多賀大社 [滋賀県]
2017/05/20
滋賀県犬上郡多賀町にある多賀大社(たがたいしゃ)です。
神代より存在すると伝えられる古社であり、全国239社あるとされる多賀神社の総本社となっています。
日本神話において国産み・神産みを成したイザナギ・イザナミを祀っており、多くの神徳があるとされます。
また、長寿にまつわる故事もあるため、特に長寿祈願の神として信仰されています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、『古事記』にある「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」という記述を当社の起こりと捉えており、社伝によれば、「神代の昔、伊邪那岐大神(イザナギ)は本社の東方の杉坂山に降臨し、麓の栗栖の里で休んだ後に多賀に鎮まった」と伝えられているそうです。
また、当社は延命長寿・縁結び・厄除の神徳があるとされ、古くから朝廷や民間からの崇敬が篤く、第44代元正天皇、俊乗坊重源(真言宗の僧)、大政所(太閤秀吉の母)、武田信玄などの祈願の記録があるとされています。
なお、由緒書による解説は以下の通りです。
多賀大社の概略
御祭神 伊邪那岐大神(イザナギ)・伊邪那美大神(イザナミ)
この男女二柱の大神は、はじめて夫婦の道を起こされ、我が国土と万物の神々と、その主宰神としての天照大神(アマテラス)を お生みになられましたので、昔から我が日本国の祖神(おやがみ)さまと仰がれ、奈良時代の初めにできた『古事記』には、すでに淡海の多賀に御鎮座という記事が見えています。
そこで、早くより朝野の尊崇あつく、延命長寿・縁結び・厄除の霊神と仰がれ、元正天皇や俊乗坊重源、太閤秀吉の母・大政所の延命祈願、武田晴信(信玄)の厄除祈願など、数々の ご社伝が伝えられております。
4月22日の多賀まつり(古例大祭)の騎馬40頭に及ぶ ご神幸は天下に名高く、他にも節分祭、お田植祭、万灯祭、9月古例祭、七五三なども大変な賑わいを見せます。云々
御祭神 伊邪那岐大神(イザナギ)・伊邪那美大神(イザナミ)
この男女二柱の大神は、はじめて夫婦の道を起こされ、我が国土と万物の神々と、その主宰神としての天照大神(アマテラス)を お生みになられましたので、昔から我が日本国の祖神(おやがみ)さまと仰がれ、奈良時代の初めにできた『古事記』には、すでに淡海の多賀に御鎮座という記事が見えています。
そこで、早くより朝野の尊崇あつく、延命長寿・縁結び・厄除の霊神と仰がれ、元正天皇や俊乗坊重源、太閤秀吉の母・大政所の延命祈願、武田晴信(信玄)の厄除祈願など、数々の ご社伝が伝えられております。
4月22日の多賀まつり(古例大祭)の騎馬40頭に及ぶ ご神幸は天下に名高く、他にも節分祭、お田植祭、万灯祭、9月古例祭、七五三なども大変な賑わいを見せます。云々
祭神
多賀大社の祭神は以下の通りです。
・伊邪那岐大神(イザナギ):『記紀』において国産み・神産みの男神とされる
・伊邪那美大神(イザナミ):『記紀』において国産み・神産みの女神とされる
・伊邪那美大神(イザナミ):『記紀』において国産み・神産みの女神とされる
境内社
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多賀大社の境内社は以下の通りです。
・日向神社:瓊々杵尊を祀る(延喜式内社)
・子安神社:木花咲耶姫を祀る
・神明両宮:天照大神・豊受大神を祀る
・熊野新宮
・天神神社
・熊野神社
・三宮神社
・聖神社
・金咲稲荷神社:宇迦之御魂神(稲荷神)を祀る
・愛宕神社:火産霊神・伊邪那美神を祀る
・秋葉神社:火産霊賀具都知神を祀る
