人文研究見聞録:大年神・大歳神(オオトシノカミ)とは?(まとめ)

大年神(オオトシノカミ)とは、豊穣を司る神道の神とされ、正月に各家にやってくる来方神として知られています。しかし、『記紀神話』には系譜のみが記されることに止まり、その性格についてはに包まれています。

ですが、全国各地の神社にも祀られており、日本で最も知名度の高い「お稲荷さん」の兄神としても知られています。また、最近では大和建国の神とされる「饒速日(ニギハヤヒ)」と同神であるという説もあり、密かに人気を集めている神でもあります。

今回は、そんな謎に包まれた「大年神(大歳神)」の正体について迫ってみたいと思います。

【目 次】


オオトシノカミの概要

神名


オオトシノカミの神名は以下の通りです(神道の神としての神名)。

・大歳神(オオトシ、オオドシ):神社の祭神名として用いられる
・大年神(オオトシ、オオドシ):『古事記』『先代旧事本紀』で記される神名
・大歳明神(オオトシミョウジン):大歳神社(和歌山県)で用いられる祭神名
・大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト):同神とされるが、母・神大市比売命を指すという場合もある
・大歳御祖皇大神(オオトシミオヤスメラオオカミ):別雷神社(静岡県)で古くに祀られていたとされる


大年神の意義


大年神には、いくつかの意義があるとされています。

来方神


・毎年正月に各家にやってくる来方神とされ、正月には大歳神を祀る風習が全国的にある
 → 別名に、お歳徳(とんど)さん・正月様・恵方神・大年神(大歳神)・年殿・トシドン・年爺さん・若年さんなど
・初日の出の拝むのは、年神(歳神)が降臨すると信じられていたためと云われる
・門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であるとされる
 → 正月には各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた
・鹿児島県薩摩川内市の下甑島に伝わる年神は「トシドン」と呼ばれる
・陰陽家では娑謁羅竜王の娘・頗梨采女(はりさいじょ)のことを年神という
・来訪神とされる場合、子の御年神(ミトシカミ)も「年神」と呼ばれることから、混同されることが多い


穀物神


・「年」は稲の実りのことで、穀物神であるとされる
本居宣長(『古事記伝』の著者)は以下のように定義し、穀物、農耕神であるとしている
 → 登志とは穀のことなり
 → 其は神の御霊以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り
 → 田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり
・信仰の根底にあるのは穀物の死と再生であるとされ、それが年神を祀る正月の中心行事となったとも


豊穣神


・兄弟神である稲荷神・宇迦之御魂神(ウカノミタマ)と共に豊穣神とされることもある
 → 『ホツマツタヱ』では「オオトシクラムスビ(大歳倉稲魂命)」という神が登場する
  ⇒ 水無神社(岐阜県)では、祭神の御歳大神の父・大歳神はスサノオの子で別名をウカノミタマというとされる
  ⇒ 一方、大年(大歳)には、完成・完了・成果・収穫や、大きな成果・豊作という意味があるとも
  ⇒ また、ヤマサ(八将軍)の第6に当たり、豊作を司るとされる


祖霊神


・地方によっては、年神は家を守ってくれる祖先の霊(祖霊)として祀られている
 → 農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたためとも
 → 田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたためとも
・民俗学者の柳田國男は、以下のように定義している
 → 一年の守護神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを習合した民間神が年神である


年徳神


・中世頃より、都市部で「年神(歳神)」は「年徳神(歳徳神)」と呼ばれるようになった
 → 「徳」は「得」に通じ、縁起が良いとされたためである
 → 方位学にも取り入れられ、歳徳神のいる方角は「恵方」と言って縁起の良い方角とされた
 → 暦には「女神」の姿をした歳徳神が描かれるが、神話の大年神は「男神」であることから「翁の姿」とも云われる
  ⇒ 元々民間信仰の神であり、その姿は様々に考えられていたということと解釈されている


神道神


・大年神(大歳神)は神道の神として、数々の神社で祀られている
 → 文献にスサノオとカムオオイチヒメの子として登場する(『古事記』、『先代旧事本紀』)


