護王神社(いのしし神社・子育明神) [京都府]
2015/02/25
京都市上京区の京都御苑の傍にある護王神社(ごおうじんじゃ)です。
奈良時代に活躍した和気清麻呂の霊廟に始まる神社であり、主祭神に清麻呂と姉・広虫を祀っています。
なお、境内に多くのイノシシ像が安置されていることでも知られているため、通称「いのしし神社」と呼ばれています。
また、広虫が戦乱で身寄りを失った子供を養子として育てていたことから「子育明神」とも呼ばれているそうです。
神社概要
由緒
創建年代は不詳とされますが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に建てられた和気清麻呂の霊廟(護王善神堂)に始まり、古くから「護法善神」と称されていたとされています。
嘉永4年(1851年)、孝明天皇は宇佐八幡宮神託事件の際に流刑に処せられながらも皇統を守った清麻呂と姉・広虫の功績を讃え、清麻呂に「護王大明神」の神号と「正一位」という最高位の神階を授け、明治7年(1874年)、護王善神堂を神社として「護王神社」に改称し、別格官幣社に列格したとされます。
そして、明治19年(1886年)に明治天皇の勅命によって現在地(中院家の邸宅跡)に遷座され、大正4年(1915年)の大正天皇の即位の際に広虫が合祀されて現在に至るとされています。
祭神
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護王神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・和気清麻呂公命(わけのきよまろ):奈良末期から平安初期の貴族であり、平安遷都を進言した
・和気広虫姫命(わけのひろむし):清麻呂の姉であり、孝謙女帝に仕えた
配祀
・藤原百川公命(ふじわらのももかわ):藤原式家の祖であり、流罪になった清麻呂に援助したとされる
・路豊永卿命(みちのとよなが):道鏡の師であるが、道鏡が皇位に就くのを拒んだとされる
・和気清麻呂公命(わけのきよまろ):奈良末期から平安初期の貴族であり、平安遷都を進言した
・和気広虫姫命(わけのひろむし):清麻呂の姉であり、孝謙女帝に仕えた
配祀
・藤原百川公命(ふじわらのももかわ):藤原式家の祖であり、流罪になった清麻呂に援助したとされる
・路豊永卿命(みちのとよなが):道鏡の師であるが、道鏡が皇位に就くのを拒んだとされる
末社
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護王神社の末社は以下の通りです(確認したもののみ)。
・祖霊社
・警察消防招魂社
・警察消防招魂社
関連知識
宇佐八幡宮神託事件について(道鏡事件と和気清麻呂)
弓削道鏡と称徳天皇(孝謙上皇) |
宇佐八幡宮神託事件とは、神護景雲3年(769年)、大宰帥の弓削浄人(道鏡の弟)と大宰主神の中臣習宜阿曾麻呂が、宇佐八幡宮より「道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる」という内容の神託を受けたとして、称徳天皇に奏上したことに始まります。
弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とは法相宗の僧であり、女帝・孝謙上皇(称徳天皇)が病を患った際に看病に当たったことから寵愛されるようになった人物で、上皇の後ろ盾によって出世し、政治的な影響力を持つようになったとされています。
この道鏡が宇佐八幡宮の神託通りに皇位に就くことを望んだため、称徳天皇は神託を確認するために側近の尼僧・和気広虫(法均尼)を宇佐八幡宮に派遣しようとしますが、虚弱な身であることから長旅には耐えられないとして、代わりに広虫の弟・和気清麻呂を派遣することになります。
清麻呂は勅使として宇佐八幡宮に参宮し、宣命(天皇の命令文)を読もうすると、神が禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)に託宣して宣命を訊くことを拒んだとされ、それに不審を抱いた清麻呂は改めて与曽女に宣命を訊くことを願い出て、与曽女が再び神に顕現を願うと、身の丈三丈(およそ9m)の僧形の大神が出現し、再度宣命を訊くことを拒んだとされます。
その後、清麻呂は与曽女とともに大神の神託である「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」を受け、それを朝廷に持ち帰って称徳天皇に報告すると、道鏡が皇位に就くことを望んでいた称徳天皇は清麻呂に激怒し、清麻呂を一旦 因幡員外介(国司の次官)にして左遷し、さらに別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させて、大隅国(鹿児島県)に流刑にしたとされています。
