太郎坊宮(太郎坊阿賀神社) [滋賀県]
2017/06/02
滋賀県東近江市にある太郎坊宮(たろうぼうぐう)です。
正式名称は阿賀神社(あがじんじゃ)と言い、現在では太郎坊阿賀神社の通称で知られています。
古くから霊山として崇敬されてきた赤神山の大神を祀っており、本殿前に夫婦岩という巨岩があることで有名です。
神社概要
由緒
由緒記によれば、当社の建つ赤神山(あかがみやま、太郎坊山)は神が宿る霊山として崇敬されており、古代より山自体を神として信仰する磐境信仰(いわさかしんこう)があったとされ、当社は約1400年前(7世紀ごろ)の創祀とされます。
社伝によれば、欽明天皇の御代に赤神山に参籠した聖徳太子が当大神(オシホミミ)の霊験に感銘を受けて国家安泰などを祈願し、後に当山参籠した伝教大師(最澄)も広大な神徳に感銘を受けて社殿・社坊を献じて守護したと伝えられています(wikipediaによれば、聖徳太子が箕作山に瓦屋寺を創建した際に、霊験があったことから阿賀神社を創建したとされているが出典は不明)。
山岳信仰が広まってくると霊地として多くの修験者が参篭したとも伝えられ、その姿は当大神を守護する太郎坊天狗(たろうぼうてんぐ)として知られるようになり、俗称である太郎坊宮の由来にもなっているとされます。
また、本殿前には夫婦岩(めおといわ)と呼ばれる二つに分かれた巨岩があり、言い伝えによれば「大神の神力によって真二つに押し開かれた」とされています。この夫婦岩には「この間を通れば、即座に病苦がなくなり、願いも叶うが、悪心のある者は岩に挟まれる」と伝えられており、当地では戒めの場となっているそうです。この他にも、当社には『吾妻鑑』にある源義経の故事に因んだ「義経休憩の腰掛岩」など、多くの奇石・珍石が保存されています。
なお、由緒記(パンフレット)による解説は以下の通りです。
太郎坊・阿賀神社由緒記(抜粋)
当社は今から約1400年前の創祀と伝えられている。
鎮座地の赤神山は岩石が露出し、見るからに神秘的な神宿る霊山であると信じられてきた。天地万物を崇め、自然の恵みに感謝する神道の教えの中で、最も典型的なのが この神体山信仰・磐境信仰(いわさかしんこう)であり、今も山上には奥ツ磐座(おきついわくら)、山麓には辺ツ磐座(へついわくら)として祭祀場が存在している。
人々の信仰が深く広くなるにつれ、この山で修行する修行者が多く現れ、その姿は太郎坊天狗として今に伝えられている。一般に当社を太郎坊さんと称する様に、天狗は御祭神の守護神となっている。
聖徳太子も当大神の霊験が顕著であることを聞こし召し、国家の安泰と万人の幸福を祈願した。また、伝教大師(最澄)も当社に参籠し、赫灼として神徳に感銘し、50有余の社坊を建立して守護された。
さらに数多の人々の信仰により、山肌に次々と社殿が創建され、社頭もいよいよ充実してきたと思われる。こうして神道を基とした天台山嶽仏教と修験道が相交わる独特の信仰形態が確立され、庶民信仰の場として多くの参拝者を迎えるに至っている。
本殿前には、夫婦岩と称される高さ数十メートルの二つの巨岩がある。言い伝えでは大神の神力により、巾約80センチ、長さ20メートルにわたり、真二つに押し開かれたとされている。「この岩の間を通って参拝する者は、即座に病苦を除き、諸願が成就するが、悪心ある者は岩に挟まれる」ともいわれ、子供には「悪戯をしたり嘘をついたら岩に挟まれる」と教え、戒めの場ともなっている。
当社は今から約1400年前の創祀と伝えられている。
鎮座地の赤神山は岩石が露出し、見るからに神秘的な神宿る霊山であると信じられてきた。天地万物を崇め、自然の恵みに感謝する神道の教えの中で、最も典型的なのが この神体山信仰・磐境信仰(いわさかしんこう)であり、今も山上には奥ツ磐座(おきついわくら)、山麓には辺ツ磐座(へついわくら)として祭祀場が存在している。
人々の信仰が深く広くなるにつれ、この山で修行する修行者が多く現れ、その姿は太郎坊天狗として今に伝えられている。一般に当社を太郎坊さんと称する様に、天狗は御祭神の守護神となっている。
聖徳太子も当大神の霊験が顕著であることを聞こし召し、国家の安泰と万人の幸福を祈願した。また、伝教大師(最澄)も当社に参籠し、赫灼として神徳に感銘し、50有余の社坊を建立して守護された。
さらに数多の人々の信仰により、山肌に次々と社殿が創建され、社頭もいよいよ充実してきたと思われる。こうして神道を基とした天台山嶽仏教と修験道が相交わる独特の信仰形態が確立され、庶民信仰の場として多くの参拝者を迎えるに至っている。
