが「出雲大社教」であるとされています。

以来、出雲大社教では出雲大社を宗祠とし、出雲信仰を布教するために各地に御師を派遣したそうです。それによって出雲大社の分祠が北海道から沖縄までの全国各地に広まり、現在では海外のハワイにまで及んでいるとされています。

※神道十三派(しんとうじゅうさんぱ):明治時代に教派として公認された神道系の教団のこと

拝礼作法

人文研究見聞録:出雲大社松山分祠 [愛媛県]

松山分祠の拝礼作法は出雲大社とも異なる独特のものであり、その内訳は以下のようになっています。

1.二礼
2.四拍手
3.祈念:「幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)、守給(まもりたまえ)、幸給(さきみたまえ)」と唱える
4.二礼

作法が異なる理由については分かりませんでした。ただ、祈念の詞は大神神社の鎮魂詞と一致します。

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:出雲大社松山分祠 [愛媛県]

出雲大社松山分祠の鳥居です。

本殿

人文研究見聞録:出雲大社松山分祠 [愛媛県]

出雲大社松山分祠の本殿です。

大国主大神(オオクニヌシ)を祀っており、軒下には巨大な大注連縄が張られています。

七福神の石碑

人文研究見聞録:出雲大社松山分祠 [愛媛県]

出雲大社松山分祠の七福神の石碑です。

祭神の大国主大神が七福神の大黒天と習合されることから、伊予七福神まいりの「大黒天」とされています。

さざれ石

人文研究見聞録:出雲大社松山分祠 [愛媛県]

出雲大社松山分祠のさざれ石です。

料金: 無料
住所: 愛媛県松山市本町三丁目5-5(マップ
営業: 終日開放(社務所9:00~17:00)
交通: 本町4丁目駅(徒歩2分)

公式サイト: http://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/

スポンサーリンク


0 件のコメント :

コメントを投稿