人文研究見聞録:熊野那智大社 [和歌山県]

和歌山県の那智勝浦町にある熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)です。

熊野夫須美大神(イザナミ)を主祭神とする熊野三山の一社であり、古来より熊野修験の修行地であるとされています。


神社概要

由緒

人文研究見聞録:熊野那智大社 [和歌山県]

公式サイトによれば、当社の創建は神日本磐余彦命(神武天皇)の東征にまで遡るとされます。

紀元前662年、丹敷浦(現・那智の浜)に上陸した皇軍(神日本磐余彦命の一行)は、そこで光り輝く山を見つけて その方向へ進んで行ったところ、那智御瀧を見つけ、これを大己貴命(大国主)の御神体として祀ったそうです。

その後、皇軍は天照大神によって遣わされた八咫烏の案内で無事に大和の橿原の地に入り、紀元前660年2月11日に初代・神武天皇として即位したとされています。

なお、皇軍を先導した八咫烏は後に熊野の地に戻り、現在は石(烏石)に姿を変えて休んでいると云われています。

この後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨したことから御滝本(滝壺)に祀ったとされ、さらに後の仁徳天皇5年(317年)に山の中腹に改めて社殿を設けて熊野の神々および御瀧の神を遷し祀ったとされ、これが熊野那智大社の始まりとされています。

祭神

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熊野夫須美大神(イザナミ)

那智大社の祭神は以下の通りです。

・第一殿 滝宮:大己貴命(オオナムチ)
・第二殿 証誠殿:家都御子大神(けつみみこのおおかみ、スサノオ)
・第三殿 中御前:御子速玉大神(みこはやたのおおかみ、イザナギ)
・第四殿 西御前:熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミ)※主祭神
・第五殿 若宮:天照大神(アマテラス)
・第六殿 八社殿:天神地祗(9柱)

扇祭(那智の火祭)

人文研究見聞録:熊野那智大社 [和歌山県]

那智大社では、毎年7月14日に例大祭である扇祭(那智の火祭)が行われます。

この神事は、夫須美大神(イザナミ)を花の窟から勧請した故事にまつわるものであるとされ、かつては寄り木となる木を立てて大神を迎えた後、その木を倒して大神が帰らぬようにする神事があったとされます。

現在の扇祭は火と水の祭りであるとされ、は"那智で崇拝の対象とされる滝の本体で生命の源"であり、は"万物の活力の源を表す"とされ、神霊の再生復活と生命(五穀豊穣)を祈念する祭礼とされています。

詳しくはこちらの記事を参照:【那智の火祭】

アクセスについて

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那智大社への参拝は、自動車移動が便利であると思われますが、公共の交通機関で向かう場合は特急で紀伊勝浦駅まで向かい、そこから熊野交通バスを使うと直行できます。

なお、紀伊勝浦駅から往復する場合は、バスの往復チケットを購入すると ややお得です。

ただし、バスは1時間に1本ペースなので、時間を気にしながら行動しないと計画に支障をきたす場合があります。ちなみに「扇祭り」の日には、バスの臨時便が出ます。

また、電車も本数が少ないため、遠方から熊野観光をする場合は泊まりがけで計画を組むことをおススメします。

『ホツマツタヱ』の記述

人文研究見聞録:熊野那智大社 [和歌山県]

古史古伝の一つである『ホツマツタヱ』には、那智大社と関係深いと思われる以下のような説話が載せられています。

以前、イサナギ(伊弉諾尊)は「ハナキネ(素戔嗚尊)はネノクニ・サホコ(北陸・中国地方)を領すべし」と申し上げた。これは、"今 ヒルコ(蛭子尊)とミクマノノトミ(速玉男命・事解男命)によって統治されている熊野の地の君主となれ"ということである。

また、「ナチの若御子のヌカタタ(熊野樟日命)は、イサナミ(伊弉冉尊)を祭るべし」と申し上げた。これにより、ヌカタタがイサナミ(クマノカミ)の祭主となった。

なお、クマノカミ(伊弉冉尊)は八人の鬼霊(シコメ)を使って人の魄(肉体)を枯らす神である。この神を祀ると黒い鳥が群れたので、この鳥は"カラス(枯らす)"と呼ぶことになった。

