奇祭・今宮神社のやすらい祭2015 [京都府]
2015/04/14
京都の今宮神社の奇祭「やすらい祭2015」に参加してきたので、その様子をレポートしたいと思います。
今宮神社とは?
今宮神社とは、京都市北区紫野に鎮座しており、京都市の北区・上京区において巨大な氏子区域を持ち、祭礼の規模が比較的大きことで知られている神社です。
祭神に大己貴命(オオナムチ)、事代主命(コトシロヌシ)、奇稲田姫命(クシナダヒメ)を祀っており、健康長寿・良縁開運の御神徳があるとされています。
なお、平安遷都以前より、この地には疫神スサノオを祀る社があったとされており、平安遷都後、しばしば疫病や災厄が起こったため、神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社などで疫病を鎮めるための儀礼である御霊会(ごりょうえ)が営まれました。
しかし、994年にも都で大規模な疫病がはびこったため、朝廷は神輿2基を造って船岡山に安置し、音楽奉納などを行なった後、疫災を人形に依り移らせて難波江に流したと云われています。
これが、後述する「やすらい祭」の起源とされているようです。
その後、1001年にも疫病が流行したことから、朝廷は疫神を船岡山から移し、疫神を祀った社に神殿・玉垣・神輿を造らせて今宮社と名付けたとされ、これが現在の今宮神社の起源であるといわれています。
詳しくはこちらの記事を参照 :【今宮神社(玉の輿神社)】
やすらい祭とは?
やすらい祭とは、毎年4月の第2日曜日に今宮神社で行われる大祭であり、鞍馬寺の鞍馬の火祭、広隆寺の太秦の牛祭とともに京都の三大奇祭の一つに数えられている奇祭として知られています。
その起源は、上記の通り御霊会(ごりょうえ)に端を発する農村部の祭礼であり、以下の様な言い伝えが残されています。
やすらい祭の言い伝え
- 祭の日が晴れれば、その年の京都の祭事はすべて晴れ、雨ならばすべて雨が降る
- 桜や椿などで飾られた花傘に入ると、一年間健やかに過ごせる
- 初めてこの祭りを迎える赤ん坊は、花傘に入ると、一生健やかに過ごせる
祭りの内容としては、桜や椿などで飾られた花傘を中心に、赤毛・黒毛の鬼たちをはじめとする行列が囃子に合わせて踊りながら、氏子区域を隈なく練り歩き、疫病を納めます。
花傘(入ると一年健やかに過ごせるとされる) |
また、祭り流れとしては、光念寺を出発し、氏子地域を練り歩いた後、今宮神社で無病息災を祈願し、また光念寺へ戻るという流れになっているようです。
なお、やすらい祭は、「夜須礼(やすらい)」、「鎮花祭」、「やすらい花」とも呼ばれ、「やすらい花」として国の重要無形民俗文化財に指定されている祭りなんだそうです。
やすらい祭の主なタイムスケジュールは以下の様になっています。
やすらい祭の主なタイムスケジュール
- 12:00 光念寺出発
- 15:00 今宮神社到着
- 15:30 今宮神社出発
- 17:00 光念寺到着
ちなみに、雨天は中止になることもあるようです。
やすらい祭の見どころ(参加レポート)
13:00ごろ、開始からやや遅れて神社に到着しました。
神社の境内には、多数の人が集まって入るものの、結構余裕のある感じがします。
なお、舞殿付近では「やすらい人形」の授与が行われていました。
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やすらい人形(ひとがた)
やすらい人形とは、鎮疫に現れる鬼の装束をかたどった人形のことであり、健康祈願の人形(ひとがた)として今宮神社で授与されています。
納め方としては、人形の中に名前などを記入して本殿へ納め、人形中央にある「蘇民将来之子孫也」の字が書かれた札は、厄除けの札として玄関の外側にお貼り付けます。その後、納められた人形は吉日にお祓いされ、お焚き上げされるようです。
なお、やすらい人形は御霊会に端を発する鎮疫の儀礼の一種であり、今宮神社では夏と大晦日の年二回、半年の罪穢れを人形に依らせて流す行事が行われてきたとされています。
また、「蘇民将来之子孫也」の字が書かれた札は、蘇民将来(そみんしょうらい)の説話に関わる護符であり、スサノオ(牛頭天王)と縁の深い寺社で頒布されていることが多いです。なお、この護符には厄除けの御利益があるとされています。
蘇民将来の説話についてはこちらを参照:【蘇民将来とは?】
また、舞殿では鈴でのお祓いが行われているようです。
しかし、大祭とは言えど境内に屋台は少なく、今宮神社の名物「あぶり餅」の店に客足が集中していました。
「あぶり餅」についてはこちらの記事を参照:【あぶり餅】
なお、祭りの行列が境内に到着するまでは、境内は特に盛り上がるようなことは無いみたいです。
ですので、祭りの行列を追って、周辺の氏子区域に足を運んでみました。
囃子の音を追って行列に追いつくと、赤毛・黒毛の鬼たちが、鉦(かね)や太鼓をたたいて踊りながら周辺を練り歩いているのが見えます。
