宝徳山稲荷大社 [新潟県]
2016/06/27
新潟県長岡市にある宝徳山稲荷大社(ほうとくさんいなりたいしゃ)です。
縄文時代に創始されたと伝えられる古社であり、他に類を見ない独特な神々を祀っています。
また、ローソクを奉納する慣わしがあることから、地元では「ローソクのお稲荷さん」と呼ばれ親しまれているようです。
なお、境内には壮大な建物が立ち並びながら謎が多いことから、一部ではB級スポットとしても扱われています。
神社概要
由緒
社伝によれば、縄文時代に殷帝大王(いててのひみこ)の命により、物部美万玉女命(もののべのみのわひめのみこと)が瓊名乃里(現・越路原)に「日の宮の御社」を建てたことに始まるとされています。
その後、第41代 持統天皇の御代、久辰稲輿玉女命(くしいなごしひめのみこと)が奉幣使の来訪の折りに「日の宮」の改築を請い、勅許を得て社殿を造営に至ったとされ、以後 越国五十六座の第一等社として「越国総鎮守一の宮」の社格を賜わったそうです。
また、第77代 後白河天皇の御代からは各地の争いの影響で度々遷宮し、昭和49年に内宮殿、昭和54年に本宮殿・祖霊殿、平成5年に現在の朱塗りの奥宮大殿堂がついに完成したとされています。
祭神
宝徳山稲荷大社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・天照白菊宝徳稲荷大神(あまてらすしらぎくほうとくいなりおおかみ):人間の幸せを司る神とされる
・日本古峰大神(やまとふるみねのおおかみ):厄除・病気平癒など祓いを司る神とされる
・八意思兼大神(やこころおもいかねのおおかみ):文化を守る神、学問の神とされる
→ 「日本神話」におけるオモイカネに当たると思われる
境内について
宝徳山稲荷大社は、内宮・本宮・奥宮から成っています。
全体的に巨大で豪華な建物が立ち並び、その屋根も「神明造」のような特徴的な形をしています。
また、社名の「稲荷」の通りに境内には多くの鳥居が建てられており、石灯篭も数多く配置されています。
なお、境内は非常に広く、全て見回るには2時間程度かかると思われます(電車の本数が少ないため注意)。
ちなみに冬季は建物が閉鎖されるようなので、遠方から訪れる際は暖かい時期がオススメです。
神紋について
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宝徳山稲荷大社で見られる神紋は、「菊花紋章」「稲紋」「左三つ巴」「鷹の羽」の四種のようです。
瓊名乃里について
神幸祭 |
当社が建つ「瓊名乃里(ぬなのさと)」では、毎年11月3日の0時に天の岩戸が開かれて、「幽世の神々の岩磐(いわくら)」「常立の神の岩磐(いわくら)」「神のお遊び」「御息所(みやすところ)」として、全国の千五百万の神々が降臨すると云われています(一説には、この後に神々が出雲に向うと云われる)。
そのため、当社では この日に「神幸祭(よまつり)」が行われ、この際に紅ローソクに願いを書き、幣(みてくら)・供物(くもつ)を捧げて願事をすれば、必ず一つは叶えられるとされているそうです。
なお、瓊名乃里は時代の変遷と共に「朝日長者が原」「太田乃庄」と名が変わり、現在は「越路原」となっています。
内宮
内宮鳥居
宝徳山稲荷大社の内宮鳥居です。
内宮ローソク殿・待合所
宝徳山稲荷大社の内宮ローソク殿・待合所です。
内部の廊下には大量の酒樽が奉納されており、奥には絵馬なども奉納されています。
内宮本殿
宝徳山稲荷大社の内宮本殿です。
ローソク殿より奥に位置しています。
一ノ宮
宝徳山稲荷大社の一ノ宮です。
内部には狛犬と狛狐が奉納されており、重ねて建てられた鳥居の奥に社殿があります。
なお、一ノ宮は境内の駐車場付近に位置しています(本宮方面へ行くと見落としやすい場所にある)。
五色ローソク
宝徳山稲荷大社の五色ローソクです。
当社はローソクを奉納して参拝する慣わしになっており、各色には下記のような意味があるとされています。
・緑:身体健全、交通安全、学術増進
・赤:商売繁盛、金融順行
・黄:火難防止、五穀豊穣
・白:家内安全
・紫:心願成就
・赤:商売繁盛、金融順行
・黄:火難防止、五穀豊穣
・白:家内安全
・紫:心願成就
本宮
本宮鳥居
宝徳山稲荷大社の本宮鳥居です。
上之宮
宝徳山稲荷大社の上之宮です。
手水舎
宝徳山稲荷大社の手水舎です。
手水鉢には「御神水」と刻まれています。
本宮ローソク殿
宝徳山稲荷大社の本宮ローソク殿です。
なお、冬季は扉が閉められるようです(中に入れない)。
