猿田彦神社(伊勢市) [三重県]
2018/01/22
三重県伊勢市にある猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)です。
伊勢神宮(内宮)の付近に鎮座しており、祭神に猿田彦大神(サルタヒコ)・大田命を祀っています。
猿田彦大神は「みちひらきの神」とも呼ばれ、新しいことを始める時に適切な道案内をしてくれると云われています。
そのため、進学や就職、結婚などの環境の変化を迎える方には非常におすすめの神社です。
また、境内の佐瑠女神社には天宇受売命(アメノウズメ)が祀られています。
天宇受売命は芸能の始祖とされ、猿田彦の妻となったことから、芸能や縁結びの御神徳があるとされています。
神社概要
由緒
『倭姫命世記』よれば、倭姫命がアマテラスを祀る土地を求めて諸国を巡幸していたところ、猿田彦大神の子孫である大田命が現れて、倭姫命に先祖代々守護してきた五十鈴の河上にある優れた霊域を献上し、そこに伊勢神宮が創建されたと記されています。
その後、大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)という伊勢神宮の特殊な職掌に任ぜられ、代々奉仕してきたそうです。その宇治土公は邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦大神を祀っており、明治時代に神官の世襲が廃止されることになったことに伴って、屋敷神を神社に改めたものが猿田彦神社であるとされています。
祭神
猿田彦神社の祭神は以下の通りです。
・猿田彦大神(サルタヒコ):日本神話で、瓊々杵尊(ニニギ)の天孫降臨の際に道案内した神
→ 当社では「みちひらきの神」として崇敬される
・太田命(オオタ):垂仁天皇の御代、伊勢に到着した倭姫命に天照大神が鎮まるべき土地を献じた地主神
→ 宇治土公の祖(通説では猿田彦神の子孫)
⇒ 興玉神、もしくは猿田彦神の別名とする説がある
→ 当社では「みちひらきの神」として崇敬される
・太田命(オオタ):垂仁天皇の御代、伊勢に到着した倭姫命に天照大神が鎮まるべき土地を献じた地主神
→ 宇治土公の祖(通説では猿田彦神の子孫)
⇒ 興玉神、もしくは猿田彦神の別名とする説がある
神徳
猿田彦神社の神徳は以下の通りです。
・みちひらき:人生という道において最善の方向へ導いてくれるとされる
・建築地鎮:建築安全の神として、地鎮祭の際に御札と清砂を受けられる
・その他:方位方災除、交通安全、開運、開業、移転、商売繁盛、事業繁栄、五穀豊穣
・建築地鎮:建築安全の神として、地鎮祭の際に御札と清砂を受けられる
・その他:方位方災除、交通安全、開運、開業、移転、商売繁盛、事業繁栄、五穀豊穣
境内社
佐瑠女神社
猿田彦神社の境内社・佐瑠女神社(さるめじんじゃ)です。
祭神に天宇受売命(アメノウズメ)を祀っており、猿田彦との深い縁から、同じ境内に祀られているそうです。
【祭神】
・天宇受賣命(アメノウズメ):日本神話で、天照大神が岩戸に隠れた際に舞を舞った神
→ 天孫降臨の際には猿田彦の正体を明かし、これによって猿田彦に付いて行くことになった
【神徳】
・芸能:祭神が芸能の祖神とされることから、俳優、音楽、芸術、スポーツなどの導きが得られる
・縁結び:祭神が天地の神の仲を取り持ったことから、男女、仕事、物などの縁に導きが得られる
・天宇受賣命(アメノウズメ):日本神話で、天照大神が岩戸に隠れた際に舞を舞った神
→ 天孫降臨の際には猿田彦の正体を明かし、これによって猿田彦に付いて行くことになった
【神徳】
・芸能:祭神が芸能の祖神とされることから、俳優、音楽、芸術、スポーツなどの導きが得られる
・縁結び:祭神が天地の神の仲を取り持ったことから、男女、仕事、物などの縁に導きが得られる
関連知識
猿田彦大神(サルタヒコ)について
猿田彦大神(サルタヒコ)とは『記紀』の天孫降臨の段で初めて登場する神であり、高天原から天降ってきた天孫・瓊々杵尊(ニニギ)の前に現れて、その行先を先導した国津神とされています。そのため、猿田彦神社では「みちひらきの大神」と称えられ、人生という道において最も善い道を案内してくれるという御神徳があるとされています。
なお、サルタヒコの特徴については、『古事記』では「天の八衢(あめのやちまた)に居て、上は高天原から下は葦原中国まで照らす神」と記され、自ら輝きを放つ神として、天津神にも一目置かれるほどの存在感を誇る国津神だったと記されています。
また、『日本書紀』においては、本文では省かれているものの、異伝にて「鼻の長さが七咫(ななあた)※、背の高さは七尺以上、まさに七尋(ななひろ)※である。また、口の端は明るく光り、目は八咫鏡(やたのかがみ)のように光り輝いている。まるで赤酸醤(アカカガチ)※のようである。天孫は御供の神を遣わして その神の素性を明かそうとしたが、どの神も目を合わすのを怖れて尋ねられなかった。」と記され、いわゆる天狗のような容姿の恐ろしい神であったと記されています。
