2015年12月27日日曜日

和歌とは?(和歌と言霊)

人文研究見聞録:和歌とは?(和歌と言霊)

和歌(わか)とは日本固有の短歌型式の古典詩であり、『記紀』によれば神代から既に詠まれていたとされています。

そして、7世紀後半~8世紀後半には『万葉集』として編纂され、様々な人々が詠んだ歌が4500首以上も残されています。

そんな古くからの日本文化である「和歌」についてまとめてみたいと思います。



概要

人文研究見聞録:和歌とは?(和歌と言霊)

和歌の概要について解説します。

目的・意義

和歌の歴史は古く、その起源は神代にまで遡るとされています。そのため、『記紀』には神々によって詠まれた多数の和歌が登場し、その最初は スサノオが詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻蘢みに 八重垣作る その八重垣を」とされるため、スサノオは文化英雄としても知られています。

また、和歌の元々の目的は「言霊(ことだま)を用いた呪術」とされ、「国ほめ」という叙景歌を以って地霊の力を借りたり鎮めたりするものや、「魂振(たまふり)」の発動を司る祓詞などがあり、神道における「祝詞」は和歌に通じるものとされています(和歌を祝詞のように扱う場合もある)。

なお、古代の人々の間では その時々の表現方法として用いられ、『万葉集』をはじめとする和歌集には、恋愛・祝賀・日記・旅行記などを表現した数多くの和歌が載せられています。そして、天武・持統天皇の頃より「宮廷歌人」という職業も発生したとされ、その代表的な歌人として柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)が知られています。

こうした流れで飛鳥後期から宮廷で盛んに和歌が詠まれるようになり、平安期には上流階層の教養とされて、その技能が出世にも影響するようになったとされています。その後、鎌倉時代に入って武家政権が成立すると、実権を失った貴族たちの心の拠り所として最盛を迎えたそうです。

宮廷歌人という官職はないとされるが、朝廷に仕えた歌人が何らかの官位を得ていた例は多い


形式(歌体)

和歌の形式には以下の様なものがあります。

非定型歌体

形式にこだわりのない、原初のもの

・不定型詩(記紀歌謡など):『記紀』に登場する和歌には不定型なものが多い

半定型歌体

一定の規格はあるが、長さに決まりがないもの

・真歌(まうた):「五」と「七」の自由な組み合わせのもの(順序も回数も自由)
・長歌(ちょうか):「五七」が好きなだけ繰り返され、最後は片歌と同じ五七七で終わるもの(ヲシテ文献の記法)

規格歌体

一定の規格に則ったもの

・短歌(たんか):「五七五七七」に定型化されたもの(最もポピュラーなもの)
・片歌(へんか):「五七七」で短歌よりも短いもの(歌体の基本形とも)
・中歌(なかうた):「五七五七五七七」で、長歌の中でも最も短いものを指す(ウエツフミに多いとされる)

変格歌体

五七のリズムを単純に並べるのではなく、いろいろなリズムを楽しむ中から定型化したもの

・旋頭歌(せどうか):「五七七五七七」で、頭句(第一句)を再び旋らすことから この名で呼ばれる
・仏足石歌(ぶっそくせきか):「五七五七七七」で、主に薬師寺の仏足跡歌碑に刻まれた21首の歌を指す