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この行列は、氏子の各家を一軒一軒訪問しているようで、進行のペースは非常にゆっくりとしているようですね。
また、ギャラリーは非常に少なく、入れば一年間健やかに過ごせるといわれる花傘の中にも入り放題です。
ちなみに、囃(はや)したり踊ったりするのは、豊かな稲の実りを祈るとともに、花の精に煽られていたずらをして回る疫神を、踊りの中に巻き込んで鎮めるためといわれているそうです。
また、独特の囃子と「やすらい花や」の掛け声が心地よく、どことなく耳に残ります。
なお現在は、上野やすらい、玄武やすらい、川上やすらい、上賀茂やすらいの4つのやすらい踊保存会が存在しており、踊り方や囃子言葉はそれぞれの保存会により異なるんだそうです(どうやら活動エリアも異なるらしい)。
14:45ごろ、境内にアナウンスが流れ、舞殿周辺の3ヵ所が「やすらい踊り」奉納のために空けられます。
つまり、舞殿周辺が「やすらい踊り」を見物するのにちょうど良いポイントとなるわけですね。個人的には本殿付近がベストポジションだと思います。
15:00ごろ、祭りの行列が境内に到着し、舞殿付近でそれぞれの「やすらい踊り」が奉納されます。
「やすらい祭」では、境内で行われる「やすらい踊り」が一番の見どころとされているようですね。
まずは「川上やすらい」のやすらい踊り奉納です。髪の毛で顔を隠した鬼が、太鼓を叩きながら踊ります。
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「川上やすらい」の踊りには大きな動きが無く、どちらかと言えば大人しい感じの踊りですね。
なお、「川上やすらい」踊り奉納の様子はこちらの動画でも紹介しています。ぜひご覧ください。
次に「上野やすらい」のやすらい踊り奉納です。鬼たちが大きな輪になってやすらい踊りを踊ります。
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「上野やすらい」の踊りは動きが激しく、躍動感のある踊りとなっています。
なお、「上野やすらい」踊り奉納の様子はこちらの動画でも紹介しています。ぜひご覧ください。
15:30ごろ、「やすらい踊り」の奉納が終わると、行列は再び光念寺を目指して周辺を練り歩くようです(17:00光念寺到着予定)。
また、これと同時に境内の客足も次第に遠のいていくようですね。
その後は、行列を追いかけるも良し、社殿に参拝するも良し、あぶり餅に舌鼓を打つも良し、といった感じになると思います。
僕もこの時点で祭りを後にしたので、やすらい祭のレポートはここで終了させていただきます。ご閲読ありがとうございました。
雑記
赤い衣装を着た鬼たちが、花傘を中心に囃子に合わせて歌い踊るという「やすらい祭」、たしかに奇祭でした。
しかし、祭りの起源は示されているものの、そのコンセプトはいまいちよくわかりませんね。
なぜ、「鬼」なのか?「花傘」とは一体なんなのか…?その辺がちょっと気になります。
前述の通り、この「やすらい祭」は、平安遷都以後の疫病・災厄の鎮疫のための御霊会に端を発する祭りであるとされています。
御霊会(ごりょうえ)とは、平安時代以降に起こった、疫神や死者の怨霊(おんりょう)などの祟りを鎮めるために行う祭りとされており、八坂神社の祇園祭も御霊会の一つとされています。
そのため、「やすらい祭」も「疫神スサノオ」を祀り鎮めるための祭礼であると考えられます。
また、この祭りのポイントは、「鬼」、「花傘」、「囃子」、「人形」であると言えるでしょう。
このポイントと「疫神スサノオ」には何か関わりがあるのでしょうか?
なお、神社の公式ページでは、この祭りについて以下のような説明があります。
桜の花が散る頃、疫神は花の精に煽られて悪戯をして回ると云われます。
疫病の源はここにあるのです。
祭りの中心はたくさんの生花で飾られた大きな赤い「花傘(はながさ)」です。
やすらい踊りで花傘に惹き寄せられた疫神は疫社へと鎮められ一年の無病息災が祈られるのです。
疫病の源はここにあるのです。
祭りの中心はたくさんの生花で飾られた大きな赤い「花傘(はながさ)」です。
やすらい踊りで花傘に惹き寄せられた疫神は疫社へと鎮められ一年の無病息災が祈られるのです。
「スサノオ」と言えば、日本神話でも有名な神ですが、諸外国の様々な神とも習合しており、その存在には色々な説が唱えられている謎の多い神としても知られています。
「やすらい祭」とともに「スサノオ」の正体を探るとすれば、上記の説明に何らかのヒントがあるような気がしますね。
しかし、詳しいことは今のところ書けそうにありません。今後の課題として、分かり次第追記したいと思います。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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