八王子


牛頭天王頗梨采女と間には8柱の子(八王子)がおり、その内の太歳神(たいさいしん)に当たるとされる
 → 牛頭天王はスサノオの本地(本来の姿)とされ、それに伴って八王子も誓約の五男三女神とされた
 → スサノオの八王子は八柱御子神として祀られることもある(八坂神社など)

八王子の変遷
牛頭天王と頗梨采女の八王子 五男三女神 八柱御子神
太歳神(木曜星・総光天王) 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(オシホミミ) 八島篠見神(ヤシマジヌミ)
大将軍(金曜星・魔王天王) 天之菩卑能命(アメノホヒ) 五十猛神(イタケル)
太陰神(土曜星・倶魔羅天王) 天津日子根命(アマツヒコネ) 大屋比売神(オオヤツヒメ)
歳刑神(水曜星・得達神天王) 活津日子根命(イクツヒコネ) 抓津比売神(ツマツヒメ)
歳破神(土曜星・良侍天王) 熊野久須毘命(クマノクスビ) 大年神(オオトシノカミ)
歳殺神(火曜星・侍神相天王) 多紀理毘売命(タキリビメ) 宇迦之御魂神(ウカノミタマ)
黄幡神(羅光星・宅神相天王) 市寸島比売命(イチキシマヒメ) 大屋毘古神(オオヤビコ)
豹尾神(計斗星・蛇毒気神天王) 多岐都比売命(タキツヒメ) 須勢理毘売命(スセリビメ)

牛頭天皇についてはこちらの記事を参照:【牛頭天王(ゴズテンノウ)とは?】


方位神


・陰陽道における8人の方位神の太歳神(たいさいしん)と同神とされる
 → 木星(歳星)の精とされ、1年の四季において万物の生成を司るとされる
 → 君主的な立場にあり、八方に影響力を持つとされる
  ⇒ 争いごと(訴訟や談判など)や葬儀・解体などは疫災にあうとされる
  ⇒ 貯蓄や家屋の建築や増改築、移転、商取引、結婚、就職などは大吉とされる
 → 木星の精であるため、樹木や草に関する性格を持つとされる
  ⇒ 太歳神の位置する方位に向かって、樹木や草木等を植えつけることなどは吉とされる
  ⇒ しかし、樹木の伐採や草刈りなどは凶とされる


オオトシノカミの系譜

『古事記』による系譜


父母


・父・須佐之男命(スサノオ)
・母・神大市比売(カムオオイチヒメ)

兄弟


・八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ):櫛名田比売の子
・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):神大市比売の子

妻子


・妃・伊怒比売(イノヒメ):神活須毘神(カミイクスビ)の娘
 ・大国御魂神(オオクニミタマノカミ)
 ・韓神(カラカミ)
 ・曽富理神(ソホリカミ)
 ・白日神(シラヒカミ)
 ・聖神(ヒジリカミ)

・妃・香用比売(カヨヒメ)
 ・大香山戸臣神(オオカグヤマトミカミ)
 ・御年神(ミトシカミ)

・妃・天知迦流美豆比売(アメチカルミズヒメ)
 ・奥津日子神(オキツヒコ):竈神
 ・奥津比売命(オキツヒメ):竈神、別名・大戸比売神(オオヘヒメ)
 ・大山咋神(オオヤマクイノカミ):別名・山末之大主神(ヤマスエノオオヌシカミ)、日吉大社・松尾大社に鎮座
 ・庭津日神(ニワツヒコカミ)
 ・阿須波神(アスハカミ)
 ・波比岐神(ハヒキカミ)
 ・香山戸臣神(カグヤマトミカミ)
 ・羽山戸神(ハヤマトカミ)
 ・庭高津日神(ニワタカツヒコカミ)
 ・大土神(オオツチカミ):別名・土之御祖神(ツチノミオヤカミ)