なお、『古事記』には「天孫降臨の後、サルタヒコが伊勢の海で漁をしている最中に比良夫貝(ヒラブガイ)に足を挟まれて溺れた」ということも記されています。そこには「溺れた」とあり「溺死した」とは明記されませんが、一説にはサルタヒコは溺死した後に再び甦ったとされ、それが「黄泉の国より還る」転じて「甦る(よみがえる)」となったとも云われています。また、二見興玉神社などでサルタヒコの神使がカエルとされるのは、上記の説の「甦る」に準えて「黄泉カエル」とされたためとも云われているそうです。
※七咫:指七本分
※七尋:大きいという意味
※赤酸醤:ホオズキのこと
天宇受売命(アメノウズメ)について
天宇受売命(アメノウズメ)とは『記紀』の天岩戸の段で初めて登場する神であり、アマテラスが岩戸に隠れた際に神懸かって舞い踊り、神々の祭を盛り上げて岩戸開きに一役買ったとされています。そのため、芸能の始祖神とされ、佐瑠女神社や芸能神社などでは芸能に携わる人々の篤い崇敬を集めているとされています。
なお、天孫降臨の段では、多くの神々が恐れて近づけなかったサルタヒコの素性を明かすよう遣わされ、その後、天孫・ニニギの命により、サルタヒコに仕えてそのまま伊勢に留まったとされています。その際、サルタヒコの名を名乗るよう命じられたため、アメノウズメの子孫は猿女君となり、佐瑠女神社の社名もこれが元になっているとされています。
また、『記紀』ではサルタヒコと結婚したとは記されませんが、多くの神社でアメノウズメはサルタヒコとともに祀られており、夫婦として捉えられていることが一般的となっています。そのため、夫婦の道祖神や、祭礼で見られる天狗とお多福は、サルタヒコとアメノウズメを象徴するとされることも珍しくありません。
ちなみに、『古事記』には「アメノウズメは海の魚介類を集めて天孫に従うかと問い質したとされ、多くの者が仕えると答えた中 ナマコだけが答えなかったため、怒って小刀でナマコの口を裂いた」とされています(それが元で今でもナマコの口が裂けているとされる)。
八角形のもの
猿田彦神社の境内には、八角形のものが数多く安置されています。
詳しい理由は不明ですが、八角は方位を意味し、方位除の御神徳を仰ぐものであると紹介されています。
なお、境内にある八角形のものは以下の通りです。
・大鳥居
・本殿の堅魚木・欄干
・佐瑠女神社本殿
・手水舎の柱
・方位石(古殿地)
・本殿の堅魚木・欄干
・佐瑠女神社本殿
・手水舎の柱
・方位石(古殿地)
境内の見どころ
鳥居
猿田彦神社の鳥居です。
鳥居の柱は八角形になっています。
拝殿
猿田彦神社の拝殿です。
神紋は五瓜梅紋であり、社殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造とされています。
本殿
猿田彦神社の本殿です。
本殿の堅魚木・欄干は八角形になっています。
方位石(古殿地)
猿田彦神社の方位石です。
昔の神殿跡に立てられた八角形の石柱であり、十干に八卦を交えた二十四方の方位が刻まれています。
みちひらきの力が得られるとされているため、人気があるんだそうです。
たから石
猿田彦神社の境内に安置されている「たから石」です。
宝船を連想させる舟型の石は、古くから縁起の良いものだとされており、猿田彦神社のものは蛇が乗っている様に見えるため尚更縁起が良いとされています。
さざれ石
猿田彦神社の境内に安置されている「さざれ石」です。
さざれ石とは、「もともとは小さな石だが、年を重ねて岩に成長していくという性質を持つ石のこと」を指し、縁起物とされています。
『君が代』の「さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」という歌詞は、小石(さざれ石)が巌(いわお)となり、更に苔が生えるまでという、非常に長い年月を表す比喩として用いられていると言われています。
御神田
猿田彦神社の御神田です。
境内の裏手にあり、毎年5月5日には豊作を祈って早苗を植える「御神田祭」が行われるそうです。
料金: 無料
住所: 三重県伊勢市宇治浦田2-1-10(マップ)
営業: 終日開放、無休
交通: 五十鈴川駅(徒歩22分)、三重交通バス(猿田彦神社前)
公式サイト: http://www.sarutahikojinja.or.jp/
住所: 三重県伊勢市宇治浦田2-1-10(マップ)
営業: 終日開放、無休
交通: 五十鈴川駅(徒歩22分)、三重交通バス(猿田彦神社前)
公式サイト: http://www.sarutahikojinja.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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