生石神社 [兵庫県]
2015/08/15
兵庫県高砂市にある生石神社(おうしこじんじゃ)です。
謎の巨大石造物である「石の宝殿(浮石)」を御神体としていることで知られています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、崇神天皇13年申日に創建されて以来 伊保荘・平津荘の鎮守として崇められた古社であるとされ、白雉5年(654年)には 孝徳天皇より千石の土地の寄進を受けて大いに栄えたとされます。
なお、wikipediaによれば、創建のきっかけは"崇神天皇の御代に疫病が流行った際、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾(われ)らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、当地に創祀した"とされています。また、成務天皇11年に羽後国飽海郡平田村生石(現・山形県酒田市大字生石)に分社が造営されたそうです。
しかし、天正7年(1579年)の羽柴秀吉が三木合戦の折、神吉城攻略のために当社を陣所として貸与するよう要求されたところ、当時の宮司(神吉城主の弟)がこれを拒否したため、焼き討ちに遭い、土地は没収され、鐘楼、釣鐘、宝物、古文書などは焼失してしまったとされています。
また、当社の御神体である石の宝殿は、神代に出雲より当地に立ち寄った大己貴神(オオナムチ)、少彦名神(スクナヒコナ)の二神が造ったものであり、制作の途中で阿賀神(アガノカミ)が反乱を起したことから、これを鎮圧に向かったために制作の途中で放棄されたと伝えられているようです。
なお、由緒書では以下のように説明されています。
沿革
大己貴神(オオナムチ)、少彦名神(スクナヒコナ)の二神が、天神(あまつかみ)の勅命で国土経営の為に出雲から当地に立ち寄り、この宝殿山に仮宮を作って滞在した。
この時に石宝殿を刻んだのであるが、工事中に天佐久売(アメノサクメ)がやってきて「今、麓の里で阿賀神(アガノカミ)が反乱を起している」と二神に告げたので、石宝殿の工事を中止して今の神爪に諸神を集めて阿賀神を平定した。
しかし、石宝殿の工事は中止されたままであったため、結局のところ未完成で終わった。この工事で生じた石屑は一里北の高御位山に捨てられた。今なお高御位の北側の頂上から麓にかけて莫大な石屑が在り、魚の象(かたち)になっているが、この附近に岩を切った跡形は全く無い。
崇神天皇13年に創建されて以来 伊保荘・平津荘の鎮守として崇められ、孝徳天皇は白雉5年(654年)に千石の土地(現在の生石・神爪・島の土地を併せて千石)を寄付したため、この三ヶ町は墓地を忌み、生石は魚橋、神爪は岸、島は米田に墓地を作り、宮百姓と称して大いに栄えていた。だが、天正年間(1573~1593年)に豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、土地は没収され、鐘楼、釣鐘、宝物、古文書などは焼失して没落した。
なお、荒井川は元は御手洗川と称し、神々が手を洗ったと伝えられ、、泊は神々が泊ったことに由来し、今の加古川泊の名の起こりとなったという。
大己貴神(オオナムチ)、少彦名神(スクナヒコナ)の二神が、天神(あまつかみ)の勅命で国土経営の為に出雲から当地に立ち寄り、この宝殿山に仮宮を作って滞在した。
この時に石宝殿を刻んだのであるが、工事中に天佐久売(アメノサクメ)がやってきて「今、麓の里で阿賀神(アガノカミ)が反乱を起している」と二神に告げたので、石宝殿の工事を中止して今の神爪に諸神を集めて阿賀神を平定した。
しかし、石宝殿の工事は中止されたままであったため、結局のところ未完成で終わった。この工事で生じた石屑は一里北の高御位山に捨てられた。今なお高御位の北側の頂上から麓にかけて莫大な石屑が在り、魚の象(かたち)になっているが、この附近に岩を切った跡形は全く無い。
崇神天皇13年に創建されて以来 伊保荘・平津荘の鎮守として崇められ、孝徳天皇は白雉5年(654年)に千石の土地(現在の生石・神爪・島の土地を併せて千石)を寄付したため、この三ヶ町は墓地を忌み、生石は魚橋、神爪は岸、島は米田に墓地を作り、宮百姓と称して大いに栄えていた。だが、天正年間(1573~1593年)に豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、土地は没収され、鐘楼、釣鐘、宝物、古文書などは焼失して没落した。
なお、荒井川は元は御手洗川と称し、神々が手を洗ったと伝えられ、、泊は神々が泊ったことに由来し、今の加古川泊の名の起こりとなったという。
祭神