和歌集

国内で編纂された和歌集には以下の様なものがあります(一部を記載)。

・『万葉集(まんようしゅう)』:7世紀後半~8世紀後半頃にかけて編纂された現存する日本最古の和歌集
 → 全20巻。長歌、短歌、旋頭歌などの4536首の歌を収める
・『古今和歌集(こきんわかしゅう)』:平安前期に編纂された勅撰和歌集(勅命によって編纂されたもの)
 → 全20巻。醍醐天皇の勅命によって編纂され、六歌仙・撰者らの歌 1111首を載せる
・『古今和歌六帖(こきんわかろくじょう)』:平安時代に編纂された私撰和歌集(独自に編纂されたもの)
 → 全6帖。『万葉集』『古今集』『後撰集』などの歌約4500首を分類したもの(撰者には諸説ある)
・『新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)』:鎌倉初期に編纂された勅撰和歌集
 → 全20巻。後鳥羽上皇の命によって編纂され、約1980首を収める
・『新撰和歌六帖(しんせんわかろくぢょう)』:鎌倉中期の私撰和歌集
 → 全6帖。寛元2年(1243年)頃に藤原家良によって編纂され、2635首を収める
・『夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)』:鎌倉後期の私撰和歌集
 → 全36巻。延慶3年 (1310年) 頃に藤原長清によって編纂され、約17350首を収める
・『新続古今和歌集(しんしょくこきんわかしゅう)』:室町時代に編纂された勅撰和歌集
 → 全20巻。後花園天皇の勅によって編纂され、2144首を収める


『万葉集』における代表的な歌人

『万葉集』の代表的な歌人は以下の通りです。

・額田王(ぬかたのおおきみ):『万葉集』初期の女流歌人であり、大海人皇子に嫁いだ後、天智天皇に仕えたとされる
・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ):持統・文武朝の宮廷歌人であり、その優秀さから後に「歌聖」と仰がれた
・山部赤人(やまべのあかひと):奈良時代の万葉歌人であり、柿本人麻呂と並んで後に「歌聖」と仰がれた
・山上憶良(やまのうえのおくら):奈良時代の万葉歌人であり、思想性・社会性を持つ歌を詠んだ
・大伴旅人(おおとものたびと):奈良時代の政治家・歌人であり、歌風は大陸的風雅心・老荘的自由思想であった
・高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ):奈良時代の万葉歌人であり、伝説に取材した歌を詠んだ
・大伴家持(おおとものやかもち):奈良時代の政治家・歌人であり、『万葉集』全体の1割を占める数多くの歌を残した


歴史

人文研究見聞録:和歌とは?(和歌と言霊)

和歌の歴史について解説します。

神代

和歌の成立は古く、『記紀』には神代より神々や古代の天皇が詠んだとされる和歌が多数載せられています。

また、和歌が成立する以前から祭や労働の際に集団で歌われるようになった「歌謡」があったとされ、それらは「言霊を用いた呪術」に基づくものの、短歌の様な定型に捉われない不定型詩だったとされています。

そして、それが次第に発展して、定型を持つ和歌になったと考えられているようです。なお、『記紀』において最初の和歌とされるスサノオの「八雲立つ 出雲八重垣 妻蘢みに 八重垣作る その八重垣を」も五七調の短歌となっています。

また、古代より「歌垣(うたがき)」という男女が集まって求愛の歌謡を掛け合う習俗もあったとされ、『古事記』には神武天皇がイスケヨリヒメ(後の皇后)と出会った際、大久米命が和歌で問いかけて仲を取り持ったという様子も記されています。


古代

古代の日本では、統一国家になっていく過程で大陸から漢詩が入ってきた影響もあり、個人の気持ちを個々に表現する歌が盛んに作られるようになったとされています。そして、飛鳥時代の天武・持統朝の頃には「宮廷歌人」という職業も成立したと考えられています。

なお、天武天皇は皇親政治(天皇と皇親を主体とする政治体制)を敷いたことで知られていますが、これに伴って天皇を神格化するために、歌人に和歌を詠ませていたとも云われています(柿本人麻呂は天皇を讃える歌を数多く詠んでいる)。

また、和歌は7世紀に急速に発展したとされ、この時代に各種の歌体、五七調、枕詞、序詞などの様々な形式や技法が出揃ったと云われています。そして、奈良時代以降も宮廷にて盛んに詠まれるようになり、それらを大成したのが『万葉集』とされています。

その後、平安前期に『古今和歌集』が成立すると、日本独自の文化として和歌の概念が確立し、漢文化に対する日本文化という定式が意識されていったとされます。そのため、「和歌には漢語は使用しない」というルールができたそうです。