本殿前には、夫婦岩と称される高さ数十メートルの二つの巨岩がある。言い伝えでは大神の神力により、巾約80センチ、長さ20メートルにわたり、真二つに押し開かれたとされている。「この岩の間を通って参拝する者は、即座に病苦を除き、諸願が成就するが、悪心ある者は岩に挟まれる」ともいわれ、子供には「悪戯をしたり嘘をついたら岩に挟まれる」と教え、戒めの場ともなっている。
祭神
太郎坊宮の祭神は以下の通りです。
・正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(オシホミミ):スサノオとアマテラスの誓約で生まれた男神の一柱
→ 正式な読みは「マサカツ アカツ カチハヤヒ アメノオシホミミ」という
→ アマテラスの第一御子神として皇統を継ぎ、自らの御子神であるニニギに受け継いだ
→ 『ホツマツタヱ』ではアマテルとセオリツヒメの御子神とされる
→ 正式な読みは「マサカツ アカツ カチハヤヒ アメノオシホミミ」という
→ アマテラスの第一御子神として皇統を継ぎ、自らの御子神であるニニギに受け継いだ
→ 『ホツマツタヱ』ではアマテルとセオリツヒメの御子神とされる
境内社
太郎坊宮の境内社は以下の通りです。
・火防稲荷社
・赤神稲荷社
・赤神愛宕社
・地主神社
・一願成就社
・赤神稲荷社
・赤神愛宕社
・地主神社
・一願成就社
境内の見どころ
参道鳥居
太郎坊宮の参道鳥居です。
赤神山
太郎坊宮の建つ赤神山(あかがみやま)です。
古代より神が宿るとされる霊山であり、山を神として崇める磐境信仰の発祥とも言われています。
なお、境内の手水舎脇に登山道があり、そこから登ることができます(山内は険しく登山用の準備が必要)。
御神田
太郎坊宮の御神田です。
太郎坊宮遥拝所
赤神山の山麓にある太郎坊宮遥拝所です。
麓から本殿を遥拝する場所であり、石祠下の神威玉に触れて病気平癒を祈願することができます。
石段下の鳥居
太郎坊宮の石段下の鳥居です。
石段
太郎坊宮の石段です。
740段あるとされ、非常に長く大変な道のりとなっています(参集殿までは自動車で行ける)。
不上石
太郎坊宮の石段の途中にある不上石です。
この石は旧石段の一つであり、明治初年頃まで魚鳥肉類を食べた者は この石より上に登らずに礼拝したとされます。
そのために不上石と呼ばれており、石の形が自然に魚の様になっていると言われています。
石段の鳥居
太郎坊宮の石段の鳥居です。
稲荷神社のように連なった鳥居となっています。
参集殿
太郎坊宮の参集殿です。
太郎坊宮における授与所・休憩所となっており、中で買物や飲食をすることができます。
祈祷殿
太郎坊宮の祈祷殿です。
車のお祓いや祈祷を受け付ける場所であり、建物に巨大な天狗の面が掲げられています。
願掛け天狗
太郎坊宮の祈祷殿前にある願掛け天狗です。
参詣者の早期の願望成就・病気平癒を祈願するために奉納された天狗像とされています。
両部鳥居
太郎坊宮の参詣道にある両部鳥居です。
長楽殿
太郎坊宮の長楽殿です。
絵馬殿
太郎坊宮の絵馬殿です。
石段の途中の休憩所となっています。
龍神舎
太郎坊宮の龍神舎です。
当社の手水舎であり、赤神山の霊水が湧き出しています。
なお、この脇には赤神山のハイキングコースがあります。
龍神舎の磐座
太郎坊宮の龍神舎の磐座です。
注連縄が張られた状態で祀られています(詳細は不明)。
なお、赤神山の山道には この磐座のような奇妙な巨岩が点在しています。
拝殿
太郎坊宮の拝殿です。
源義経腰掛岩
太郎坊宮にある源義経腰掛岩(みなもとのよしつねのこしかけいわ)です。
「源義経が奥羽に向かう途中、当山に登って源氏再興を祈願した」という故事に因む岩とされています。
夫婦岩
太郎坊宮にある夫婦岩(めおといわ)です。
本殿前にある二つの巨大な磐座であり、大神の神力によって押し開かれたと言い伝えられています。
夫婦岩についてはこちらの記事を参照:【夫婦岩(太郎坊宮)】
本殿
太郎坊宮の本殿です。
主祭神のオシホミミを祀っており、勝運授福の神徳があるとされています。
一願成就社
太郎坊宮の一願成就社(いちがんじょうじゅしゃ)です。
お百度参りをする施設であり、必勝祈願や合格祈願を行う参詣者が多く訪れるとされています。
鎮魂窟
太郎坊宮の鎮魂窟です。
赤神山不動明王尊
太郎坊宮の赤神山不動明王尊です。
太郎坊宮の境内には、この様な仏堂や仏像などが点在しています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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