生石神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・大己貴神(オオナムチ):出雲を拠点に国造りを成した神であり、出雲大社の主祭神・大国主大神として知られる
→ 当社では、生石大神もしくは大國主神とも呼ばれている
・少彦名神(スクナヒコナ):オオナムチと共に国造りを成した神であり、小さい体であったとされる
→ 当社では、高御位大神もしくは粟島神とも呼ばれている
・大己貴神(オオナムチ):出雲を拠点に国造りを成した神であり、出雲大社の主祭神・大国主大神として知られる
→ 当社では、生石大神もしくは大國主神とも呼ばれている
・少彦名神(スクナヒコナ):オオナムチと共に国造りを成した神であり、小さい体であったとされる
→ 当社では、高御位大神もしくは粟島神とも呼ばれている
境内の見どころ
石鳥居・石階段
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生石神社の石鳥居と石階段です。
本殿に辿り着くまでには、この石階段を上るか、正面から左に迂回して、坂を上って駐車場方面から入るしかありません。
なお、駐車場側からの入口に手水舎があります。
拝殿
生石神社の拝殿です。
石を組んで造られており、まるで石造りの要塞のようになっています。
なお、拝殿の上部はベンチの置かれた休憩所になっており、喫煙所も設置されています。
本殿
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生石神社の本殿です。
拝殿を経て、神門をくぐった先に本殿があり、ここで参拝することができます。
なお、本殿の奥には神社の御神体である「石の宝殿」が安置されています。
靈石(れいせき)
生石神社の靈石です。
本殿の横に安置されており、「全身ノ力ヲ込メテ押シテ下サイ」と記されており、そうすれば霊験が得られるそうです。
また、霊石に触れてから、身体の悪い所を摩ると病気平癒に効果があるとされています。
石宝殿(いしのほうでん)
生石神社の石の宝殿です。本殿の先に安置されており、生石神社の御神体とされています。
宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾とともに「日本三奇」の一つに数えられている奇石であり、非常に人工的な形状をしているため、その正体については多くの説が唱えられています。
なお、拝観料は100円であり、入口付近には石の宝殿について詳しく書かれたパンフレットも用意されています。
また、Googleマップで検索するときは「石乃宝殿」と入力しないと正しくヒットししないので、注意が必要です。
石の宝殿について詳しくはこちらの記事を参照:【生石神社の石宝殿】
山上公園
生石神社の建つ宝殿山には、山頂に山上公園という公園があります。
神門の脇に岩を削って造った階段があり、そこから山頂まで登ることができます。
なお、山の中腹からも石の宝殿を眺めることができ、そこからだと石の宝殿の全容を拝むことができます。
また、山頂には「大正天皇行幸記念碑」と簡素な休憩所が設置されています。
ちなみに、山頂のある部分には、姫路城の方向を示す謎の落書きがあります。
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カエルの像
生石神社には、多数のカエルの像が安置されています。
自分で見つけた範囲では、拝殿までの入口の鳥居付近と、石の宝殿の立つ池の中にありました。
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なぜ多くのカエル像が安置されているかについては謎です。
ちなみに日本神話で大国主神と少彦名神が出会う場面で、少彦名神の正体を明かすためにヒキガエルのタニググが助言したという説話が残っています。
料金: 無料(石の宝殿参拝料100円)
住所: 兵庫県高砂市阿弥陀町生石171(マップ)
営業: 終日開放
交通: 宝殿駅(徒歩22分)、駅南口じょうとんバス(ふれあいの郷生石下車5分)、レンタサイクルあり
公式サイト: http://www.isinohouden.com/
住所: 兵庫県高砂市阿弥陀町生石171(マップ)
営業: 終日開放
交通: 宝殿駅(徒歩22分)、駅南口じょうとんバス(ふれあいの郷生石下車5分)、レンタサイクルあり
公式サイト: http://www.isinohouden.com/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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