沙沙貴神社 [滋賀県]
2017/06/07
滋賀県近江八幡市安土町にある沙沙貴神社(ささきじんじゃ)です。
"神代にスクナヒコナが海を渡ってやってきた"という伝説に始まる古社であり、祭神に佐佐木大明神を祀っています。
また、当地は佐々木姓発祥の地であり、佐佐木源氏の氏神を祀ることから、全国の佐々木姓の人々から信仰を集めているそうです。
なお、境内には磐境を始めとする奇石・珍石が多数あり、磐座などが好きな方にはオススメの神社となっています。
神社概要
由緒
由緒によれば、当地には「神代に少彦名神(スクナヒコナ)がササゲの豆の鞘に乗って海を渡って来た」という伝説があり、その霊跡として当社が始まったとされ、社号の"沙沙貴"は少彦名神に起因すると云われています。
古墳時代には、沙沙貴山君(ささきやまきみ・狭狭城山之公)という古代豪族が陵戸(御陵を守る職)として当地に居住しており、自らの一族の祖神として大毘古神(オオヒコ)を祀ったとされます。
その後、当地に土着した宇多源氏によって宇多天皇・敦実親王が祀られ、以後、当社の祭神は佐佐木大明神と称されて、近江国の守護職となった佐々木氏をはじめとする宇多源氏・佐佐木源氏一族の氏神として篤い信仰を集めているとされています。
なお、案内板による解説は以下の通りです。
【沙沙貴神社 少彦名神】
少彦名神(スクナヒコナ)さまは、ササゲの豆の鞘に乗って海を渡ってこられたことから、ササキ神社と言われるようになったという伝説があります。
大國主神(オオクニヌシ)さまと少彦名神さまは力を合わせて國を治められました。少彦名神さまは大変物知りで子供を無事に産み、丈夫に育つようにお守りしたり、蚕を飼って絹を取ることや、病気に良く効く薬を教えたり、味噌・醤油・お酒を造る醸造のこと、そして お百姓の道具の造り方を教えました。
平安期に撰上された『延喜式』に近江国蒲生郡・十一座の神様の一座に沙沙貴神社とあり、御祭神に少彦名神・大毘古神・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王 四座五柱の神々を奉斎しています。
源頼朝公が宇多源氏・佐佐木源氏一族を近江国をはじめ、全国17の国の守護職に専任され、沙沙貴神社の神様を佐佐木大明神と称して敬拝されて来ました。
このお力のおかげで今に至るまで"みたまふゆ(恩頼)"をこうむり、みんなが幸せに暮らせるようになりました。
少彦名神(スクナヒコナ)さまは、ササゲの豆の鞘に乗って海を渡ってこられたことから、ササキ神社と言われるようになったという伝説があります。
大國主神(オオクニヌシ)さまと少彦名神さまは力を合わせて國を治められました。少彦名神さまは大変物知りで子供を無事に産み、丈夫に育つようにお守りしたり、蚕を飼って絹を取ることや、病気に良く効く薬を教えたり、味噌・醤油・お酒を造る醸造のこと、そして お百姓の道具の造り方を教えました。
平安期に撰上された『延喜式』に近江国蒲生郡・十一座の神様の一座に沙沙貴神社とあり、御祭神に少彦名神・大毘古神・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王 四座五柱の神々を奉斎しています。
源頼朝公が宇多源氏・佐佐木源氏一族を近江国をはじめ、全国17の国の守護職に専任され、沙沙貴神社の神様を佐佐木大明神と称して敬拝されて来ました。
このお力のおかげで今に至るまで"みたまふゆ(恩頼)"をこうむり、みんなが幸せに暮らせるようになりました。
祭神
沙沙貴神社の祭神は以下の通りです。
・[一座] 少彦名神(スクナヒコナ):「日本神話」に登場する神で、大国主と共に国造りを成したとされる
→ 当地ではササキ・鷦鷯郷の祖神とされる
・[二座] 大毘古神(オオヒコ):第8代孝元天皇の第一皇子で、四道将軍の一人となった
→ 当地に居住した沙沙貴山君の祖神とされる
・[三座] 仁徳天皇(にんとくてんのう):第16代天皇
