大山神社 [島根県]
2017/09/08
島根県出雲市にある大山神社(おおやまじんじゃ)です。
『出雲国風土記』の「大山社」に比定される古社であり、祭神に大山津見命を祀っています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、創建年代は不明であるものの、『出雲国風土記』に「大山社」、『延喜式神名帳』に「大山神社」として名を載せる古社であり、言い伝えでは現在の小山町と大塚町との境辺りにあった丘陵地で地域住民の信仰対象として祀られていたことに始まるとされ、川の氾濫や洪水による地形変化によって当地に鎮座したとされます。
近代以降は、明治5年(1872年頃)に村社となったとされ、戦後の昭和21年(1946年)以降は神社本庁傘下の宗教法人となって現在に至るとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【大山神社 由緒】
大山神社は、日本で最も古い書物である『古事記』『日本書紀』に続く『出雲国風土記(733年)』に「大山社(おおやまのやしろ)」として その名がみえる。さらに『延喜式(927年)』にも「大山神社」と記載される式内社である。創立年代は詳かではないが式内社であることから推考しても、千年以前の創立であることは明白である。
また、古老の伝承によると現在の小山町東北端、大塚町との境辺りに小高い丘陵地があり、そこに大山社として祀られ、地域住民の信仰の対象として尊崇されていたらしい。その当時、斐伊川は西折して神門の水海、すなわち神西湖に注ぎ、日本海に流れていた。その後、しばしば川の氾濫、洪水で地形は様変わりして、大山社は元の地から下流に押し流され、現在地に留まって鎮座まし坐したと言う。
御祭神(オオヤマヅミ)は、伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)の二柱の御子神であって、富士山にある浅間神社の御祭神、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)の父神に当たり、昔より林業守護の神と伝えられてきた。一説によると、この神は自然への感謝と畏敬の念から祀られた山の神とされる。後世には食物の神、あるいは農耕の神としても祀られるようになった。
明治5年に村社に列せられ、村から神饌幣帛料が供進されていたが、先の大戦を経て、昭和21年以後は神社本庁包括下の宗教法人となって今に至る。
大山神社は、日本で最も古い書物である『古事記』『日本書紀』に続く『出雲国風土記(733年)』に「大山社(おおやまのやしろ)」として その名がみえる。さらに『延喜式(927年)』にも「大山神社」と記載される式内社である。創立年代は詳かではないが式内社であることから推考しても、千年以前の創立であることは明白である。
また、古老の伝承によると現在の小山町東北端、大塚町との境辺りに小高い丘陵地があり、そこに大山社として祀られ、地域住民の信仰の対象として尊崇されていたらしい。その当時、斐伊川は西折して神門の水海、すなわち神西湖に注ぎ、日本海に流れていた。その後、しばしば川の氾濫、洪水で地形は様変わりして、大山社は元の地から下流に押し流され、現在地に留まって鎮座まし坐したと言う。
御祭神(オオヤマヅミ)は、伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)の二柱の御子神であって、富士山にある浅間神社の御祭神、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)の父神に当たり、昔より林業守護の神と伝えられてきた。一説によると、この神は自然への感謝と畏敬の念から祀られた山の神とされる。後世には食物の神、あるいは農耕の神としても祀られるようになった。
明治5年に村社に列せられ、村から神饌幣帛料が供進されていたが、先の大戦を経て、昭和21年以後は神社本庁包括下の宗教法人となって今に至る。
祭神
大山神社の祭神は以下の通りです。
・大山津見命(オオヤマヅミ):山を司る神とされる
→ 「日本神話」ではイザナギ・イザナミの御子神とされる
→ 「日本神話」ではイザナギ・イザナミの御子神とされる
境内社
大山神社の境内には、石碑に数本の幣束がくくり付けられたものが祀られています。
詳細は不明ですが、当地方の傾向性から おそらく荒神社であると思われます。
境内の見どころ
参道
大山神社の参道です。
住宅街にある非常に細い参道となっています。
鳥居
大山神社の鳥居です。
拝殿
大山神社の拝殿です。
本殿
大山神社の本殿です。
土貢神碑
大山神社の土貢神碑です。
賽銭箱が配置されていますが、どういった神なのかは分かりませんでした。
子持ち狛犬
大山神社の境内にある子持ち狛犬です。
出雲丹後狛犬といわれるタイプの狛犬なんだそうです。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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