・天満神社:菅原道真公を祀る
・夷神社:事代主神を祀る
・年神神社
・竈神神社
・子安神社:木花咲耶姫を祀る
・神明両宮:天照大神・豊受大神を祀る
・熊野新宮
・天神神社
・熊野神社
・三宮神社
・聖神社
・金咲稲荷神社:宇迦之御魂神(稲荷神)を祀る
・愛宕神社:火産霊神・伊邪那美神を祀る
・秋葉神社:火産霊賀具都知神を祀る
・天満神社:菅原道真公を祀る
・夷神社:事代主神を祀る
・年神神社
・竈神神社
関連知識
社伝による創祀説話
多賀大社の社伝によれば、以下のような創祀説話があるとされます。
神代の昔、国生みの大業を終えた伊邪那岐大神(イザナギ)が高天の原から この峠(杉坂峠)に天降って休息をしていた時、土地の老人が栗飯を柏葉に包んで献上した。
大神は機嫌よく栗飯を食し、老人の志を愛でて食後に杉箸を地面に挿したところ、その杉箸が根付いて大杉となった。これが今の杉坂の三本杉である。
また、山路の途中に疲れて「くるしい」と言った場所は栗栖(くるす)と名付けられ、今は御旅所の調宮(調宮神社)がある。
大神は機嫌よく栗飯を食し、老人の志を愛でて食後に杉箸を地面に挿したところ、その杉箸が根付いて大杉となった。これが今の杉坂の三本杉である。
また、山路の途中に疲れて「くるしい」と言った場所は栗栖(くるす)と名付けられ、今は御旅所の調宮(調宮神社)がある。
参考サイト:多賀大社(公式)、玄松子の記憶(多賀大社)
『古事記』の記述
『古事記』には多賀大社が以下のような形で登場します。
黄泉国から帰ったイザナギが禊をした際に多くの神を生んだ。その際、最後にアマテラス・ツクヨミ・スサノオという三柱の貴い神が生まれた。
イザナギは大変喜んで、首に掛けていた玉の緒をアマテラスに授けて"天を治めよ"と命じ、次にツクヨミに"夜の世界を治めよ"と命じ、スサノヲには"海原を治めよ"と命じた。
三柱の貴い神は、イザナギに命じられたままに各所を治めたが、スサノオだけは命令に従わず、長い髭が胸に垂れさがる年頃になっても泣きわめいており、その有樣は青山を枯らし、海や河を干し上げるほどであったため、乱暴な神を騒がせて あらゆる災いを起こした。
そこでイザナギがスサノオに命令に従わずに泣きわめく理由を問うと、スサノオは"亡き母の居る根の国に行きたい"と答えたので、イザナギは怒ってスサノオを追放してしまった。
このとき、イザナギは淡海の多賀の社に鎮まっていた。
イザナギは大変喜んで、首に掛けていた玉の緒をアマテラスに授けて"天を治めよ"と命じ、次にツクヨミに"夜の世界を治めよ"と命じ、スサノヲには"海原を治めよ"と命じた。
三柱の貴い神は、イザナギに命じられたままに各所を治めたが、スサノオだけは命令に従わず、長い髭が胸に垂れさがる年頃になっても泣きわめいており、その有樣は青山を枯らし、海や河を干し上げるほどであったため、乱暴な神を騒がせて あらゆる災いを起こした。
そこでイザナギがスサノオに命令に従わずに泣きわめく理由を問うと、スサノオは"亡き母の居る根の国に行きたい"と答えたので、イザナギは怒ってスサノオを追放してしまった。
このとき、イザナギは淡海の多賀の社に鎮まっていた。
※『日本書紀』では同様の件が「淡海(近江)」ではなく「淡路(淡路島)」となっているため、誤記という説がある
『ホツマツタヱ』の記述
神代文字のヲシテで記された『ホツマツタヱ』には、以下のように記されています。
二尊(イサナギ・イサナミ)の御代が熟して安らかな時期を迎えていた時のこと、二尊は御子のアマテル(天照大御神)にアマテラスヒツキ(帝位)を譲って、近江の多賀に遷ることにした(19文)。