なお、宇佐八幡宮神託事件については以下のビデオが分かりやすいと思います。
和気清麻呂と平安京
神護景雲4年(770年)、称徳天皇が崩御し、道鏡も失脚したことから、清麻呂は光仁天皇により従五位下に復位し、播磨・豊前の国司を歴任するとともに、自ら望んで美作・備前両国の国造になったとされます。
その後、桓武朝になると、実務官僚として重用されて高官となり、山背国葛野郡宇太村を選んで平安遷都の建設に進言し、延暦12年(793年)に自ら造営大夫として平安京建設に尽力したとされています。
和気清麻呂とイノシシ
和気清麻呂が配流となった際、道鏡の刺客に襲われて足の腱を切られた清麻呂は立つことすらできなくなったとされます。
その後、清麻呂は皇室を守った大神に感謝するために宇佐八幡宮へ参詣しようとして豊前国に至ると、どこからか300頭ものイノシシが現れて清麻呂の輿(乗り物)の周りを囲み、道鏡の刺客たちから守りながら十里の道程を先導したそうです。
清麻呂公が宇佐八幡での参詣を終えるとイノシシたちはどこかへ去っていき、それ以来、清麻呂の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていたとされています。
この伝説から、清麻呂を救った猪をシンボルとして境内には「狛猪」が置かれるようになり、加えて、足腰の傷病平癒に霊験あらたかとされる「足萎難儀回復の碑」も置かれるようになっています。
ちなみに、かつて発行されていた10円紙幣には和気清麻呂と護王神社が一貫して描かれていますが、1890年に発行された10円紙幣には表面の枠模様の中に8頭の小さな猪が描かれ、さらに1899年に発行されたものは裏面に大きな猪が1頭描かれるようになったとされ、当時の10円紙幣は長らく「いのしし」と俗称されたそうです。
境内の見どころ
拝殿
護王神社の拝殿です。
中門
護王神社の中門です。
この奥に本殿があります。
祈祷殿
護王神社の祈祷殿です。
願掛け猪と座立亥串
護王神社の願掛け猪と座立亥串(くらたていぐし)です。
願掛け猪の前に願かけの串を奉納するという、護王神社独自の信仰となっています。
足萎難儀回復の碑
護王神社の足萎難儀回復の碑(あしなえなんぎかいふくのひ)です。
足腰の病気や怪我の回復を祈願するため碑とされています。
足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願するそうです。
ぜんそく封じのカリンの木
護王神社のぜんそく封じのカリンの木です。
樹齢100年を超える古木であり、この木の実で作ったカリン酒は喘息によく効くといわれているそうです。
10円紙幣コレクション
護王神社はかつて10円紙幣に描かれており、神社の外壁には歴代の10円紙幣が掲示されています。
境内の猪
狛猪
護王神社の狛猪です。
入口の鳥居の前にあります。
霊猪像
護王神社の霊猪像です。
拝殿の前にあり、護王神社のシンボルとされています。
幸運の霊猪
護王神社の幸運の霊猪です。
手水舎の猪銅像であり、鼻を撫でると幸せが訪れるといわれています。
猪の手水舎
護王神社の猪の手水舎です。
飛翔親子猪
護王神社の飛翔親子猪です。
チェーンソーで彫られた木像となっています。
猪の剥製
護王神社の猪の剥製です。
授与所付近の壁に掛けられています。
いのししコレクション
護王神社のいのししコレクションです。
全国から集められた猪グッズが展示されています。
料金: 参拝無料
住所: 京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
営業: 6:00~21:00(社務所 9:00~17:00)、無休
交通: 丸太町駅(徒歩7分)
公式サイト: http://www.gooujinja.or.jp/
住所: 京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
営業: 6:00~21:00(社務所 9:00~17:00)、無休
交通: 丸太町駅(徒歩7分)
公式サイト: http://www.gooujinja.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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