人文研究見聞録:元四天王寺とは?(まとめ)

大阪市天王寺区にある四天王寺は、聖徳太子によって日本で最初に建立された「国立の寺院」です。

しかし、『日本書紀』および『聖徳太子伝暦』の中では、その創建は587年593年に記されています。

つまり、四天王寺創建の記述が二度登場するのです。

これについては複数の解釈があり、未だに定説化していないようです。以下にその説を紹介します。

1.そもそも文献の記述が間違っている
2.一度創建したものの、それを潰して現在の位置に移転した
3.四天王寺として二度創建しており、現在もそれが残っている

着目すべきは3番目の説です。この説に基づいて、大阪市内を散策すると「元・四天王寺」を名乗る施設が見つかります。

その施設を以下に紹介します。


大阪市内の元四天王寺


人文研究見聞録:元四天王寺とは?(まとめ)
玉造稲荷神社

社伝によれば、「丁未の乱」の際、太子は境内地で戦勝を祈願し、戦勝後に自ら この地に観音堂を建立したとされています。


・祭神:宇迦之御魂大神、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命
住所:大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
アクセス:森ノ宮駅(徒歩8分)、玉造駅(徒歩9分)
備考:紀元前12年に創建された古社、五幸稲荷大明神を祀っていた
人文研究見聞録:元四天王寺とは?(まとめ)
鵲森宮(森之宮神社)

社伝によれば、「丁未の乱」の戦勝後に、太子は父母を祀り、その後、四天王像を祀る元四天王寺を境内の森に創建したとされています。


祭神:聖徳太子、用明天皇、穴穂部間人皇后、天照大御神、月読命、素戔嗚尊
住所:大阪府大阪市中央区森之宮中央一丁目14-4
アクセス:森ノ宮駅(徒歩1分)
備考:境内社に日本唯一を謳う五幸稲荷社がある

現在、元四天王寺を名乗る施設は上記の二社とされています。

なお、この二社が両方とも「神社」であることに注意してください。

元四天王寺と言えば「寺院」でなければおかしいのですが、実は「神社」だったのです。

聖徳太子日本仏教の祖とされていますが、本当にそうだったのでしょうか?
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。