また、平安時代における和歌は上流階層の教養となり、村上天皇の時代には「和歌所(わかどころ)」という勅撰和歌集の撰述などを行う役所も設けられたとされています。そして、「歌合(うたあわせ)」という歌人を左右二組に分けて詠歌の優劣を決める文芸批評の会も開かれるようになり、そこで貴族の出世や零落も決定したとも云われています。


中世

鎌倉時代に入ると、和歌は武家に政権を奪われた貴族たちの心の拠り所となったとされています。そのため、和歌は貴族の間で盛んに詠まれるようになり、歌合や歌会も数多く開かれたそうです。

そして、政権を担う鎌倉への対抗意識から、当時の貴族の芸術至上主義は最高潮を迎え、和歌の技巧は極致に達したとされています。また、この時代には和歌に非常な熱意を示した後鳥羽院の命によって『新古今和歌集』も編纂されています。

しかし、室町時代に入ってからは貴族の力が衰えるにつれて和歌も衰退し、上流階級の教養の主流は、連歌や新興の文学などに移り変わっていったとされています。


近世~近代

近世初期には伝統的な歌学が集大成され、多くの歌人が生まれたとされますが、既に「歌道」として完成された芸術になっていたため、新しい歌風は生まれなかったそうです。ですが、近世後期になると京都から新しい和歌の動きが起こり、桂園派という和歌の流派が登場したとされます。

そして、明治時代の文明開化に伴って、伝統的な文化人に対して和歌改革を志す人々が現れ、新時代に相応しい新たな歌風が生まれたそうです。なお、明治時代に生まれた短歌は「近代短歌」と呼ばれ、大東亜戦争後に生まれた短歌は「現代短歌」と呼ばれています。


言霊との関係

人文研究見聞録:和歌とは?(和歌と言霊)
カラビ・ヤウ多様体(超弦モデル)

和歌の起源とされる「言霊」について解説します。

言霊とは?

言霊(ことだま)とは、日本において古来より信じられてきた「言葉に宿る霊的な力」を指します。また、清音で「コトタマ」と表現する場合は、森羅万象がそれによって成り立っている五十音のコトタマの法則を指すとされています。

また、「言(ことば)の霊(みたま)」「事(こと)の魂(たま)」とも表現されることから、「」と「」は同一の概念であり、「声に出した言葉が現実の事象に影響を与える」と考えられていたようです。そのため、「良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こる」とも云われています。

こうした「言霊」の観念は『記紀神話』にも登場しており、「葦原中国平定」において「葦原中国には蠅のようにうるさい邪神がおり、草や木のすべてが言葉を話していた」という表現が為され、それによって世が乱れていたとされています。これについては「言葉が現実に影響を与えるため、世が乱れていた」という解釈もあります。

また、日本では神代から争いが起こった際には「まず、言葉で説いて敵を従わせる」という方法が用いられており、『記紀』においては「言向け和す(ことむけやわす)」と表現されています。加えて「誓約(うけい)」という「そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる」といった宣言の後に行動を起こすといった手法も存在し、重要な場面で用いられる様子が多数見られます。

また、和歌はそもそも「言霊を用いた呪術」であったとされ、『万葉集』に載る和歌の一部には、日本を「言霊の幸ふ国(ことだまのさきわうくに)」と称して「言魂の力によって幸せがもたらされる国」と表現したものもあります(山上憶良 894、柿本人麻呂 3254)。

こうしたことから、古くから日本国と「言霊」は密接な関係にあり、時代が遡るほど重要視されてきた観念であったと言えると思います。なお、言霊に類似した観念は世界中にあり、密教における「真言(マントラ)」や、ギリシャ哲学における「プネウマ」などがこれに当たると思われます。


日本における言霊の活用

日本では言霊の観念に基づいて、今でもそれを活用する儀式や手法が存在します。

その代表的なものは神道における「祝詞(のりと)」であり、神社では祝詞を読み上げて儀式を行う様子が今でも見られます。なお、神道において祝詞の誤読は御法度とされているため、読み間違えが無いように厳重に注意されているそうです。

