人文研究見聞録:安倍晴明の伝説(説教節『信太妻』による安倍晴明の物語)

陰陽師・安倍晴明の経歴は史実上不明点が多く、若かりし頃の経歴は主に伝説として語られています。

また、晴明の生誕から出仕について語った伝説は多数あり、その内容もそれぞれによって多少異なります。

そこで、今回は説教節『信太妻』による安倍晴明の物語を紹介したいと思います。

安倍晴明についてはこちらの記事を参照:【安倍晴明とは?】



説教節『信太妻』による安倍晴明の物語

道満と悪右衛門


平安時代の村上天皇の時代、陰陽道に優れた芦屋道満(あしやどうまん)という陰陽師がいた。道満は朝廷で重用され、「天下一の博士」と謳われて権勢を欲しいままにしていた。また、道満の弟の石川悪右衛門(いしかわあくうえもん)は兄の威勢で河内の守護に任ぜられていた。

あるとき、 悪右衛門の妻が重い病を患ってしまったため、それを道満に占ってもらうと「若い牝狐の生肝を取り、妻に与えれば快癒するだろう」という結果が出た。それを聞いた悪右衛門は さっそく家来達と狐狩りに出かけ、目当ての牝狐を見つけて それを追いかけていた。

保名と牝狐


そのとき、安倍野に住む安倍保名(あべのやすな)という者が 信太明神の月参に行く途中に偶然通りかかり、追われていた牝狐を哀れに思って逃がしてやった。そして、帰りに一息つこうと谷川へ下って行くと、谷底に落ちんばかりに蔦蔓(つたかずら)にしがみついている美しい女性が見つけ、手を差し伸べて女を引き上げてやった。

それが縁で二人は夫婦の契りを結び、やがて一人の子を儲けた。その子が後の陰陽師・安倍晴明であるが、保名の妻となった女性の正体は、実は保名が逃がしてやった牝狐なのであった。

牝狐が保名の妻となって ちょうど七年目の秋、庭先に美しく咲き乱れる菊に見惚れている内に仮の姿をすっかり忘れ、元の姿に戻ってしまったところを子の晴明に見られてしまった。牝狐はもはやこれまでと、置き手紙と「恋しくば、尋ね来て見よ、和泉なる、信太の森の、うらみ葛の葉」という歌を残して姿を消した。

母の形見


事情を知った保名は子の晴明を連れて信太の森を訪ね、妻(牝狐)を探し歩いて とうとう見つけ出した。そこで保名は、妻の正体が狐であっても構わないと牝狐を説得したが 妻はそれを断わった。

しかし、その代わりに自分の形見として、子の晴明に四寸四方の「黄金の箱」と「水晶の玉」を与えた。「黄金の箱」は竜宮世界の秘符であり、これを悟れば、天地日月、人間世界、あらゆることを手の内に知ることができ、「水晶の玉」は耳にあてると鳥獣の鳴く声を解することができるというものだった。

伯道上人


母の形見を得た晴明は、幼少より神童の名を欲しいままにしていたが、ある日、天文道の巻物に没頭していると、不可思議なことに、虚空に音楽が聞こえ、花が降り、紫雲がたなびいた。そこで周りを見渡すと、雲の中から獅子に乗った仙人のような老僧が現われ「ワシは大唐の城荊山に長らく住んでいる伯道上人である」と言った。

伯道上人は続けて「お前の家に伝わる『ほき内伝』は、お前の先祖の安倍仲丸(安倍仲麻呂)がワシの下で天文地理・妙術を窮め、それをまとめた巻物であるが、それだけでは不十分である。そこで、この『金烏玉兎』の巻物をお前にやろう。この二巻を窮めれば、悪病、災難はもちろん、限りある命といえども一度は必ず蘇生することができる。また、お前の母も本当は信太明神、つまり古の吉備大臣(吉備真備)なのである。昔の恩に報いるため、お前の母の伝え残した『秘符名玉』を少しも疑うことのないように」と晴明に言い聞かせた。

上京と出世


その後、晴明が『ほき内伝』と『金烏玉兎』を極めるために日夜研鑽に励んでいると、二羽の鳥が互いにさえずる姿を見つけた。そこで、母の形見の玉を出して鳥の会話を聞いてみると、都では天皇が病気になり、その原因が御殿の北東の柱の下で争ったまま生き埋めにされた蛇と蛙の怨念の仕業であるという。

そこで、晴明も占ってみると 鳥の会話と同じ結果が出たので、父の保名と共に上京し、道満でも治せなかった天皇の病気をいとも簡単に治してしまった。晴明はその功績を認められて位を賜り、陰陽頭にも任じられた。

父の暗殺と復活


一方 道満は晴明の出世を妬み、廷臣たちが見守る中、晴明に陰陽道の対決を挑んだが逆に敗けてしまった。面目丸つぶれの道満は激怒し、手下の浪人を使って晴明の父の保名を暗殺することにした。保名は浪人に不意を討たれ、無残にも四肢は切断され、散り散りになってしまった。

そこで、晴明は伯道上人から授かった「生活続名の法」を以って保名を蘇生させ、その口から暗殺の黒幕が芦屋道満であることを知らされた。晴明は 道満が参内しているところを抑えて、保名と共にその首を討ち取った。

その後、天文博士にまで昇格した晴明は陰陽師としての名声を極め、末代までその霊智を讃えられたという。

参考サイト:『信太妻』での晴明 - WAKWAK
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。