『先代旧事本紀』による系譜


父母


・父・素戔烏尊(スサノオ):三貴子の一柱
・母・神大市姫(カムオオイチヒメ):大山祇神(オオヤマツミ)の子

兄弟


・五十猛神(イタケル):母は不詳、紀伊国に鎮座、別名・大屋彦神(オオヤヒコ)
・大屋姫神(オオヤヒメ):五十猛神の妹、紀伊国に鎮座
・抓津姫神(ツマツヒメ):五十猛神の妹、紀伊国に鎮座
・事八十神(コトヤソノカミ):母は不詳
・大己貴神(オオナムチ):奇稲田姫の子、倭国城上郡の大三輪神社に鎮座する大三輪明神
・須勢理姫神(スセリヒメ):母は不詳、大三輪大神の嫡后
・稲倉魂神(イネクラノミタマノカミ):神大市姫の子、別名・宇迦能御玉神(ウガノミタマノカミ)
・葛木一言主神(カズラキノヒトコトヌシ):母は不詳、倭国葛木上郡に鎮座

妻子


・妃・伊怒姫(イヌヒメ):須沼比神(スヌマヒノカミ)の娘
 ・大国御魂神(オオクニミタマノカミ):大和(おおやまと)の神
 ・韓神(カラカミ)
 ・曽富理神(ソホリノカミ)
 ・白日神(シラヒノカミ)
 ・聖神(ヒジリノカミ)

・妃・賀用姫(ガヨヒメ)
 ・大香山戸神(オオカヤマトノカミ)
 ・御年神(ミトシノカミ)

・妃・天知迦流美豆姫(アマノチカルミヅヒメ)
 ・奥津彦神(オキツヒコノカミ):竈の神
 ・奥津姫神(オキツヒメノカミ):竈の神
 ・大山咋神(オオヤマクイノカミ):松尾大社に鎮座
 ・庭津日神(ニワツヒノカミ)
 ・阿須波神(アスハノカミ)
 ・波比岐神(ハヒキノカミ)
 ・香山戸神(カヤマトノカミ)
 ・羽山戸神(ハヤマトノカミ)
 ・庭高津日神(ニワタカツヒノカミ)
 ・大土神(オオツチノカミ):別名・土之御祖神(ツチノミオヤノカミ)


オオトシノカミの神話・伝承

佐美長神社の穂落伝承


垂仁天皇27年9月、倭姫命(ヤマトヒメ)一行が志摩国を巡幸中、一羽の鳥が昼夜問わずしきりに鳴いているところに遭遇した。倭姫命は「只事ではない」と言い、大幡主命と舎人紀麻良を遣わしてその鳥の様子を見に行かせた。

すると、そこには稲が豊かに実る水田があり、白真名鶴(しろまなづる)が稲を咥えて廻り、植えては鳴き、植えては鳴きを繰り返していた(「くわえて飛んできてその稲を落とした」とも)。

倭姫命は「物言わぬ鳥すら田を作り、天照大神(アマテラス)に奉る」と感激し、伊佐波登美神に命じて抜穂(ぬいぼ)に抜かせ、天照大神に奉った。

そして、その稲の生育していた田を「千田」(ちだ)と名付け、その傍らに神社を建立した。これが伊雑宮(いざわのみや)であり、稲を咥えていた白真名鶴を「大歳神(オオトシノカミ)」として祀ったのが佐美長神社である。


大歳神社の社伝


大歳神大歳神社(和歌山県紀の川市)の祭神であり、御父神の勅を奉じて筑紫の国より五穀を播き始め、全国限なく播種し終り、当地に鎮り給う、当地最古の神である。

創建は推古11年(602)、当地で紀男麻呂宿禰が調月と名乗って八幡堂に大歳明神を祀ったことに始まる。

現在の主祭神の大市姫命は素盞鳴命の御子であり、兄に大国主命、弟に五十猛命の妹神、次に宇迦之御魂神が居ると『古事記』に書いてある(『古事記』に記載があるとされるが、『古事記』に五十猛と妹神の三柱は登場しないため、この記載には疑問がある)。