本宮本殿
宝徳山稲荷大社の本宮本殿です。
なお、冬季は扉が閉められるようです(中に入れない)。
奥宮
参道
宝徳山稲荷大社の参道です。
本宮より徒歩7分程度の坂道を上って行くと、奥宮に辿りつけます。
たぶん車で訪れることも可能です(車で登る人がいた)。
奥宮鳥居
宝徳山稲荷大社の奥宮鳥居です。
朝方には、鳥居の間から朝日を拝むことも可能です。
神木化石
宝徳山稲荷大社の神木化石です。
案内によれば、1億5千万年前の杉の化石とされ、極めて強い霊力・神力を秘めているとされます。
奥宮本殿
宝徳山稲荷大社の奥宮本殿です。
比較的新しい建物ですが、非常に神々しい雰囲気を醸し出しています。
なお、冬季は扉が閉められるようです(中に入れない)。
神楽殿
宝徳山稲荷大社の神楽殿です(正式名称不明)。
神楽殿の神棚
宝徳山稲荷大社の神楽殿にある神棚です(正式名称不明)。
酒とローソクが奉納されており、朝方にはお百度参りしている人も見受けられました。
奥宮付近の祠
宝徳山稲荷大社の奥宮付近の祠です。
神楽殿と同様に、お百度参りしている人が見受けられました。
ローソク台
宝徳山稲荷大社のローソク台です。
神幸祭(よまつり)の際には、この台に約10万本のローソクが奉納されるそうです。
備考・考察
由緒の謎
社伝によれば創祀は縄文時代に遡り、「殷帝大王(いててのひみこ)」の命によって創建されたと伝えられています。この人物は『記紀』には登場せず、これを伝える史料の存在は確認されていないようです。
また、創建に当たった人物は「物部美万玉女命(もののべのみのわひめのみこと)」とされています。この名から、恐らく物部氏にまつわる人物であると推測できますが、越国で物部氏と言えば「天香山命(あめのかごやまのみこと)」が思い浮かびます。
この「天香山命(あめのかごやまのみこと)」は、新潟県では彌彦神社の主祭神として知られており、通称「おやひこさま」と呼ばれて親しまれています。
天香山命については、『先代旧事本紀』という文献に「天香語山命(天香山命)は饒速日尊(ニギハヤヒ)の子であり、尾張氏等の祖神である」とあります(当文献では天香語山命は高倉下命であるとされる)。また、「彌彦神社の社伝」には「天香山命は神武天皇の勅命を受け、越国を平定して開拓に従事した」とあります。
その他にも、『ホツマツタヱ』という文献に「神武天皇の御代に越後が初穂を納めなかった際、タカクラシタ(天香山命に当たる)が越後に向って太刀を抜かずに皆を従えた。君はこの功績を讃えてタカクラシタを越国のクニモリ(国守)とし、ヤヒコカミのヲシテ(称号)を与えた」とあります(ただし、当文献ではタカクラシタはカゴヤマの子とされる)。
なお、一般的に物部氏は饒速日尊(ニギハヤヒ)を祖神としているとされ、越国にまつわる物部氏は天香山命に関わると推測されます。よって、当社の創建に当たったとされる物部美万玉女命は、弥彦神社に鎮まる天香山命と何らかの関係があるものと個人的に考えています。
・参考リンク:ホツマツタヱ31文 直り神 三輪神の文:タカクラシタがヤヒコカミとなる【2】
祭神の謎
当社の祭神は、「天照白菊宝徳稲荷大神(あまてらすしらぎくほうとくいなりおおかみ)」「日本古峰大神(やまとふるみねのおおかみ)」「八意思兼大神(やこころおもいかねのおおかみ)」の3柱とされています。
しかし、「天照白菊宝徳稲荷大神」「日本古峰大神」の2柱は『記紀』をはじめとする諸文献には登場しない神であり、これら神々を祀っている神社は他に見られないようです。よって、この2柱について、どのような由来で祀られているのかは一切分かりませんでした。
一方、「八意思兼大神」については、『記紀』における「オモイカネ」を指すものと思われ、オシホミミの后であるタクハタチヂヒメの兄神に当たるとされています。
なお、『ホツマツタヱ』という文献には「オモイカネはヒルコと結婚した後、オシホミミの養育を任させれていた頃にネノクニ(北陸地方)とサホコクニ(中国地方)を兼ね治めた」とあります。
このことから、八意思兼大神は これに由来して祀られているのかもしれません。
・参考リンク:ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:ヒルコの結婚【13】
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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