イサナギ(伊弉諾尊)は一通りの指示し終えると、アワヂノミヤ(伊弉諾神宮)に隠れた。これを以って、イサナギ(伊弉諾尊)は君主としての役目は終えたが、天に上って陽霊を還すアヒワカミヤ(太陽分宮)に留まり、病気平癒のタガノカミ(治汚の神)となった。

要約すると、神代にイサナギ(伊弉諾尊)の命によって、ソサノヲ(素戔嗚尊)が北陸・中国地方(熊野の地)の統治権を得て、クマノクスヒ(熊野樟日命)が紀州の熊野神(伊弉冉尊)の祭主となったとされます。

なお、当文献によれば、ソサノヲ(素戔嗚尊)はイサナミ(伊弉冉尊)が生理中に孕んだ子であるとされ、その汚穢隈(穢れの類)を受けて生まれたことから素行不良な性格であったとされます。

よって、イサナミ(伊弉冉尊)は我が身をクマノミヤ(穢れの類を封じ込める宮)としたとされ、死後にクマノカミという名を贈られたとされています。

参考文献:ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文

関連社

別宮・飛瀧神社(那智の滝)

人文研究見聞録:熊野那智大社 [和歌山県]
那智滝
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オオナムチ

那智大社の別宮・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)です。

祭神に大巳貴命(オオナムチ)を祀っており、那智滝(なちのたき)そのものを御神体とする磐座形式で祀られています。

なお、古くから原住民に神として崇められている滝であり、高さ・水量ともに日本一とされています(拝所舞台は有料)。

ちなみにオオナムチは龍蛇神として祀られることもあり、滝はこれを現わしているものとも考えられます。

児宮

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那智大社の摂社・児宮です。

『紀伊続風土記』によれば、祭神は道祖神であるとされています。

御縣彦社

人文研究見聞録:熊野那智大社 [和歌山県]
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那智大社の境内社・御縣彦社(みあがたひこしゃ)です。

祭神に建角身命(タケツノミ)を祀っており、社殿の前には八咫烏(ヤタガラス)の像が置かれています。

なお、『新撰姓氏録』には「八咫烏は高皇産霊尊の曾孫・賀茂建角身命の化身である」とあり、両神は同一とされています。

詳しくはこちらの記事を参照:【八咫烏(ヤタガラス)とは?】

樟霊社(胎内くぐり)

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那智大社の樟霊社(しょうれいしゃ)です。

平重盛の御手植とされる樹齢850年以上の樟を御神木として祀っており、空洞になった幹内に入ることができます。

この空洞の中に入ることを"胎内くぐり"と言い、護摩木を納めてお焚き上げ祈願をしてもらうこともできるそうです。

境内の見どころ

鳥居

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那智大社の鳥居です。

拝殿

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那智大社の拝殿です。

主祭神・熊野夫須美大神の夫須美(ふすみ)は、生成発展を意味する「むす」と「結(むすび)」の意味を持つとされます。

このため、かつては「結宮(むすびのみや)」と通称されていたそうです。

本殿

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那智大社の本殿です。

第四殿に主祭神・熊野夫須美大神が祀られており、一際大きな社殿となっています。

烏石

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那智大社の烏石(からすいし)です。

神日本磐余彦命(神武天皇)を道案内をした八咫烏が、石に姿を変えて休んでいると伝えられています。

熊野古道 大門坂

人文研究見聞録:熊野那智大社 [和歌山県]

日本三大古道の一つである熊野古道大門坂(だいもんざか)です。

大門坂という名称は、坂の入り口に大門があり、通行税を徴収していたことに始まるそうです。

熊野交通バスで向かう場合は、大門坂で下車すると入口から登れます。

料金: 無料
住所: 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1(マップ
営業: 6:00~17:00
交通: 紀伊勝浦駅よりバス、那智駅(徒歩129分)、大門坂(徒歩61分)

公式サイト: http://www.kumanonachitaisha.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。