また、大歳神とは大市比売神の別名で、天照大神より賜った名と伝えられ、「大は称名、年は田寄にて、穀を取収る事なり、大歳は五穀の事に大なる功座の神様である」とされることから、五穀豊穣を司る神である。

大市姫命は『延喜式神名帳』に伊勢国安農郡にある大市神社と同神と記され、これ故に大歳神を負えるなり

参考資料:和歌山県神社庁(大歳神社)


オオトシノカミの諸説

ニギハヤヒ説


人文研究見聞録:大年神・大歳神(オオトシノカミ)とは?(まとめ)

『古代日本正史』の著者として知られる原田常治氏によって「スサノオの子の大歳神(大歳尊)は饒速日(ニギハヤヒ)と同神である」という説が唱えられ、それによれば「真の天照大神はニギハヤヒであり大神神社に祀られる大物主である。倭迹迹日百襲姫は『日本書紀』で大物主の妻とされ、日向の女王が向津姫ということから、これらの女性が女神・天照大神のモデルとなったのであろう」とされています。

また、この説を基軸に「大歳は饒速日の若い頃の名である」として、「大歳尊(饒速日)は、ヤマト王権以前に統一王朝を築いていた大和建国の祖である」とする諸説が唱えられています。

一方、自称第73世武内宿禰の竹内睦泰氏も『正統竹内文書(竹内神道の口伝)』によれば、素戔嗚尊の四男に当たる大歳神饒速日であり、正式名称を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」というとされ、出雲から大和へ侵攻して当時の首長であった長髄彦(ナガスネヒコ)を下して三輪山に鎮座したと主張しています。

参考資料:大和建国の覇王大歳(改名:饒速日)尊と重臣たち(PDF)
詳しくは饒速日尊についてのまとめもご覧ください:【饒速日(ニギハヤヒ)とは?】


龍蛇神説


人文研究見聞録:大年神・大歳神(オオトシノカミ)とは?(まとめ)

三輪山の神」は蛇体であるとされますが、『正統竹内文書』では龍体であるとされています。

大和地方および饒速日を祀る神社では「白龍大神」が祀られていることが多く、上記の説には なかなか説得力があります。

また、上記の「ニギハヤヒ説」を以ってすれば、大歳尊龍蛇神であるとも言えます。

なお、これについては下記の「海を照らしてやってきた神説」にて詳しく記載しています。


鬼神説


人文研究見聞録:大年神・大歳神(オオトシノカミ)とは?(まとめ)

『記紀』において素戔嗚尊(スサノオ)は出雲の祖神とされています。

そのスサノオ所縁の出雲との境にある石見の大田市には「鬼村」と呼ばれる村があり、古くは「鬼神(おにかみ)」と呼ばれる神を祀っていたとされています。その村の起こりとなる場所に「大年神社」が鎮座していることから、鬼神も大年神と同神であるという説が唱えられています。

なお、スサノオは出雲よりも先に石見(大田市五十猛)に鎮座したという地域伝承があり、これは『日本書紀』の異伝『先代旧事本紀』にも記されています。よって、スサノオの子とされる大年神も石見に縁のある神であるとも考えられます。

また、石見国一宮である物部神社では、「」と書かれた的を弓矢で射る「奉射祭(ぶしゃさい)」という神事を「大歳(おおどし)」と呼ぶとされ、これは物部氏と大年神を結び付ける神事なのではないかとする指摘もあります。

こうしたことなどから「大年神はスサノオの子であり、石見から始まった」とする説も唱えられています。

参考資料:スサノヲは鬼だった


天火明命説


人文研究見聞録:大年神・大歳神(オオトシノカミ)とは?(まとめ)

上記の「ニギハヤヒ説」にある「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」という神名は、丹後の元伊勢籠神社の主祭神である「彦火明命」と同神であるという説があります。これは神社の公式サイトでも紹介されています。

なお、これと大歳神を結び付ける説の由縁の一つに「元出雲」というキーワードが挙げられます。『正統竹内文書』における「ニギハヤヒ説」では大歳神(饒速日)は出雲から大和へ侵攻したとされます。