また、イサナギは一通りの指示し終えると、アワヂノミヤ(伊弉諾神宮)に隠れた。イサナギが君としての役目を終えると、天に上って陽霊を還すアヒワカミヤに留まり、病気平癒のタガノカミ(治汚の神)となった(6文)。
また、イサナギは一通りの指示し終えると、アワヂノミヤ(伊弉諾神宮)に隠れた。イサナギが君としての役目を終えると、天に上って陽霊を還すアヒワカミヤに留まり、病気平癒のタガノカミ(治汚の神)となった(6文)。
参考サイト:ホツマツタヱ 6文、ホツマツタヱ 19文、タガノカミ(ホツマツタヱ解読ガイド)
神紋「虫食い折れ柏」の由来と長寿石
多賀大社の神紋である虫食い折れ柏と、境内にある長寿石には以下のような いわれがあるとされます。
80歳になった俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は、東大寺の再建事業の成功を祈願するために伊勢神宮にて17日間の参籠をした。
その時、夢中に天照大神が現れて「寿命を延ばしたいなら、多賀神へ申請すべし」と告げた。そこで、重源は急いで多賀大社に向かうと、眼前に一片の葉が風に飛ばされて、それをよく見ると「莚」という文字形の虫食いが見られた。「莚」は「廿延」と読め、寿命がもう20年延びるという意味を指す。
この神意によって重源は見事に東大寺再建を成功させ、お礼の参詣に時に多賀大社の境内にある寿命石に坐して眠るように亡くなった。年齢は100余歳であったという。
その時、夢中に天照大神が現れて「寿命を延ばしたいなら、多賀神へ申請すべし」と告げた。そこで、重源は急いで多賀大社に向かうと、眼前に一片の葉が風に飛ばされて、それをよく見ると「莚」という文字形の虫食いが見られた。「莚」は「廿延」と読め、寿命がもう20年延びるという意味を指す。
この神意によって重源は見事に東大寺再建を成功させ、お礼の参詣に時に多賀大社の境内にある寿命石に坐して眠るように亡くなった。年齢は100余歳であったという。
境内の見どころ
鳥居
多賀大社の鳥居です。
太閤橋(そり橋)
多賀大社の太閤橋(そり橋)です。
豊臣秀吉が、当社に母・大政所の病気平癒を祈った際に奉納したものとされています。
神門
多賀大社の神門です。
神馬舎
多賀大社の神馬舎です。
さざれ石
多賀大社のさざれ石です。
能舞台
多賀大社の能舞台です。
お多賀杓子
多賀大社のお多賀杓子(おたがじゃくし)です。
当社にはお守りとしてしゃもじを授ける慣わしがあり、お玉杓子(お玉)やオタマジャクシの名前の由来とされています。
また、元正天皇の病気になった際、当社の神主が強飯を炊いて、シデの木で作った杓子を献上すると、天皇の病がたちまち治ったと伝えられており、多賀ではこのお多賀杓子は有名なんだそうです。
ちなみに、この説話に登場するシデの木は多賀と高宮を結ぶ旧道筋に男木・女木として現存しており、この伝承から飯盛木(いもろぎ)とも呼ばれているとされています。
社殿
多賀大社の社殿です。
長寿石
多賀大社の長寿石です。
平安時代に東大寺の再建を命じられた俊乗坊重源は、霊夢を見て当社に参詣したところ寿命が20年延びたと伝えられており、その由緒から今でも延命長寿の祈願をする人が絶えないとされています。
参集殿
多賀大社の参集殿です。
鐘楼(つり鐘)
多賀大社の鐘楼(つり鐘)です。
室町後期の天文24年(1555年)に鋳造したものとされています。
大釜
多賀大社の大釜です。
文庫
多賀大社の文庫です。
社務所
多賀大社の社務所です。
多賀大社前駅の鳥居
多賀大社前駅の鳥居です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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