また、仏教における「経文」や「真言」もこれに当たると考えられます。なお、仏尊によって効験が異なることから、それぞれに対応した真言があり、これを唱えることで発願を仏尊に直接働きかけることができるとされているそうです。

そのほか、宗教に関わらない言霊の活用法もあるとされ、例えば、猟師が山中で狩りをする際に「クマ」と発すると熊が出ることから「クロゲ」と呼び、「ヘビ」と発すると蛇が出ることから「ナガムシ」と呼び、「オオカミ」と発すると狼が出ることから「ヤセ」と呼んだとされています。

また、古くからある諺(ことわざ)に「嘘から出たまこと」や「口は災いの元」というものがあります。これらは個人的に言霊の観念に通じる諺であると思っています。そのため、昔の人々は言霊の観念を諺に乗せて現在に伝えてきたのかもしれません。


言霊と科学

言霊の観念には、現代科学の理論にも精通する部分がいくつかあります。

例えば、現代物理学における物質の最小単位を考える仮説に「超弦理論」というものがあり、それによれば原子よりもさらに小さい単位で物質の根源を追っていくと「あらゆる物質の構成要素は単一であり、それは振動するエネルギーの弦である」といったものになっています。つまり、「弦が奏でるエネルギーが物理現象として現れている」ということです。

また、音が物質に影響を与えるという観念は古くからあり、聖書においては角笛を吹いて壊したとする「エリコの壁」が登場しています。加えて、音波が物理的に影響するという現象は実際に証明されており、世界には声でグラスを割ることができる人間も何人か存在します。ちなみに、探偵ナイトスクープ(2013.01.25放送)にはそれができる男性が登場し、実際に声でグラスを割っています。

これらの科学的な概念は、古来より存在する言霊の観念と類似するため、同一の理論を説いているとも考えられます。現代では言霊を知る人は少ないですが、科学の発展と共に古代の人々が説いた言霊の原理が紐解かれる日が来るのかもしません。

・参考サイト:エレガントな宇宙「超ひも理論」(Youtube)探偵ナイトスクープ「声でグラスを割る男」(Youtube)


ホツマツタヱによる解説

人文研究見聞録:和歌とは?(和歌と言霊)
ヲシテ

古史古伝『ホツマツタヱ』における「言霊」や「和歌」について解説します。

ホツマツタヱとは?

日本には古史古伝と呼ばれる文献がいくつか存在し、その中に『秀真伝(ホツマツタヱ)』というものがあります。

この文献は神代文字のひとつとされる「ヲシテ」を使って五七調の長歌体で記されており、その内容は『記紀』をさらに詳しく記し、かつ、言霊(アワウタ)をはじめ、和歌(ワカ)占い(フトマニ)の観念についても詳しく説明されています。

しかし、この文献の内容は『記紀』と異なる点が多く、さらに出所が不確かなため、学術的には偽書に位置付けられています。

ですが、神社伝承が一致する点などから正しいと内容であるとする意見もあり、最近では評価が見直されて個人や専門家によって検証が進められているようです。

・参考サイト:ホツマツタヱ(Wikipedia)ホツマツタヱ・ミカサフミ 現代語訳


ホツマツタヱにおける言霊の説明

『記紀』において国産み・神産みの神として知られるイザナギ・イザナミは、『ホツマツタヱ』では「陽陰歌(アワウタ)」を以って国産みをしたとされています。

なお、この「陽陰歌(アワウタ)」が誕生した経緯として、天神6代のオモタル・カシコネは世継ぎに恵まれず、両神の死後に皇位を継ぐ神が居なかったため、しばらく間が空いて国民の言葉が訛って通じなくなり、それによって国が荒廃したとされています。

そのため、天神7代を継承したイザナギ・イザナミは、歌によって民の言葉を直すべく「陽陰歌(アワウタ)」という天地のエネルギーを持つ48音(天の歌 24音、地の歌 24音)を定めたとされています。