一見すると、島根県の出雲から行ったとも考えられますが、京都府亀岡市にある丹波國一之宮の出雲大神宮は別称として「元出雲」とも呼ばれるとされます。これは『丹波国風土記』にある「和同年中(708~715)に、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり」とあることに由来するとされています(しかし、徒然草には「丹波に出雲といふ所あり、大社をうつしてめでたくつくれり」とあることから、出雲大社から勧請して出雲大神宮を創建したという説もあります)。

また、これとは別に籠神社が「元伊勢」であり「元出雲」であるという説もあり、これによって「大歳神=彦火明命=饒速日」となると云われています(この説の詳細については情報不足のため、分かり次第追記したいと思います)。


海を照らしてやってきた神説


人文研究見聞録:大年神・大歳神(オオトシノカミ)とは?(まとめ)

『古事記』における「国造り神話」では、スクナヒコナが去った後、オオクニヌシの前に「海を照らしてやってくる神」が現れて「私を丁寧に祀れば、私はあなたと共に国を作ろう。だが、もし祀らなければ国造りは上手くいかないだろう」と言い、オオクニヌシに「倭の青垣の東の山(三輪山)」に祀らせることで、国が無事に治まったと記されています。

その直後に「大年神の系譜」が記されており、まるで説話の脈絡が支離滅裂になっているかのように見えます。なお、『古事記』で系譜が詳細に記される神は限られており、それなりに重要な神であると考えられますが、『古事記』における「大年神」は具体的な説話を全く残していません

なお、『日本書紀』『先代旧事本紀』にも同様の説話が記されますが、そこでも具体的な神名は名乗っておらず、『日本書紀』では「私はお前(オオクニヌシ)の幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)だ」と名乗り、『先代旧事本紀』では白装束に天のズイ槍を持ち、「私は貴方(オオクニヌシ)の幸魂(サキミタマ)・奇魂(クシミタマ)・術魂(ジュツミタマ)の神です」と名乗ったと記されています。

これらの神は後に「大三輪の大神」となったということが共通点として挙げられます。

これについて、上記の「ニギハヤヒ説」に基づく「海を照らしてやってきた神 = 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命説」を以下にまとめました。

「海を照らしてやってきた神 = 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」説



・スサノオの四男に当たる「大年神(オオドシ)」が「ニギハヤヒ」である
・「ニギハヤヒ」の正式名称は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」である
・オオドシのアマテラスは「海照(海を照らす)」と表記する
・オオドシは出雲から東遷し、大和を平定したため「国照(くにてらす)」と呼ばれる
・オオドシは、大和を治めていたナガスネヒコ(ヒノモトショウグンとも)を屈服させて従わせた
・三輪山の神は蛇体で現れるとされるが、実は龍体である(モデルとなったのが「千と千尋の神隠し」のハクである)

人文研究見聞録:大年神・大歳神(オオトシノカミ)とは?(まとめ)
ハク(ニギハヤミコハクヌシ)

上記のことを参考にすれば、『古事記』における以下の謎が解けます。
・国造りにおいて三輪山に鎮座した神が「海を照らしてやってきた神」とされること
・国造りの直後に「大年神」の系譜が記されていること
・この神が「大物主」とは表記されないこと


つまり、この説では「海を照らしてやってきた神 = 大年神 = 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)」ということになります。

そして、「大年神(饒速日)」は出雲から出て大和を治め、その後の子孫が「大物主」となって大和に君臨したとも考えられます。

大物主についてはこちらの記事を参照:【大物主(オオモノヌシ)とは?】

この説によって、「大歳神」「天火明命」「饒速日」における同一性に大体まとまりがつきます。ただし、大歳神には数々の要素が付随しているため、現在に至るまでに多くの神々と習合しているとも言えると思います。

よって、大歳神は「出雲をはじめ、大和の国家形成に貢献した神であろう」というのが現状の結論となりますね。

matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。