→ 大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)という名であり、沙沙貴にゆかりある祭神とされる
・[四座] 宇多天皇(うだてんのう):第59代天皇
→ 宇多源氏の祖神
・[四座] 敦実親王(あつざねしんのう):宇多天皇の皇子
→ 佐々木源氏・近江源氏の祖神
※上記の祭神を総称して佐佐木大明神(ささきだいみょうじん)と称する
→ 当地ではササキ・鷦鷯郷の祖神とされる
・[二座] 大毘古神(オオヒコ):第8代孝元天皇の第一皇子で、四道将軍の一人となった
→ 当地に居住した沙沙貴山君の祖神とされる
・[三座] 仁徳天皇(にんとくてんのう):第16代天皇
→ 大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)という名であり、沙沙貴にゆかりある祭神とされる
・[四座] 宇多天皇(うだてんのう):第59代天皇
→ 宇多源氏の祖神
・[四座] 敦実親王(あつざねしんのう):宇多天皇の皇子
→ 佐々木源氏・近江源氏の祖神
※上記の祭神を総称して佐佐木大明神(ささきだいみょうじん)と称する
【沙沙貴神社の御祭神】
沙沙貴神社は神話の頃からの御鎮座で、御祭神の少彦名神・大毘古神・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王・四座五柱の神々をお祀りしています。
まず、ササゲの豆の鞘に乗って海を渡って来られた伝説のある少彦名神(スクナヒコナ)さまより子宝・安産・育児・蚕を飼育して絹の製糸・健康の良薬・酒類味噌醤油の醸造・農工業の諸道具の作成などに"恩頼(みたまのふゆ)"の御神徳の大きなお力をいただいて、皆が幸せに暮らしてきました。
大毘古神(オオヒコ)さまじゃ、古代に都から北陸道・東海道・西海道・丹波道を守護した四道将軍の御一人で、北陸道を守護され、旅の安全・交通安全を守護されています。御子孫は古代の沙沙貴山君は、ササキの庄の地名に繋がります。
仁徳天皇 鷦鷯尊(おおささきのみこと)さまは難波の宮から国民の生活を眺められ「自らが富めるのは国民が富みて自らも富める」と申され、家庭の円満をお望みになりました。
また、宇多天皇・敦実親王さまの子孫 佐佐木源氏は平安後期の源氏の時代から近江国を始め、全国17余州の守護職にあり、広く全国に居住することになりました。
沙沙貴神社 神主家に継承されている系図では、佐々木姓が全国に170万余家、さらに枝別れした京極家・黒田家・三井家・朽木家・佐佐木家・大原家・高嶋家・六角家・乃木家など一族は、220余の姓名となり、350万余家に統計されています。
その佐佐木源氏一族の子孫が守護神として広く敬拝されています。この四座五柱の神々を「佐佐木大明神」と申し上げます。
沙沙貴神社は神話の頃からの御鎮座で、御祭神の少彦名神・大毘古神・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王・四座五柱の神々をお祀りしています。
まず、ササゲの豆の鞘に乗って海を渡って来られた伝説のある少彦名神(スクナヒコナ)さまより子宝・安産・育児・蚕を飼育して絹の製糸・健康の良薬・酒類味噌醤油の醸造・農工業の諸道具の作成などに"恩頼(みたまのふゆ)"の御神徳の大きなお力をいただいて、皆が幸せに暮らしてきました。
大毘古神(オオヒコ)さまじゃ、古代に都から北陸道・東海道・西海道・丹波道を守護した四道将軍の御一人で、北陸道を守護され、旅の安全・交通安全を守護されています。御子孫は古代の沙沙貴山君は、ササキの庄の地名に繋がります。
仁徳天皇 鷦鷯尊(おおささきのみこと)さまは難波の宮から国民の生活を眺められ「自らが富めるのは国民が富みて自らも富める」と申され、家庭の円満をお望みになりました。
また、宇多天皇・敦実親王さまの子孫 佐佐木源氏は平安後期の源氏の時代から近江国を始め、全国17余州の守護職にあり、広く全国に居住することになりました。