この48音ヲシテを構成する音であり、音のそれぞれに宿るとされる24種の陽エネルギー24種の陰エネルギーを組み合わすことで森羅万象が生み出されるとされています。

これについて、解説サイトでは「『言葉とは万物の源』であり『創造とは言葉を発すること』である」ということを指すと解釈されています(創造=想像、言の葉=事の端/発とも)。

また、この観念は聖書における「始めに言葉ありき(ヨハネ福音書1章)」にも通じており、かつ、現代物理学の根幹をなす量子力学にも通じると考えられることから、これは日本固有の観念ではなく、万国に共通する観念であると言えると思われます。

・参考サイト:ほつまつたゑ 解読ガイド(アワウタ)ホツマツタエ(アワのうた)

量子力学の成立には波動力学が含まれており、かつ、特殊相対性理論を適応した相対論的量子力学も存在する


ホツマツタヱにおける和歌の説明

『ホツマツタヱ』では、『記紀』において生まれて早々に捨てられた「ヒルコ」はカナサキ(住吉神)に拾われて我が子同様に育てられ、和歌(アワウタ)を覚えて再び両親の元に戻り、アマテル(天照神)の妹としてワカヒルメと改名したとされています。そして、その間にハナキネ(後のスサノオ)が生まれ、熊野で成長したとされています。

『ホツマツタヱ』では、序盤にハナキネが姉のワカヒルメに対して歌のことを尋ねる場面があり、そこで和歌のメカニズムについて詳しく説明されています。その内容は以下の通りです。

原文 漢字読み下し

ハナキネは 五・七に綴るを 姉に問ふ 姉の答えは 陰陽(アワ)の節

また問ふ「祓ひ 三十二(ミソフ)なり」「今 三十一(ミソヒ)とは この教え 天の回りの 三六十五回(ミムソイエ) 四つ・三つ 分けて 三十一なり 月は遅れて 三十足らず(29.5日) まこと三十一ぞ 然れども 後前 かかり 三十二日も 粗る間窺ふ 汚穢モノを 祓ふは歌の 声余 直州(シキシマ)の上に 人生まれ 三十一日に活す 穢は禊ふ 歌の数以て 曲に応ふ これ直州の 沸(ワカ)の道かな」

・参考サイト:ほつまつたゑ 解読ガイド

原文 現代語訳

ハナキネ(ソサノヲ)が、ワカウタ(5・7・5・7・7で綴られる31音の歌)が五七調で綴られる理由を姉のワカヒメ(ヒルコ)に問うと、ワカヒメは「それはアワノフシ(陽と陰の分かれ目、節目)だからです」と答えた。

そこで、ハナキネが「なぜ祓いの歌は32音(ミソフ)なのですか?」を問うと、ワカヒメは このように説明した。

「今の日の巡りは31日です。これは、一年365日を4期に分け、さらに1期を3つに分けた31日を指します。(365÷4÷3=30.4167≒31日)しかし、月の巡りはやや遅れて30日足らず、ですが真は31日です。(月の満ち欠けは29.5日)

このようなズレから、月日が交差して32日になることもあります。このズレの隙間にはオヱ(穢れたもの)が生じます。祓いの歌が32音なのは、このオヱモノに対応するためなのです。

シキシマ(調和の区画)の上に生まれた人は、生後31日で活性します。ミソフ(32音)の数は、曲(曲がる=穢れ)に対応しています。これがシキシマノワカノミチ(繁栄の道)なのです。」

・参考サイト:ホツマツタヱ1文 東西の名と蝕虫去る文

解説

和歌の「短歌」は五七五七七で「計31文字」、「祓いの歌」は敢えて「計32文字」にする。これは和歌が「陽陰の節(天地の巡り)」に対応するためである。

陽陰の節」とは地球の公転周期に対応する暦を指し、地球の公転日数である365日を四季に分け、さらに上旬・中旬・下旬に分けるとひと月の日数が約31日になる(365÷4÷3=30.41≒31)。短歌の31文字はこれに対応している。

