仏座巌 [兵庫県]
2017/04/26
兵庫県神戸市の有馬温泉地区にある仏座巌(ぶつざいわ)です。
江戸時代に日政によって命名された巨石であり、有馬温泉の名所の一つとして知られています。
概要
案内板によれば、寛文年間(1661~1672年)に日蓮宗の日政(にっせい、元政上人)によって命名された巨石であり、日政の有馬滞在記である『温泉遊草』では「岩の上に菜畠を作り、なお、数十人を容れる余地がある」と表現されるほど、かつては巨大であったとされますが、文化9年(1812年)の大洪水によって埋没したため、現在の姿となったとされています。
なお、案内板による解説は以下の通りです。
仏座巌
昔、「仏座巌」は、その形が仏座に似た巨石であり、寛文の時代(1660年代)に洛(京都)の東南・霞谷の竹葉庵に隠棲し、徳が高く博学の当代一流の詩人・文人である日蓮宗の高僧・元政上人が命名したとされる。
元政上人は、寛文5年秋と寛文7年発の二度 有馬を訪れ、その滞在記は『温泉遊草』中の「仏座巌記」では「その上に菜畠を作り、なお、数十人を容れる余地がある」と巨岩の様を表現している。
このように一代の大徳に命名され、賛美された「仏座巌」は、早々に有馬の名物となり、諸記に その名を残すこととなる。
"賤の女やつみたすからん仏座巌 上に菜まいたまいたまいた(「迎陽有馬名所鑑」重香)"
後の文化9年(1812年)6月25日、大洪水により埋没し、遂にその巨大な偉容は消え、現在の姿になったと言われる。
昔、「仏座巌」は、その形が仏座に似た巨石であり、寛文の時代(1660年代)に洛(京都)の東南・霞谷の竹葉庵に隠棲し、徳が高く博学の当代一流の詩人・文人である日蓮宗の高僧・元政上人が命名したとされる。
元政上人は、寛文5年秋と寛文7年発の二度 有馬を訪れ、その滞在記は『温泉遊草』中の「仏座巌記」では「その上に菜畠を作り、なお、数十人を容れる余地がある」と巨岩の様を表現している。
このように一代の大徳に命名され、賛美された「仏座巌」は、早々に有馬の名物となり、諸記に その名を残すこととなる。
"賤の女やつみたすからん仏座巌 上に菜まいたまいたまいた(「迎陽有馬名所鑑」重香)"
後の文化9年(1812年)6月25日、大洪水により埋没し、遂にその巨大な偉容は消え、現在の姿になったと言われる。
仏座巌の様子
現在の仏座巌は、巨石の一部が露出した形となっています。
付近の祠
仏座巌の傍には祠が設置されています。
仏座巌は場所が分かり辛いので、古泉閣泉源付近の この祠を目印にすると良いと思われます。
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