沙沙貴神社 神主家に継承されている系図では、佐々木姓が全国に170万余家、さらに枝別れした京極家・黒田家・三井家・朽木家・佐佐木家・大原家・高嶋家・六角家・乃木家など一族は、220余の姓名となり、350万余家に統計されています。
その佐佐木源氏一族の子孫が守護神として広く敬拝されています。この四座五柱の神々を「佐佐木大明神」と申し上げます。
境内社
磐境
沙沙貴神社の磐境(いわさか)です。
社殿の無い古代の神社形式であり、少彦名命・沙沙貴山君を祀っています。
・少彦名命(スクナヒコナ):「日本神話」に登場する神で、大国主と共に国造りを成したとされる
・沙沙貴山君(ささきやまきみ):当地に居住した古代豪族で、大毘古神の後裔とされる(当地に大毘古神を祀った)
・沙沙貴山君(ささきやまきみ):当地に居住した古代豪族で、大毘古神の後裔とされる(当地に大毘古神を祀った)
権殿
沙沙貴神社の権殿です。
佐佐木源氏ゆかりの神を祀っています。
・東の座:乃木希典命・乃木静子命を祀る
・中央の座:置目姫命・源雅信公・源秀義公・源氏頼公を祀る
・西の座:沙沙貴郷・旧蒲生郡・明治・大正・昭和 戦没者3700余柱命を祀る
・中央の座:置目姫命・源雅信公・源秀義公・源氏頼公を祀る
・西の座:沙沙貴郷・旧蒲生郡・明治・大正・昭和 戦没者3700余柱命を祀る
その他の境内社
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沙沙貴神社のその他の境内社は以下の通りです。
・少童神社:少童(ワダツミ)を祀る
・影友稲荷神社:稲荷神を祀る
・加茂社:賀茂別雷大神・賀茂御祖大神を祀る
・愛宕社:愛宕大神を祀る
・祇園社:八坂大神・津島大神を祀る
・歳徳神社:歳徳神(方位神)を祀る
・影友稲荷神社:稲荷神を祀る
・加茂社:賀茂別雷大神・賀茂御祖大神を祀る
・愛宕社:愛宕大神を祀る
・祇園社:八坂大神・津島大神を祀る
・歳徳神社:歳徳神(方位神)を祀る
境内の見どころ
一の鳥居
沙沙貴神社の一の鳥居です。
神木
沙沙貴神社の神木です。
二の鳥居
沙沙貴神社の二の鳥居です。
楼門
沙沙貴神社の楼門です。
手水舎
沙沙貴神社の手水舎です。
拝殿
沙沙貴神社の拝殿です。
本殿
沙沙貴神社の本殿です。
十二支像
沙沙貴神社の境内には十二支像があります。
勾玉
沙沙貴神社の磐境の前にある勾玉(まがたま)です。
当社では この勾玉について以下のように説明しています。
勾玉・管玉・丸玉は古来 威儀のものです。勾玉には胎児に似た形から「生命の種」の意味があります。
勾玉の信仰は、遠い先祖への感謝と子々孫々の繁栄はもとより、物事の弥栄(平和と繁栄)を お祈りする信仰です。
勾玉の信仰は、遠い先祖への感謝と子々孫々の繁栄はもとより、物事の弥栄(平和と繁栄)を お祈りする信仰です。
願掛け石
沙沙貴神社の願掛け石です。
鎮魂・祈願・感謝の祈願を捧げる石であり、満願した後に納め所に返納することとされています。
またげ石
沙沙貴神社にあるまたげ石です。
男女揃って三回またぐと子宝を授かるという言い伝えがあり、祈祷を受けたあとにまたぐことができるそうです。
絵馬殿
沙沙貴神社の絵馬殿です。
当社にまつわる様々な図画や彫像などが奉納されています。
神代文字
沙沙貴神社の絵馬殿には神代文字が掲げられています。
男石・女石
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沙沙貴神社の境内にある男石(おのこいし)・女石(おんないし)です。
出会いと縁結びを祈願して、男は女石を、女は男石を目指して歩くと祈願が成就するとされています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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