一方、月の満ち欠けは約30日(29.5日)だが、ひと月の日数が約31日であるため、ひと月の日数を調整しなけらばならない。しかし、変則的な暦にすると隙間が空いて、そこに魔(間)が生じる。この間を埋めるために敢えて文字数を増やす

つまり、「和歌は暦に対応しており、暦に応じて生じる魔を祓う呪い(まじない)」であると言える。ちなみに、これは神道の思想にも通じているため、現在でも年5回の節句には神社で祓いの儀式が行われる。


備考

人文研究見聞録:和歌とは?(和歌と言霊)
和歌三神

和歌の関連知識を紹介します。

和歌三神

日本には和歌の神と称される「和歌三神」が存在します(諸説あります)。

【主要な説】

・住吉明神(すみよしみょうじん):和歌を以って託宣したとする記録や伝承が多数あることから
・玉津島明神(たまつしまみょうじん):玉津島神社の祭神で、稚日女尊・息長足姫尊・衣通姫尊を指す
・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ):歌聖と称されるほど優れた歌人であったことから

【その他の説】

・衣通姫尊(そとおりひめのみこと):允恭天皇の后で和歌の名手だったとされることから
・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ):歌聖と称されるほど優れた歌人であったことから
・山部赤人(やまべのあかひと):万葉集に長歌・短歌50首を残した奈良前期の歌人で、三十六歌仙の一人


古今伝授

和歌の世界には、その読み方や解釈を秘伝として伝えていくというものがあります。

それは古今伝授(こきんでんじゅ)と呼ばれるもので、『古今和歌集』の解釈を中心に歌学や関連分野などの様々な知識を、口伝・切紙・抄物によって師から弟子へ伝授していったとされています。

なお、その内容は 和歌の暗号的な解釈や、和歌によって指示される場所などとされているようです(秘伝とされているからか、具体的な解説は見つかりませんでした)。

・参考サイト:古今伝授(Wikipedia)


考察

人文研究見聞録:和歌とは?(和歌と言霊)
天武天皇

和歌に関する考察を記載しておきます。

和歌と言霊

今までの説明の通り、和歌は古くから存在し、その起源は「言霊を用いた呪術」であったとされています。また、音楽も人間の生活にとって重要な意味を持ち、そのリズムやメロディーが人間の心身に影響することは科学的にも明らかになっています。

和歌が急速に発展したとされる7世紀は、海外から様々な文化や思想および学問が入ってきた時代であり、それに伴って日本の神道に仏教や道教などの知識が流入し、修験道陰陽道などが生まれたとされています。また、和歌は神代より存在したとされることから、古くは古神道における呪術の一つとして用いられたと考えられます。

なお、宮廷歌人の始まりは第40代天武天皇からと考えられていますが、天皇は「壬申の乱」で勝利した後、仏教の影響で当時下火となっていた神道を再興し、古代における「国家神道」と「国家仏教」を形成したとされ、さらに「道教」にも通じていたとされることから、陰陽寮を設置して陰陽師を官職としたとされています。

そして、歌人に和歌を詠ませて皇親の神格化を図ったとも云われ、柿本人麻呂に代表される万葉和歌には天皇を讃える歌がいくつも残されています。なお、この時代の歌風である「万葉風」の特徴には「歌を呪術とする意識が残り、対象に働きかける積極的な勢い」というものが挙げられています。

そのため、神道・仏教・道教に通じていた天武天皇は、和歌に含まれる呪術的なメカニズムを知っており、それを利用するために宮廷で歌人に和歌を詠ませていたのかもしれません。

また、現代は科学の進歩から「物体を形成する最小の要素は、弦が奏でる音(周波数)ではないか」という仮説(超弦理論)も存在します。個人的には これと言霊の観念に通じる部分があると考えているため、和歌を芸術文化としてだけでなく、サイエンスやオカルティックな側面から研究していくと、面白いことが分かるのではないでしょうか?

当時の陰陽師は占筮・式占・相地などの各種占いを担当する官職であり、平安期のような呪術は扱わなかったとされる


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